京都に到着後、すぐに荷物をデリバリーサービス に出して近鉄京都線へ。
京都駅のホームには、平城遷都1300年祭のマスコットキャラクターせんとくんが
お出迎えです。 いや、いいんですけどね。
彼を見ていると、ときたま、ツ ヘ(。。ヘ)☆パシッヽ(^^;)
本題に戻ります。 東寺までは近鉄京都線で1駅。150円です。
電車は1番ホームに到着。
改札を出て右へ道なりに進行、目的の「東寺」までは徒歩10分ほどになります。
2009年、春の京都旅行でも最後にこちらを訪れましたが、時間の関係で
中には入っておりませんので今回は拝観したいと思います。
大宮通りの慶賀門から入ります。
東寺、真言宗総本山の寺院。別名は教王護国寺(きょうおうごこくじ)。
山号は八幡山。ご本尊は薬師如来。
拝観受付を済ませ、まず目に入るのは五重塔と見事な不二桜。
不二桜(八重紅枝垂れ桜)、いままさに満開のときでしょうか。
講堂。重要文化財。
天長2年(825年)弘法大師により着工、承和2年(835年)頃完成。
文明18年(1486年)の土一揆による火災で焼失し、現在の講堂は延徳3年(1491年)に
再興された建物で、旧基壇の上に建てられ、様式も純和様で優美な姿を保っています。
講堂内は写真撮影禁止。
しおりによると、
大日如来を中心とした五智如来をはじめ、五菩薩、五大明王、四天王、梵天、帝釈天の
二十一軀の仏像が安置されています。
これは、弘法大師の密教の教えを表現する立体曼荼羅(密厳浄土の世界)です。
六軀は後補像ですが、十五軀は平安時代前期を代表するわが国密教像の代表作です。
配置は菩薩部(衆生済度を目的とするほとけさま)如来部(人間釈迦のさとりの内容を理論的に
推しすすめて最高のものとしたほとけさま)明王部(正法の化導に従わない衆生を
済度するために折伏のこわい形相をするほとけさま) とに分かれています。
これらの四隅に四天王像、間の東西に梵天、帝釈天像が安置され、
どれも国宝、重文の素晴らしい仏像ばかりで圧巻です。
しかも比較的近い距離で拝観できるため、その壮麗なお姿に感動いたしました。
さて、別購入した、しおりに十界が記されていました。興味深いので記録に残します。
十 界
悟
如来・・・自らも悟り、又他をも悟らせつつあるもの。自他平等の状態。
菩薩・・・他と共に悟りを得ようとして願をおこし、修行しているもの。初めて自己を超えた状態。
縁覚・・・生活の中から独り悟りを見つけだした状態。生活者。
声聞・・・教えを聞くことによって真理を学びとろうとしている状態。学生。
迷
天 ・・・勝れた楽を受けるが、なお苦を免れない。求めることはすべて充たされた人間の最高の状態。
しかしそこにもなお苦がつきまとう。
人間・・・堕落することもできるし悟ることもできる。そういう間的存在。
地獄と仏の間、人と人の間、生と死の間。
阿修羅・・・嫉妬心が強く、常に不安がつきまとい戦いばかりやっている状態。
畜生・・・互いに他を餌食として生長し、自分のことしか見えない状態。
餓鬼・・・飲食が得られないために苦の止む時がない。欲求不満の状態。
地獄・・・極苦処ともいう。生きていることすべてが苦であるという状態。
このように心の状態をあらわしたものになりますが、とても学ぶところが大きいです。
人は時として畜生にもなれば餓鬼にもなる。
私自身も、いつも同じ心の状態ではないことに気づきます。
心のあり方を見つめなおす機会として、私自身の戒めにもしたいと思います。
金堂。国宝。
東寺一山の本堂で延暦15年(796年)創建されたと伝えられています。
文明18年(1486年)に焼失。今の堂は豊臣秀頼が発願し、片桐且元を奉行として再興させた。
天竺様の構造法を用いた豪放雄大な気風のみなぎる桃山時代の代表的建築ですが、
細部には唐・和風の技術も巧みにとり入れています。
金堂内は写真撮影禁止。
しおりによると、
金堂本尊の薬師如来坐像と日光、月光の両脇侍像が安置です。
光背上には七軀の化仏を配して七仏薬師をあらわし、台座の周囲には十二神将像を配しています。
これら三尊像は桃山時代の大仏師康正の作で密教的な薬師信仰の形をとどめています。
これらはどれも重文。
五重塔。国宝。
京都代表格ともいえる五重塔は総高55m。
現在のものは徳川3代将軍家光より 江戸時代に再建された5代目とのこと。
しおりによると、現存する日本の古塔中最高の塔。とのこと。
威風堂々としていて実に美しい。
お天気の回復が今ひとつでしたが、国宝、重文の仏像を目の当たり拝むことが
にでき、とても有意義でした。
東寺散策時間を1時間30分と予定しておりました。
再び電車を乗り継ぎ次の目的地に向かいます(*^-^)