「夢屋いろはカルタ」6日目、『 へ 』
『へ』という音は、どこか間の抜けたような音でありますが、江戸かるたでは「下手の横好き」となるところですが、夢屋が選んだお題は『屁のつっぱり』…。
確か、北京オリンピック柔道男子で金メダルに輝いた石井選手が、「緊張されたでしょう?」というインタビューに「斎藤先生のプレッシャーに比べたら、屁のつっぱりにもなりませんよ。」とか何とかお応えしていたような…?受け狙いの誤用なら笑いも誘えますが、大丈夫か、今どきの大学生。
『屁のつっぱり』とは、何の役にも立たないことの例えですから、この場合、「プレッシャーなんて屁の河童ですよ…。」または、「斎藤先生のプレッシャーに比べたら、私のプレッシャーなんて屁でもありません。」とすべきところなのでしょうが、いずれにせよゴールデンタイムの「屁談義」はちと頂けない。総理の言葉は重い…などと言いつつ、人様の言葉尻を捉えながら、人と成りを批判するのも最近辟易してきました。

政治的には、中立性を持って生きているつもりですが、言葉狩りとも言える世相はいかがなものかと思います。石井選手の誤用だって、オリンピックという世界の舞台で、金メダルを獲得した興奮がさせてしまったものと大人の解釈をすることにしましょう…^^;
『ホソヒラタアブ』の規則正しい腹部の縞模様を見ていると、規則性の美しさを感じますが、世の中のすべてが、規則配列していたら、これはもう息苦しくて生きて居られないような気もします。この『ホソヒラタアブ』が花粉を舐めているニラの花弁は6枚、雄しべは6本。左右対称に開いておりますが、今年は、意外に障害(むしろ、傷害と表現した方が適切かな…)を持った昆虫や植物に出会う機会が多くありました。その多くは、脱皮の失敗や生育不良が原因ですが、自然界においては、致命的な傷害となる場合が多く、欠落してしまった機能を補完し、生き続けられる手段を獲得することも、人間の優れた特質のひとつなのかもしれません。
傷害を見つけるとどうしても「可愛そう」とか「変~」という感情に向かうのですが、「障害は個性である」と喝破してくれたのは『五体不満足』の著者、乙武さんだったような。「変わっている」ということは事実なのだから、そのことを言葉にすることをためらい、相手を思い遣っている…などという考え方自体がおこがましいことであり、どこかギクシャクした人間関係しか構築できないのではないのかなどと思うのであります。とは言え、子どものように、自然体で、「お前、変だよ…」なんて言えるものじゃありませんがね。
『へ』という音は、どこか間の抜けたような音でありますが、江戸かるたでは「下手の横好き」となるところですが、夢屋が選んだお題は『屁のつっぱり』…。
確か、北京オリンピック柔道男子で金メダルに輝いた石井選手が、「緊張されたでしょう?」というインタビューに「斎藤先生のプレッシャーに比べたら、屁のつっぱりにもなりませんよ。」とか何とかお応えしていたような…?受け狙いの誤用なら笑いも誘えますが、大丈夫か、今どきの大学生。
『屁のつっぱり』とは、何の役にも立たないことの例えですから、この場合、「プレッシャーなんて屁の河童ですよ…。」または、「斎藤先生のプレッシャーに比べたら、私のプレッシャーなんて屁でもありません。」とすべきところなのでしょうが、いずれにせよゴールデンタイムの「屁談義」はちと頂けない。総理の言葉は重い…などと言いつつ、人様の言葉尻を捉えながら、人と成りを批判するのも最近辟易してきました。

政治的には、中立性を持って生きているつもりですが、言葉狩りとも言える世相はいかがなものかと思います。石井選手の誤用だって、オリンピックという世界の舞台で、金メダルを獲得した興奮がさせてしまったものと大人の解釈をすることにしましょう…^^;
『ホソヒラタアブ』の規則正しい腹部の縞模様を見ていると、規則性の美しさを感じますが、世の中のすべてが、規則配列していたら、これはもう息苦しくて生きて居られないような気もします。この『ホソヒラタアブ』が花粉を舐めているニラの花弁は6枚、雄しべは6本。左右対称に開いておりますが、今年は、意外に障害(むしろ、傷害と表現した方が適切かな…)を持った昆虫や植物に出会う機会が多くありました。その多くは、脱皮の失敗や生育不良が原因ですが、自然界においては、致命的な傷害となる場合が多く、欠落してしまった機能を補完し、生き続けられる手段を獲得することも、人間の優れた特質のひとつなのかもしれません。
傷害を見つけるとどうしても「可愛そう」とか「変~」という感情に向かうのですが、「障害は個性である」と喝破してくれたのは『五体不満足』の著者、乙武さんだったような。「変わっている」ということは事実なのだから、そのことを言葉にすることをためらい、相手を思い遣っている…などという考え方自体がおこがましいことであり、どこかギクシャクした人間関係しか構築できないのではないのかなどと思うのであります。とは言え、子どものように、自然体で、「お前、変だよ…」なんて言えるものじゃありませんがね。