お盆の飾りを片付ける頃、朝方はとても涼しくなり、寝苦しさから解放される季節となって来ました。この夏、私を悩ませ続けた田んぼの『ヒエ』を長男「ポン太郎」君の力を借りて一気に抜き取り(刈り取り)ました。今さら抜いたところで収量に大きな違いはないはずなのですが、田んぼを荒らしているようで気にかかっておりました。自分でも驚くほどの量のヒエ・・・ひとつの課題が解決すると気分的に楽になります。
さらに、放置されていた「夢屋農園」の雑草園と化しており、友人Tの力を借りて日曜の朝に草刈作業。少しずつやれば管理できるだろうと高をくくっていた作業も梅雨以降の雨とカンカン照りの毎日で、荒れ放題。気が滅入る原因ともなっていたのですが・・・。
そうした精神的な落ち込みの原因を冷静に自分自身で分析すると、昨年も作業は辛かったけれども、生きようとする気力を与えるために、報告する相手(古老)が居たこと。色々な失敗も初めての経験だからと受容できる自分が居たことなどが上げられます。所詮、2年目の片手間百姓なのですから、上手く行くはずがないと考え方を改めるしかないようです^^;
考え方を改める・・・?
「ハクサイの播種時期が遅くなってしまった。」⇔「去年も結球はしたのだ。ギリギリ間に合っている。」
「畑が草で荒れている。」⇔「来年は、作物によってマルチの多用と防草シートを使ってみよう。」
「夏アスパラが収穫出来なかった。」⇔「アスパラ畑の畝間を広げて、管理しやすい環境にしよう。」
「子どもたちの就職はどうなるのだろう。」⇔「素直にオヤジの作業を手伝ってくれる息子が居るじゃないか。」
などなど、自分自身の落ち込みの原因となる要素をプラス思考で考え直してみると、そこそこ恵まれている自分自身に気付くのであります。自分で言うのも何ですが、律儀な性格は、時として完璧な姿を求め過ぎる。結果と理想のギャップが、さらにマイナス思考へと自分を追い込んで行くのであります。お盆の仏前に飾る花が無かったなぁ・・・気付けば、お隣の「あさこばあさん」の『サツマギク(アスター)』がきれいに咲いているのであります。来年は、花物を少し作ってみようか。
「問題の先送り」⇔「来年への抱負」
自活への5ヶ年計画は、まだ一年目なのですから、少しずつ。
夕方、小さな畑の一角を一生懸命、草むしりしている「あさこばあさん」を見ながら、コツコツ管理することの大切さを教えられた夢屋であります。
さらに、放置されていた「夢屋農園」の雑草園と化しており、友人Tの力を借りて日曜の朝に草刈作業。少しずつやれば管理できるだろうと高をくくっていた作業も梅雨以降の雨とカンカン照りの毎日で、荒れ放題。気が滅入る原因ともなっていたのですが・・・。
そうした精神的な落ち込みの原因を冷静に自分自身で分析すると、昨年も作業は辛かったけれども、生きようとする気力を与えるために、報告する相手(古老)が居たこと。色々な失敗も初めての経験だからと受容できる自分が居たことなどが上げられます。所詮、2年目の片手間百姓なのですから、上手く行くはずがないと考え方を改めるしかないようです^^;
考え方を改める・・・?
「ハクサイの播種時期が遅くなってしまった。」⇔「去年も結球はしたのだ。ギリギリ間に合っている。」
「畑が草で荒れている。」⇔「来年は、作物によってマルチの多用と防草シートを使ってみよう。」
「夏アスパラが収穫出来なかった。」⇔「アスパラ畑の畝間を広げて、管理しやすい環境にしよう。」
「子どもたちの就職はどうなるのだろう。」⇔「素直にオヤジの作業を手伝ってくれる息子が居るじゃないか。」
などなど、自分自身の落ち込みの原因となる要素をプラス思考で考え直してみると、そこそこ恵まれている自分自身に気付くのであります。自分で言うのも何ですが、律儀な性格は、時として完璧な姿を求め過ぎる。結果と理想のギャップが、さらにマイナス思考へと自分を追い込んで行くのであります。お盆の仏前に飾る花が無かったなぁ・・・気付けば、お隣の「あさこばあさん」の『サツマギク(アスター)』がきれいに咲いているのであります。来年は、花物を少し作ってみようか。
「問題の先送り」⇔「来年への抱負」
自活への5ヶ年計画は、まだ一年目なのですから、少しずつ。
夕方、小さな畑の一角を一生懸命、草むしりしている「あさこばあさん」を見ながら、コツコツ管理することの大切さを教えられた夢屋であります。