「夢屋いろはカルタ」23日目は…『む』
「江戸カルタ」では、『無理が通れば道理が引っ込む』であります。
さて、『道理』とは物事の正しい道筋であり、人として行うべき正しい道ということになりますが、この世の中、何が正しくて何が過ちなのか、ほとほと困惑してしまうことが多いものです。
『一寸の虫にも五分の魂』などと言いまして、「3.03cmの虫にも1.65cmの志がある」…そういう単位の問題ではないことは確かであります。正誤の曖昧さというべき問題なのですが、白黒を付けない灰色が大好きな日本人にとって、旗色を鮮明にするということは、中々難しい問題であります。
一昨日、稲刈りを終えた我が家の田圃は、稲刈り後の稲わらで一杯になり、天気予報を見ながら、昨日、乾燥し燃える分だけ大急ぎで燃やしました。いわゆる「野焼き」であります。本来の『野焼き』は、牧草地や畑の雑草を焼く春作業であり、季語としては春を指す言葉でありますが、いつの頃からか、稲作の秋の作業となってしまいました。耕地に稲わらを入れることは、土壌改良につながるような気がしますが、ケイ酸質の強い稲わらは、東北の雪の下では十分に分解せず、そのまま耕作を続けると夏場に「湧く(メタンガス発酵)」ことになります。冠水作業をすることによって、発酵を抑えることが出来るということも聞いたことがありますが、私はその方法を知りません。各農家でヤギや羊、牛を飼育していた頃は、敷きワラとして利用もしておりましたが、半農半サラリーマン化した現在において、有畜農業を実践することなど無理があります。ましてや田舎でも住宅地化した居住地で家畜を飼うなどということは、迷惑千万な行為と言われることでしょう。
循環型の農業が本来の姿であろうなどと主張したとしても…むしろ、どこかに無理が生じる。曰く『道理を追求し、無理が生じる』が今風の農村風景となっているのかもしれません。
月曜日の夜から難しい話をすると、一週間、身が持ちませんので、得意の笑い話を一席。今時、ボンネットを開けてエンジンを冷やす光景など目にしませんが、今朝方自慢の「ボロクソワーゲン」(同郷、山形の「さくらの季節」さん命名)に、液漏れを発見したのですが、整備士がエアコンの水漏れだろうと主張しますので、我が家の古老を見舞いに病院まで出かけますとオーバーヒート状態(エンジンは焼き付きませんでしたが…)。エンジンクーラント(ラジエター液)が完璧に抜けておりました。
病院駐車場で煙草をくわえながら、妻の迎えを待つ夢屋…。背中にオヤジの哀愁が漂っております。
「ホーホッホ。エンジン焼き付かなくてラッキー」
世の中、常に前向き、肯定的に…。記念撮影しながら笑える自分が好きさ~って、「無理を通して、道路渋滞」しなくて良かった…ホッ。