夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

仲良し恋しの夫婦でも、幾数10年過ぎれば、大いに変貌して、どうしてなの、と戸惑い・・。

2012-04-03 13:50:19 | 定年後の思い
昨夜、私はある本を居間のソファーに座りながら読んでいた・・。
《・・
有名無名を問わず、世間様から見れば、世紀のカップル、
これぞ夫婦の鑑と拍手をうける男女でも、裏にまわれば、われらと大差がない。
同じく、陣地の取り合いである。

最後は、老いには勝てず、勲一等、関白亭主の勇者でも、
主権、生活権を女房殿に握られて、あわれな最期を遂げる。

僕など、まだ、還暦前だというのに、
早くも「耳が遠くなったわね。ボケて来たのね」と、
じりじり、主権を冒されはじめている。
おおむね、威張る亭主の最期は、屈辱の日記で終る。

昔は、主権は己の手に、しっかりと握ったまま、大往生で果てた男子が多いが、
この頃、長寿の罪で、大往生などという死にざまは、とんと見られなくなった。
みんな、周囲へ手をあわせて、恨みがましく死んでゆく。
・・》
この一章を読んだ時、私はソファーから、転げ落ちそうになった。

この本は高峰秀子、松山善三の両氏に寄る共作の『旅は道づれツタンカーメン』(中公文庫)であり、
おしどり夫婦として名高いご夫婦が、50代の時にエジプトに旅行をされた時の紀行文であるが、
この中に時折、それぞれの人生の思い、ご夫婦の日常の思いを綴られている。

私が驚き、ソファーから、転げ落ちそうになった引用した部分は、
松山善三さんが25年ぐらい高峰秀子さんと結婚生活を過ぎた頃のさりげない発露であるが、
作家や画家の長老をはじめ、多くの方から、お似合いのカップル、と賞賛されてきたご夫婦でも、
このように感じられている、と私は動顚したのであった。

もとより松山善三さんは、当時としては映画の脚本、監督を数多くされ、随筆も多く、
今回の思いはユーモアを含めながらリップサービスのように綴られたとしても、
本心かしら、と私は苦笑させられた・・。


私は東京郊外の世田谷区と狛江市に隣接した調布市の片隅みに住む年金生活の67歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭である。
そして雑木の多い小庭に古ぼけた一軒屋に住み、お互いの趣味を互いに尊重して、日常を過ごしている。

私たち夫婦は、遠い昔の1976〈昭和51〉年3月下旬に結婚し、
人生の大波、小波に揺られながらも、36年が過ぎて、過日に37年目の春を迎えた。

結婚して賃貸マンションで新婚生活を2年ばかり過ごした時は、
新妻らしく従順で可愛らしい容貌、しぐさをしていた家内は、
人生の節目の我が家の一軒家を構えた時、私が40代の時にギックリ腰で28泊29日で入院した時、
勤めていた会社がリストラ烈風で私も出向となった時・・何かと私は叱咤激励を受けたりし、
家内は変貌してきた。
そして私なりに奮闘して、何とか定年退職を迎えることができた。
しかしながら私がサラリーマン現役時代は、何かと私の意見も尊重してくれた。

2004(平成16)年の秋に定年退職後、念願の年金生活を始めた。

定年前の私は、現役時代のサラリーマンの時は数多くの人たちと同様に多忙で、
家内は専守防衛長官の専業主婦であり、日常の洗濯、買い物、料理、掃除、憩(いこ)いの時などで、
家内なりの日常ペースがあり、この合間に趣味などの時間で過ごしてきたので、
定年後の年金生活を始めた私としては、このペースを崩したくなったのである。

そして私は、定年後から自主的に平素の買物担当となり、
毎日のように独りでスーパー、専門店に行ったりし、ときおり本屋に寄ったりしている。
その後は、自宅の周辺にある遊歩道、小公園などを散策して、季節のうつろいを享受している。

それでも少し引け目を感じて、家内の茶坊主に専念したりした。

私は定年後は、日の出と共に起床するのをモットーとして、
殆ど起きだして、煎茶を飲みながら新聞の朝刊を読んだり、NHKのニュースを視聴したりしている。
そして家内が目覚める頃になれば、
コーヒーを指定されたマグカップを2階の寝室まで運び、
布団の枕元に置いたりし、
『今日は良いお天気になりそう・・』
と私は朝の挨拶代わりに家内に言ったりしている。
そして日中のひととき、コーヒーを5回ぐらい入れたりしている。

我が家の生活費の実態は、程ほどのお金を幾つかの銀行に分散したり、郵便局などに貯金をして、
2ヵ月毎に厚生年金を頂き、生活費の基盤としている。
そして、私たち夫婦の共通趣味の国内旅行、冠婚葬祭、そして思いがけない出費の時は、
貯金から取り崩して過ごしている。

そして月が変わるたびに、月次決算のように家計簿に準じた幾つかの表で、
お互いに確認しあって、今月も赤字かょ、と私は微苦笑しながら、家内に言ったりしている。

こうした中で、ときおり私たち夫婦が外出したりする時、
ご近所の奥様のふたりから、仲良し恋しで羨ましいわ、と言われたりしている。
こうした後、私は微苦笑することが多いのである・・。

家内は日頃の多くは、私のことを、
『あなた・・』
と呼ぶことが多いが、
ときには、たわむれで
『XXクン・・』
と苗字で呼ぶこともある。

年金生活を始めてまもない頃、私は買物を終えて帰宅後、
台所にいた家内に手渡したのである。

まもなく、家内は冷蔵庫に収納したりした後、
『あらぁ・・お願いした品がないわ・・』
と家内は呟(つぶや)くように、私に言った。

『本当ぉ・・』
と私は言いながら、スーパーのチラシで、
家内が赤丸の印を付けたりのを、見ながら再確認した。

『本当だぁ・・買わなかったょ・・次から気をつけるょ』
と私は明るく大きな声で家内に言った。

『ボケチィンねぇ』
と家内は笑いながら、私に言った。

この日以降、私が何かで日常生活で失敗した時、
『ボケチィンねぇ・・』
と家内は笑いながら、私に言ったりしている。


我が家の戸締りの責任者は、もとより主(あるじ)の私であり、
夜の9時過ぎには、台所、お風呂場などを点検する時、
『ハイ、OKです!』
と指差し確認し、若き自衛隊の諸兄に負けないように、元気な声で言ったりしている。

この後、居間でテレビを視聴しているか、雑誌を読んでいる家内に、
『戸締り・・終了致しました』
と私は家内に報告したりする。
『ご苦労であった』
と家内は言うのである。

私の現役時代に於いては、ご苦労さまでした、と家内は優しく労(ねぎら)いの言葉をしていたが、
どうしてなの、と私は不思議に思ったりした。
その後、思い当るとすれば、家内は以前にNHKの連続ドラマの『篤姫』を視聴した頃からで、
お姫さま、或いは奥方に影響されたのか、
このような言葉を私にするようになっていることが多い。

確か一カ月前の頃、いつものように洗濯の合間でテレビを視聴している家内に、
私はコーヒーを淹れて、居間のテーブルに置いたりした。
『最近・・コーヒーとブライト(粉末ミルク)・・バランスが欠けているわ・・
一定の量じゃないでしょう・・ダメオ(駄目夫)クンねぇ・・』
と家内は苦笑しながら、私に言った。

『ダメオ(駄目夫)クン・・かょ』
と私は心の中で呟(つぶや)きながら、新語だょね、と苦笑したりした。


私たちの共通の趣味のひとつとして国内旅行であるが、
私が魅せられたコースを三つぐらい選定して、家内に相談すると、
『あたしが、この中から決めます!』
と家内は高らかに私に言うことが多くなっている。


私はサラリーマンの長年の勤務を終え、
一家の主(あるじ)としての収入の重責を終えた年金生活になると、
緊張感が失くした為か、体力の衰えを感じたりしている。
家内は更年期も無事に過ぎて、益々元気溌剌であるので、
『女は元気で良いよねぇ』
と私は家内を見たりしながら、心の中で呟(つぶや)く時もある。


このように新婚時代は従順で可愛らしい容貌、しぐさをしていた家内は、
幾数10年過ぎれば大いに変貌してきたので、今回の松山善三さんの思いを読みながら、
つたない私でも、大いに感じることが多いです、と思ったりしている。

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『断捨離』って何のことなの、と社会の状況に何かと疎(うと)なっている私は・・。

2012-04-02 12:46:52 | 時事【社会】
私は東京郊外の世田谷区と狛江市に隣接した調布市の片隅みに住む年金生活の67歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭である。
そして雑木の多い小庭に古ぼけた一軒屋に住み、お互いの趣味を互いに尊重して、日常を過ごしている。

日常は定年後から自主的に平素の買物担当となり、
毎日のようにスーパー、専門店に行ったりし、ときおり本屋に寄ったりしている。
その後は、自宅の周辺にある遊歩道、小公園などを散策して、季節のうつろいを享受している。

ときおり、庭の手入れをしたり、友人と居酒屋など逢ったり、
家内との共通趣味の国内旅行をしたりしている。

日常の大半は、若き日に映画・文學青年の真似事をした体験か、
随筆、ノンフィクション、小説、現代史、総合月刊雑誌などの読書が多く、
或いは居間にある映画棚から、20世紀の私の愛してやまい映画を自宅で鑑賞したりしている。
そして現役のサラリーマン時代は、たまたま音楽業界のあるレコード会社に35年近く勤めた名残りで、、
ときには音楽棚から、聴きたい曲を取りだして聴くこともある。

このような年金生活を過ごしているが、何かと身過ぎ世過ぎの日常であるので、
日々に感じたこと、思考したことなどあふれる思いを
心の発露の表現手段として、ブログの投稿文を綴ったりしている。


このように定年後からの生活を過ごしてきたが、
恥ずかしながら、ここ8年近く社会の状況が何かと疎(うと)く、微苦笑させられることが多い。
現役時代の頃は、日経トレンディの誌上で毎年12月号に於いて、
その年の【ヒット商品ベスト30】や翌年の【ヒット予測ランキング】掲載されているが、
殆ど知ったりしていたので、昨今は遥か遠い世界の出来事のように思える時が多いのである。

最近、『断捨離』という言葉を話題になっていると聴いても、
何のことなのょ、と思いながら、恥ずかしながら気になったりしている、ひとつである・・。

今朝、いつものように読売新聞の朝刊を読んでいたら、
13面に恒例特集記事のひとつとして【論点スペシャル】が掲載され、
今回は『「捨てる」と「残す」を考える』テーマ記事であった。

そして論客の代表として、野口悠紀雄(のぐち・やきお)氏であり、
この方の著作本は私は5冊ぐらい読んだりしてきたので、多少は知っているつもりであるが、
もうひとりの方は、やました・ひでこ氏と明示されていた。

私は《やました・ひでこ》さんは未知の人なので、こっそりとプロフィールが掲載されていたので読んだりし、
《・・断捨離の提唱者・・』と明記されていて、
この下段に『断捨離』の解説記事が掲載されていたので、私は精読した。
《・・
やました氏がヨガ道場を通い、心の執着を手放すための「断行、捨行、離行」と出会ったことを契機に、
それを日常に中で応用し、片づけ術として提唱した。
本来は、モノや執着を捨てる「捨」から始まり、
それを断ち切る「断」、そして近づけない「離」へと進む。
・・》
このように丁寧に解説されていたが、少しボケた私には難しいことねぇ、
と思ったりした。

この後、ぼんやりと考えていたら、私は昨年の東大日本震災後、本を大幅に整理して、
3割ぐらい捨てたことを思い馳せたりした。


昨年の4月下旬に、私は家内の手も借りて、整理を始めたのである。
この時の心情は、【 過ぎ去り日の時代の小説、評論の単行本、私は整理をして、処分をめぐらしても、やむなく・・。】
と題して、このサイトに発露している。

http://blog.goo.ne.jp/yumede-ai/e/c4a2e98d21f491bac1f25d8477022428
☆【年金青年たわむれ記 ~かりそめ草紙~ 】
     4月24日【 過ぎ去り日の時代の小説、評論の単行本、私は整理をして、処分をめぐらしても、やむなく・・。】☆

このように大幅に整理してきたが、今朝の午前中のひととき、
斎藤明美・著作の『高峰秀子の捨てられない荷物』の本を探し求めたりした。

確か8年前頃に、作家・斎藤明美さんの著作『高峰秀子の捨てられない荷物』(文春文庫)を読み、
感銘したりし、その後は松山善三、高峰秀子ご夫妻の養女になられたと知り、
最近の私は、高峰秀子さんに関する本を再読したり、未読の本を買い求めたりしてきた。
そして改めて、斎藤明美・著作の『高峰秀子の捨てられない荷物』の本を再読したいと思い、
探したりしたのである・・。

私の本の整理の悪さか、一時間ぐらい探しても見つからなく、
もしかして、あの大幅に本の整理をした時に、捨ててしまったのかしら、と思いめぐらしたりし、
夕方にもう一度探して見つけることが出来なかったならば、
昨日、新潮文庫より発売された文庫本を買い求めようか、と思ったりしている。

そして、今回発売される文庫本に於いては、
斎藤明美さんご自身の《あとがき》で、新たに寄稿されている、と思いながら読んで見たいと思い、
このように私は際限なく再び本が増えようで微苦笑したりしている。
そして本の整理の『断捨離』は、私にとっては困難な命題かしら、と思ったりしている。


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『2012年はブログの年だ』と佐藤尚之さんから学び、つたない私でも、叱咤激励されたと思いながら・・。

2012-04-01 18:31:32 | 定年後の思い
私は先ほど、【Yahoo! JAPAN】の『雑誌』コーナーを見て、
ひとつの記事のタイトルに思わず興味されて、最後まで読んでしまった・・。

『人脈10倍! Twitter、facebook達人への道』と題された記事であり、
ビジネス総合情報誌として名高い『プレジデント』に於いて、
《それぞれのやり方で精力的に「ソーシャルメディア」を活用する達人たち。
 ブログやSNSなどのソーシャルメディアは、「インフラ」になりつつある。
 近い将来、電話やメールと同じく、使って当たり前のものになる。
 使うリスクより、使わないリスクのほうが大きい。達人たちはそう話した──。》
 これらの達人をインタビューされ、綴られた大山貴弘さんの文である。

http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20120401-00000001-president-bus_all
☆【Yahoo! JAPAN】<==『プレジデント』
            『人脈10倍! Twitter、facebook達人への道』☆

私は民間会社を定年退職した年金生活をしている8年生の身であるが、
昨今のビジネスの最先端として、ブログやSNSなどのソーシャルメディアは、
欠かせないものだ、と多々教示をされた。

この中で私としては、圧倒的に衝撃を受けたのは、佐藤尚之さんの発言である。
《・・
佐藤尚之さんは、常にネットの最先端を走ってきた人だ。
(略)
昨年3月末に電通を退職したが、独立は震災以前から決めていたことだった。
きっかけはソーシャルメディアの登場だった。
「これまで会社員は、組織のために機能する歯車の役割しか担えなかった。
でも、ソーシャルメディアの時代になると『電通の佐藤』では、もう古い。
『佐藤がいる電通』として動くべき時代になっています」

佐藤さんは、著書『明日のコミュニケーション』の中で
「ソーシャルメディアの本当の楽しさ・便利さは実名登録してから始まる」と書いている。

「個の時代」を迎えるうえで、発信のできない人は「割を食うようになる」と話す。

「その昔、馬車が発明されたときにも、
『馬車は速すぎて、人間の生理に合わない』という意見があったといいます。
自動車や電話と同じで、環境が変わってしまえば、もう戻れない。
ソーシャルメディアを『苦手だから使わない』というのは個人の自由。
でも、それは電話番号を持たずに生きていくようなものでしょう」

佐藤さんは「2012年はブログの年だ」という。
ツイッターやFBは情報が流れるフロー型。
一方、ブログは情報を貯めるストック型だ。
ストック型の利点は、情報のコンテクスト(文脈)を見せられるところにある。

1995年からほぼ毎日更新されてきたブログには、4200件を超える記事がある。
この蓄積は「個」を際立たせる。
なかなか真似できそうにないが、佐藤さんは「書くと決めればネタはできる」と話す。

「更新を続けることは、自分の考えをまとめるうえで、とても役に立ちます。
仕事のことでも、具体的な内容に触れずに書くことはいくらでもできる。
アウトプットのないインプットは意味がありません。
発信が止まらないように、長続きさせることを考えながら始めるといいですよ」
・・》

この佐藤尚之さんの発言を私は勝手に解釈して、ブログの有効性を確信した後、
匿名で綴っている私は、文章修行を終えて、実名で公表できるくらいの人になれ、
と叱咤激励のように感じたのである。

私は2004〈平成16〉年の秋に民間会社を定年退職するまでは、
何かと屈折と劣等感の多い人生を過ごしたのであるが、
この地球に生を受けたひとりとして、私が亡くなる前まで、
何らかのかけらを残したい、と定年前から思索していた。

あたかも満天の星空の中で、片隅に少し煌(きらめ)く星のひとつのように、
と思ったりした・・。

私はこれといって、特技はなく、かといって定年後は安楽に過ごせれば良い、
といった楽観にもなれず、いろいろと消却した末、言葉による表現を思案したのである。

文藝の世界は、短歌、俳句、詩、小説、随筆、評論などの分野があるが、
私は無念ながら歌を詠(よ)む素養に乏しく、小説、評論は体力も要するので、
せめて散文形式で随筆を綴れたら、と決意した・・。

私は若き日のひととき、映画・文学青年の真似事をした時代もあったが、
定年後の感性も体力、何よりの文章の表現力も衰えたので、
ブログ、ブログに準じたサイトに加入し、文章修行とした。

そして多くの方に読んで頂きたく、あらゆるジャンルを綴り、
真摯に綴ったり、ときには面白く、おかしく投稿したりした。
そして苦手な政治、経済、社会の諸問題まで綴ったりしたが、
意識して、最後まで読んで頂きたく、苦心惨憺な時も多かったりした。


私の最後の目標は、人生と文章修行の果てに、
たとえば鎌倉前期の歌人のひとり鴨長明(かもの・ちょうめい)が遺され随筆の『方丈記』等があるが、
この方の数多くの遺された中のひとつに準じる随筆を綴れれば、本望と思っている。

そして私の死後の数百年を過ぎた頃、文愛人の一部の方から、
あの時代に短かな随筆をたったひとつ遺(のこ)した人もいた、
と思って頂ただければ幸いという思いがある。

このような思いが、私としては拙(つたな)いなりに秘めたりしているので、
日々に感じたこと、思考したことを心の発露とし、
原則として国内旅行で自宅を留守にしない限り、毎日少なくとも一通は投稿している。

そして、何より肝要なことは、人それぞれ誰しも光と影を持ちあわしているので、
つたない私でも、ささやかな光、そして秘められた影を余すところなく綴るのが命題と思ったりしている。

このような身過ぎ世過ぎの年金生活をしながら、
言葉による表現、読書、そして思索の時間を過ごしたりすると、
私にとっての年金生活は暇、安楽というのは死語である。


私は確固たる根拠もないが、私なりの拙(つたな)い感性と感覚を頼りに、
できうる限り随筆形式で綴ってみようと、投稿文としている。
そして若き頃に小説の習作を少し体験し、幾たびか校正したりしてきたが、
ブログの投稿文と甘え、一気呵成〈かせい〉に書き上げてしまうことも多い。

しかしながら、その日に応じて、簡単に言葉を紡(つむ)ぐ時もあれば、
言葉がなかなか舞い降りてこなくて、苦心惨憺とすることも多いのが実情でもある・・。

このような時、言霊(ことだま)に対して自己格闘が甘いのかしら、
或いは幼年期からの何かと甘さの多い人生を過ごしてきたから、
このような拙〈つたな〉い文章を綴るしか表現が出来ない、
と深刻に考えたりすることがある。

こうした私なりに、秘かな野望が挫折した時、
数多くの拙〈つたな〉い投稿文が残して、涙を浮かべて振り返った時、
のちの想いになることは確かだ、と思いながらも日々投稿文を認(したた)めている。


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『弥生』の3月に別れを告げて、新たな『清浄明潔』の4月にようこそ、と心の中で・・。

2012-04-01 09:45:45 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の67歳の身であるが、
今朝ぼんやりとカレンダーを眺め、『弥生』の3月のカレンダーにさよならすると、
新たな『卯月』の4月のカレンダーを見ながら、ようこ~そ、と心の中で呟(つぶや)いたりした後、
主庭のテラスに下り立ち、白梅の純白な花びらが音もなく散っているのを見つめたりしていた。

そして昨年の今頃を思い馳せたりしていた・・。
昨年の3月11日に発生した観測史上最大の地震の東日本巨大地震に伴い、
大津波が発生して壊滅的な大惨事を、テレビでNHKニュースを視聴したり、
新聞、ネットでニュースを読み、各地域で甚大な災害に、知るたびに驚嘆したりしていた・・。

その上、福島第一原子力発電所で事故が発生、その後も相次ぐ事故に関して、主要国の方まで注視された。
そして、私は恐れていた周辺の一時避難、その上に農作物、水の汚染などに影響をもたらした。

この間、大惨事の被災した地域で、亡くなわれるた方が日ごとに増え、
私はただ呆然としながら、犠牲者の多数に悲しみに、ときおり黙祷をしたりしてきた。

こうした中、もとより被災された方たちの前に於いては言葉もないが、
私の住む地域さえ、幾たびか余震におびえたり、
電力不足が予測されるので、東京電力による『計画停電』が実施され、
対象地域、時間による停電が行われ、平常心こそ何よりも肝要であると思いながら、
落ち着かなくうつろな日々を過ごすことが多かったである・・。

平年であるならば、社会は3月に卒園式、卒業式などあり、
私も落葉樹の芽吹き、桜花の大きな莟(つぼみ)を観かけると、やはり見惚(みと)れて過ごしてきた。
そして、4月には、小学生の入学するピカピカの一年生・・
企業などに入社し、緊張感の中で新社会人となった入社式の光景が見られたりしてきた。

震災後、社会は大きく変貌し、卒業式は縮小されたようになったり、
入社式も中止、延期が相次ぐ、と報じられたりしている。
そして製造業も被災されたり、節電の中、部品、完成品メーカーの生産が低下し、
こうした中で、世の中は自粛の風潮となり、消費が激減してきた。

日本経済の低下に、復興・復旧こそが何よりも肝要であると無力な私は思いながら、
夜明けの来ない日はない、と思ったりしてきた。
そして、この世に100%安全・安心などはない、と改めて実感されてきた。


今年は私の住む地域でも、平年より寒波が多く、白梅、桃の咲く時期も3週間程遅れ、
櫻花も莟〈つぼみ〉の状況で今日を迎えている。

私は雑木の多い小庭に古ぼけた一軒屋に住み、過ぎし数週間は、
玄関庭の門扉の近くに朱紅色した藪椿(ヤブ・ツバキ)が咲き、
清麗な純白の白梅は、満開となり、やがて散りまで眺めたりしてきた。
こうした中で花梨(カリン)、ミミジも芽吹き始めて、早くも幼い葉も見られてきた。

主庭は日本水仙が咲き、白梅は満開となり、やがて散り始めて、
紅梅は満開となっている。
そして庭の片隅みには、白玉椿(シラタマ・ツバキ)が秘っそりと咲き、
紫木蓮(シモクレンと)が大きな莟〈つぼみ〉に見惚れたりしてきた。

そして私は近くの公園、野川の遊歩道を散策したりとすると、
雑木の芽吹きが始まっていた。
モミジ、コナラ、クヌギ、欅(ケヤキ)等の季節のうつろいを観せてくれる雑木に、
圧倒的に魅了させられてきた・・。
そして芽吹き、その後の幼い葉が見られる木の芽時(このめどき)の時節の情景に、
齢を重ねる毎に私の心は深まってきている。


こうした情景に心を寄せたりしてきたが、ぼんやりと小庭を眺めたりしていると、
『清浄明潔』という言葉を思い重ねたりした・・。

古人からの伝えとして、樹木は芽吹き、草花は花を咲かせ、
春の明るい陽射しの光につつまれて、清らかに生きている万物に恵みの時、
と私は解釈している・・。

これからの日々、櫻花は莟〈つぼみ〉から三分咲き、やがて満開の時節を迎える。
私の住む地域は、染井吉野(ソメイヨシノ)の桜が最初に咲き始め、
その後に山桜(ヤマザクラ)、最後に八重桜(ヤエザクラ)が咲くのが、
平年の慣(なわら)わしである。

私は山桜(ヤマザクラ)が最も好感しているが、
櫻花の美景としては、三分咲き、散り始めの情景に圧倒的に魅了されている。

やがて八重桜(ヤエザクラ)が散る頃に、4月に別れを告げながら、
新たなる5月の『皐月(さつき)』を迎える。

このようなことを思い馳せたりし、『清浄明潔』の4月に於いて、
幾たびか櫻花を愛でることに散策を重ねるかしら、
と無力な私はぼんやりと思ったりしている。


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