蟋蟀庵便り

山野草、旅、昆虫、日常のつれづれなどに関するミニエッセイ。

宴、尽きることなく

2022年07月07日 | 季節の便り・虫篇

 3月15日 鶯 初鳴き
 3月27日 ハルリンドウ 開花
 4月 3日 ベニシジミ 初見
 4月 6日 イシガケチョウ 初見
 6月10日 ホトトギス 初鳴き
 7月 1日 クマゼミ 初鳴き
 7月 2日 アブラゼミ 羽化1号
 7月 4日 アブラゼミ 初鳴き
 7月 5日 ヒグラシ 初鳴き、クマゼミ 羽化1号

 こうして、今年も宴が始まった。もう20年近く、この時期になると、夜陰に紛れて庭の八朔の木の下に立つ。60ミリのマクロを噛ませたカメラを手に、およそ2時間かけて、蝉たちの羽化に立ち会い、命の不思議に寄り添うのが習慣になった。もう何度も何度も撮っているのに、数十枚の連続写真を撮ってしまう。三脚が立たない高さだから、自らを三脚にして目の高さの誕生を撮り続ける。
 夕方の散水では、いやというほど藪蚊に苛まれるのに、何故かこのセミ誕生の2時間余りは、一度も蚊に刺されたことがない。謎を謎に残したまま、今夜もTシャツの腕を剝き出しにしたまま、カメラを支え続けていた。
 生まれたばかりのセミの羽の、この神々しいまでの美しさはどうだろう!
 多い時には120匹を超えていたセミの羽化が、ここ数年40匹から60匹に減っていた。それに呼応するように、かつては160個も実っていた八朔が、近年は30個程度に減っている。古木になって生命力が衰えてきたのもあろう。また、地下根を数百匹のセミの幼虫に吸わせている疲労もあるのだろう。命誕生の宴の席にも、それなりの歴史があるのだ。
 ニイニイゼミ、ヒグラシ、アブラゼミ、クマゼミと夏を追い立て盛り上げ、やがて8月半ばからツクツクボウシが秋風を呼び始める。最短最早で終わった今年の梅雨、6月から押し寄せてきた猛暑、既に37.2度まで記録して、どこまでこれから高温の日々を重ねるのだろう。虫たちの世界にも、それなりの異変もあるのだろうが、目につくのはむしろしたたかな順応力である。
「ジリジリジリジリ!」と暑苦しく絡みつくアブラゼミ、「ワシワシワシワシ!」と頭に共鳴するほど姦しいクマゼミ、いずれも油照りの夏の暑さをうんざりするほど思い知らされる鳴き声なのに、コロナ禍で聴く鳴き声に、ふっと元気をもらったような気がした。
 6年も7年も地中に潜んで命を育み、ようやく地上に出て羽化し、束の間の命を種の維持の為だけに鳴きたてる。胸板を激しく震わせながら雌に訴える雄の健気さは、80余年生きた老体にまで、明日への命を吹き込んでくれるように思えた。。

 それに較べて、人間の脆さ!七夕を前に、新型コロナ感染者数は増加の速度を上げ、福岡県に再び「コロナ警報」が発出された。第7波はお盆頃のピークを予想させながら、上昇のカーブを急角度に持ち上げようとしている。再開した気功も読書会も、再び中断のやむなきに至った。。
 7月6日夕刻、第4回目のコロナワクチン接種通知が届いた。すぐにPC を立ち上げてWebを開き、5分で12日15時の予約を完了した。徒歩10分の近場の接種会場で、モデルナを選んだ。「ファイザー→ファイザー→モデルナ→モデルナ」のパターンである。重症化予備軍の後期高齢者に、躊躇う余裕はない。副反応がとやかく論じられているが、幸い3回目まで殆ど気にするほどの副反応はなかったから、迷わず早い時期優先で申し込んだ。
 カミさんには10日前に通知が来たが、緑内障手術を6月30日に控えていたから、「術後2週間以降」という眼科主治医の指示に従い、7月23日の予約を取った。

 世の中のすべてがコロナを軸にうねり、今までとは異質な社会を作りつつある。ITとかSNSとかという横文字の美名のもとに、「情報弱者」という上から目線の一括りで取り残されていく高齢者。高度成長を成し遂げ、一流国家の地位を維持し続けたのは、その高齢者たちだったという事実も、もう「年寄りの愚痴」でしかない。

 羽化開始から5日で10匹を数えた。昨夜は4匹の競演、多いときは10匹を超えるセミたちが鈴なりになって羽化する。
 娘からLineが来る。「毎晩ご苦労さま。夜も猛暑だから、水分摂ってね!セミの羽化見てて倒れたとか、しゃれにならん。朝、ジイジの脱皮見つけるみたいなのは嫌だわよ!」
 いつも、遠くから心配してくれる娘である。

 一段と遠くなった「昭和」が、「頑張れよ!」と囁きかけてくる。
 シンドイ夏になりそうである。
                     (2022年7月:写真:始まった羽化の競演)

究極の愛

2021年08月23日 | 季節の便り・虫篇

 カネタタキが、秋の扉を「チンチン♪」と叩く。半月続いた熱中症警戒アラート、その後に待っていたのは、無限に続きそうなほどの雨の毎日だった。二つの気候災害(それは決して自然のものでなく、積み重ねてきた人間の奢りへの報いでもあった)を引っ提げて、コロナは感染拡大を続けている。果てしない戦いである。

 切ないまでに壮絶な、究極の愛の記事を見た。8月21日、西日本新聞朝刊のコラム「春秋」から引用させていただく。

 ――生涯同じ相手と暮らし、協力して子を育てる。沖縄の森の朽木に生息するリュウキュウゴキブリは「厳密な一夫一妻」だという。雌雄が出会うと、互いの羽を根元まで食べ合って飛べなくしてしまう▼そんな不思議な生態を発見したのは、九州大の大学院生の大崎遥花さん(27)――

 そうなのだ、沖縄のゴキブリは大型で、飛ぶし、鳴く。限りなく虫を愛でる元昆虫少年の私でも、さすがにゴキブリと藪蚊だけは、殺すことを躊躇わない。
 その仲間のクチキゴキブリの物語である。

 ――雌が雄を食い殺すカマキリなど、異性を一方的に食べる行動は知られていたが、両性で食い合うのは今のところ、この種だけ。「相手を飛べなくして別の相手に出会わせず、育児に参加させ、子をなるべく多く残している可能性がある」と大崎さん。

 ちょっと言葉を添えておこう。「雌が雄を食い殺すカマキリ」という表現、交尾中に背中に跨った雄をむしゃむしゃ食べる、実はこんな例はごく稀で、カマキリの目には動くものは全て餌、それがカマキリの雄だからと言って、容赦はしないだけのことである。食い殺すのではなく、餌として食べる純粋な行為でしかない。

 虫の世界に、切ない愛(?)の話はいろいろある。 

 最近、めっきり見掛けなくなったミノムシ、蓑蛾の幼虫なのだが、その雌は一生蓑から出て空を飛ぶことなく、フェロモンを撒いて雄を呼び寄せ、ミノの底から尾を差し込んだ雄と交尾し、全身卵に埋め尽くされて蓑の中で生涯を終える。

 カゲロウは成虫となって川面を舞う時間は数時間しかない。なぜなら、陽炎の口はほとんど機能しなくて、餌をとることが出来ないのだ。オスは川面などの上空で群飛し、この集団中にメスが来ると、長い前脚でメスを捉え、そのまま群から離れて交尾する。餌を取らず、雌は水中に産卵すると、ごく短い成虫期間を終える。カゲロウは、ただ交尾して種を残す為だけに誕生する。

 里山の放棄・開発などで個体数を激減させているギフチョウの雄は、交尾が終わると、特殊な粘液を分泌して雌の腹部の先に塗りつける習性がある。塗りつけられた粘液は固まって板状の交尾嚢になり、雌は2度とほかの雄と交尾することが出来ない。よく、人間の貞操帯に例えられる。

 春秋の最後は、大崎さんのこんな言葉で閉じられていた。
 ――「好きなものをつぶさに観察していれば、どんどん疑問が湧いてくる。知られていないこと、面白いことは世の中にまだたくさんある」――

 初物の無花果をいただいた。あるブログに、こんな記載があった。
 ――古代から、イチジクは様々な神話に出てきます。ギリシャ神話では、豊穣の女神デメテルが与えたとされています。元々ティターンという巨人族との戦いの中、大地の母神ガイアの子供達が育てたとか、古代ローマでは、バッカスが伝えたとか、ロムルスとレムスがイチジクの木に助けられたとか。
 ユダヤ神話(旧約聖書)では、エデンの園で食べてはならない禁断の果実とされていたのがイチジクとも言われ(りんごとも言われてますが)、罪を犯したアダムとイブが、陰部をイチジクの葉で覆ったとか、
 まぁ、なんだかよくわかりませんが、とにかく古代から西洋ではイチジクが神話の中でも人々の生活でも欠かせなかったのでしょう。
そんな古代の神話と歴史に思いを馳せながら食べるのが、イチジクの醍醐味です――

 フム、神話を噛み締めながら、イチジクの醍醐味を味わうことにしよう。
                      (2021年8月:写真:初物のイチジク)

晩夏に供える

2021年08月07日 | 季節の便り・虫篇

 35度、6度、7度が当たり前になり、熱中症警戒アラートが半月以上続く中を、青息吐息の日々が続く。
 8月7日立秋、早朝ウォーキングで願掛けに詣でた石穴稲荷の杜の奥から、ツクツクボウシの初鳴きが降ってきた。去年より5日早い。まだ6時前の仄暗いこの時間は、森林性のツクツクボウシにとってはヒグラシと共存の時である。日が昇る前のこの僅かな時間はヒグラシもまだ鳴いており、アブラゼミとクマゼミと4種のセミのせめぎ合いの時間となった。
 寒さに弱いツクツクボウシだが、温暖化とともに、北限は東北まで拡がったという。呼応するように、東北地方のアブラゼミが少なくなっている。虫の世界にも、それなりの事情があるらしい。
 歩き戻った玄関の石畳に、命を終えたアブラゼミが横たわっていた。生殖の務めを果たし、ひっそりと短い命を終えた。もうそんな季節である。せめて、元気に鳴いていた頃の写真をブログに添えて、この晩夏の気配に供えよう。

 凶暴な暑さが続く中で、今年は小さな我が家の庭に異常が相次ぐ。多いときは100匹を、少なくても60匹を超えていたセミの羽化が、僅か29匹で終わった。10株のパセリのプランターで、もう何匹も育っている筈のキアゲハが全く訪れない。スミレのプランターにも、ツマグロヒョウモンの幼虫が現れない。そして、八朔の実が殆ど落ちた。
 何かがおかしい。自然界のリズムが、どこかで変調を来たしている。

 コロナの感染拡大が加速し続けている。連日、過去最高!とテレビが叫ぶ。デパ地下やスーパーやコンビニでもクラスターが発生、日常生活圏にじわじわと魔手が伸びてきている。
 シラケ切ったオリンピックである。バッハは「日本人の10人中9人が見ているから、大成功!」と一人はしゃぎしているが、どのテレビのチャンネルもオリンピックしかやってないから、BGM代わりに流しているに過ぎない。参加することに意義があったオリンピックも、今は拝金主義(金権と金メダル至上主義)に毒されてしまった。それを政治的に利用している愚かな政治屋がいる。

 そんな中で、数少なく期待して夜中近くまで待っていた男子400メートルリレーで、日本チーム途中棄権という信じられない事態が起きた。日本の専売特許であった「アンダーハンドパス」でバトンが渡らなかったのだ!
 一走の多田のスタートは非常によかった。しかし、二走の山県の手にバトンが渡らなかった。唯一この種目に賭けていた桐生は、呆然と佇むだけだった。アンカーの小池は何が起きたかもわからないような顔をしていた。

 「アンダーハンドパス」には、私自身の深い思い入れがあった。中学時代に陸上競技にのめり込み、365日走り込みを重ねていた。短距離と走り幅跳びが、私の得意種目だった。福岡市大会の100メートル走で、某中学の宿敵に負けて12秒5で2位に終わった。(翌年、11秒6の中学新記録が出たくらいだから、福岡市の水準はそれほど高くはなかったが)
 当時、中学には400メートルリレーがなく、一人200メートルを走る800メートルリレーが花形種目だった。
 多分全国全てのリレーで、バトンを落とすリスクが少ない「オーバーハンドパス」(前の走者が右手の掌を上に向け、後ろの走者が左手でバトンを上から掌に置く。受けた手を返して左手に持ち替える)が当たり前だった。しかし、後ろの走者のスピードが落ちて、タイムロスしやすいというデメリットもあった。
 たまたま、3年前の昭和26年(1951年)に創刊された「陸上競技マガジン」で、初めて「アンダーハンドパス」というバトンタッチを知った。
 前の走者が手の平を下に向け、後ろの走者がバトンを下から手の中に叩き入れると、反射的に前の走者は握り込む。その手を捻ることなく走りながらバトンを左手に持ち替える……そんなイメージで練習を重ね、次々に5本の優勝旗を勝ち取ってきた。県下無敵のリレーチームだった。68年前、私は二走、まさしく山県の位置にいた。

 その「アンダーハンドパス」を初めて採用した日本チームが、5年前にリオのオリンピックで銀メダルを獲った。バトンを落とすリスクは増えるが、スピードを落とすことなくバトンパスができるから、タイムアップが期待される。今回のオリンピックに較べ、9秒台の選手が一人もいない中で勝ち取った銀メダル、その一因はこの「アンダーハンドパス」にあった。近年、中国でも取り入れられているという。
 しかし、攻めの姿勢は裏目に出た。4人にとっては、悪夢のような一瞬だっただろう。

 68年前の、グランドを駆け抜けたスパイクシューズの感触を思い出しながら、昨夜の眠りはなかなか訪れなかった。
 こうして、青春は遠い歴史の中に埋もれていく。
                    (2021年8月:写真:アブラゼミ)

暑気払い

2021年06月28日 | 季節の便り・虫篇

 一瞬、加齢による耳鳴りかと思った。甲高く、それでいて地を這うような音が「チ~~!」と続いていた。晴れるとも曇るともない中途半端な梅雨空から雪崩落ちる湿った暑熱の下を庭に出てみたら、音の源は少し生い繁り過ぎたキブシの葉陰だった。  
 「そうか、ニイニイゼミか!」
 昨日、宵闇が木立の間に蹲り始める7時半過ぎ、石穴神社の杜からヒグラシの初鳴きが届いたばかりだった。去年により2日早い初鳴きだった。その翌日、負けじとばかりに空気を震わせたのがニイニイゼミだった。

 大学時代に、なぜか好きになった童謡がある。「夕方のおかあさん」という。(作詞:サトウ ハチロー:作曲:中田喜直)
   カナカナぜみが 遠くでないた
   ひよこの かあさん 裏木戸 あけて
   ひよこを よんでる ごはんだよォ~
     ・・・ごはんだよォ
   やっぱり おなじだ おなじだな

 ヒグラシは、日本を含む東アジアに分布する中型のセミで、朝夕に甲高い声で鳴く。その鳴き声からカナカナ、カナカナ蟬などとも呼ばれ、漢字は蜩、茅蜩、秋蜩、日暮、晩蟬などがあり、俳句では秋の季語にもなっているが、実は梅雨半ばの今頃から、ニイニイゼミと初鳴きの先陣争いを始めるセミである。
 秋が深まる9月中旬まで朝夕薄明の中で鳴くヒグラシは、少し哀愁を漂わせて如何にも秋の季語に相応しい。「日を暮れさせるもの」としてヒグラシの和名がついた。
 蜩という漢字にふと惹かれる。この漢字は「チョウ」または「ジョウ」と読み、蝉の総称という。また、「虫と周」でセミの声を真似たテウ、デウという擬声語とあり、昔中国人はセミの鳴き声をテウ、テウと聞き取ったことに由来があるらしい。今は中国ではセミの鳴き声は「知了(チーリャオ)」という。

 好きな作家・葉室麟に「蜩ノ記」という時代小説がある。第146回直木賞受賞作である。
 「豊後羽根藩の城内で刃傷騒ぎを起こした檀野庄三郎は、家老・中根兵右衛門の温情で切腹を免れたものの、僻村にいるとある男の監視を命じられる。その男とは、7年前に藩主の側室との不義密通の罪で10年後の切腹と家譜の編纂を命じられ、向山村に幽閉されている戸田秋谷だった。秋谷の切腹の日まで寝食を共にし、家譜の編纂を手伝いながら秋谷の誠実な人柄を目の当たりにするうちに、庄三郎は秋谷に敬愛の念を抱き、次第に秋谷の無実を確信するようになる。やがて庄三郎は、秋谷が切腹を命じられる原因となった側室襲撃事件の裏に隠された、もう1人の側室の出自に関する重大な疑惑に辿り着く。」

 「蜩」という言葉がよく似合う深みのある小説だった。

 粘りつくような31.3度の暑さの中で、昼下がりのニニイゼミを聴いていた。カミさんが、暑気払いにお茶を点ててくれた。太宰府天満宮の参道にある「梅園」という店で売られている「宝満山」という知る人ぞ知る大宰府の銘菓が、お抹茶を引き立てる。
 太宰府天満宮の裏に聳える800メートルあまりの修験者の山に名前を由来し、優しい甘さに包まれた品位溢れる銘菓である。3度登ったら馬鹿と言われるほど石段が続く厳しい山に、若いころ30回近く登っているが、その程度では自慢にもならない。毎日登る人もいるし、3000回踏破を誇る人がいたりする。これはもう、憑かれているとしか言いようがない。

 梅雨前線がまた南に下った。
                         (2021年6月:写真:暑気払いの一服)

コロナ・ワクチン顛末記

2021年06月11日 | 季節の便り・虫篇

 昨日の33.9度の炎熱が嘘のように、戻り梅雨の雨が降りしきり、気温は26度まで下がった。

 24時間が経過した。夕方頃から接種痕の周り掌サイズの範囲が重く痛み出し、今朝がた、いつもの早朝ストレッチで腕を上げるのがつらいほどの痛みとなった。しかし、36.3度の平熱であり、倦怠感もない。重く曇った空からは、今にも雨のしずくが零れそうだが、気にせずに歩きに出た。日の出が早くなり、今までの時間帯では日差しが当たって汗になるから、昨日から6時にウォーキングに出ることにしている。
 午前中の重い痛みが、24時間過ぎるころには殆ど軽減し、夜には治まりそうな様子である。インフルエンザ・ワクチンでも腕が腫れ上がり、時には熱発することがあるカミさんも、まだ痛んではいるがひどくはなっていない。今朝方、36度8分あった微熱も落ち着いた模様である。心配していたコロナ・ワクチン接種の副反応は、こうしてさほどのこともなく通り過ぎていこうとしている。

 5月18日夕方、郵便で届いたワクチン・クーポン、開封するなりパソコンを立ち上げWEBを開き、10分足らずで予約を取った。その日が昨日、6月10日木曜日の14時30分~15時だった。
 茹だるような炎天下、近くのドラグストアの駐車場に車を置いて、会場に向かった。廃業した元スーパーに間仕切りして、誘導看板と床に描いた矢印で、2階の接種会場まで誘導される。ニュースで見た首都圏など大規模接種会場の大行列に不安があったが、人っ子一人いない誘導路に、少し拍子抜けする。エレベーター下に係員が一人いるだけで誘導され、2階の受付に立った。手前半分のブースに並べられた椅子は30脚ほどであり、多分30分刻みで30人が予約数なのだろう。整理番号37番をもらって椅子に掛けた。
 10分ほどで呼び出しが始まる。31番からの呼び出しだった。多分、私たちの前の組、14時からのグループが1番から始まったのだろう。5分も待たずに37番が呼ばれ、係員の前で検温、クーポン確認、問診票チェック、マイナンバー・カードを示して身分確認が終わると、バインダーを抱えて別室に誘導される。並んだ椅子に座る間もなく個室に導かれ、医師による問診表のチェックが1分で終わる。
 念の為「発熱した場合は、すぐ解熱剤を服んだ方がいいのでしょうか?それとも、自然に下がるのを待った方が、ワクチン効果が上がるのでしょうか?」と問うと「38度超えるようなら、解熱剤を服んでかまいませんが、掛かり付け医に相談してください。そのままでも、熱は数日で下がりますから心配ありません」と明快な返事が返ってきた。
 再び誘導路に導かれて別室に移り、ここも座る間もなく個室に招かれて、女医さんか看護師か、若い女性の前に横を向いて座り、あっという間に左腕肩に近い辺りにワクチン接種が終わった。

 誘導路の矢印に沿ってさらに別室に進む。指示された番号の椅子に坐り、15分間の待機となる。バインダーの書類には、「接種時間:14時37分、経過観察所の座席番号19番、14時52分まで経過観察所で待機してください。時間になりましたら退室してください」と記載されている。 
 待つ間に係員が回ってきて、2回目の接種予約を取ってくれる。原則、3週間後の同じ曜日、7月1日の14時30分に予約可能だが、少しひどくなるかもしれない2回目の副反応に備え、カミさんの予約時間より3日後の4日日曜日の9時30分に予約させてもらった。係員も、「お二人同時より、その方がいいと思います」と言ってくれる。
 退室して外に出たら、まだ15時前だった。30分足らずで全てを一瞬の滞りもなく進めた手順に感服して、安心感・信頼感が一段と増した。お風呂もよし、お酒も適量ならよしと、インフルエンザ・ワクチンより制約が少ないのもいい。

 Y農園を営む友人から、1枚の写真を添えて「これは何ですか!?」というLINEが届いた。初めて見る虫だった。頭の鮮やかなピンクが、輝くように美しい!中学生の頃から好きだったイタドリハムシにも似ている。ハムシの一種と思ったが、気になって九州国立博物館のボランティアをやっていた頃に世話になったYさんにメールで送った。虫の知識は半端なく、「昆虫博士」と私が名付けた女性である。
 一発で返事が返ってきた。オオキンカメムシだった!この歳になっても、初めて見るものは嬉しい!夕飯後のひと時、痛み始めた腕も忘れて、綺麗な姿に見入っていた。
                      (2021年6月:写真:友人が撮ったオオキンカメムシ)

《追記》  翌朝、腕の痛みは完全に治まっていた。


秋を舞う

2020年09月28日 | 季節の便り・虫篇

 ささやかなGo Toピクニックだった。秋空があまりに爽やかで、家籠りには勿体ないほどの青さだった。

 カミさんが、「外を歩こうよ!」と誘う。まだかすかに違和感がある身体だが、家に燻っているよりは、自然の風に身を委ねた方がいいかもしれない……ショルダーに冷えたお茶を1本放り込んで車を出した。

 途中、いつものようにコンビニに寄り、お握りを2個ずつに白菜の浅漬け、焼き鳥4本、デザートを2品仕込み、観世音寺駐車場まで車を走らせた。非常事態宣言の時には閉鎖されていた駐車場だが、月曜日というのにそこそこの車の数である。
 戒壇院前の畦道に、真っ赤な彼岸花が白い花と並んで最盛期である。花もいい。しかし、その花に戯れるキアゲハとモンキアゲハが、さらにいい!エンジンがいかれて放棄してしまった一眼レフの後継はまだいないから、スマホ片手にそっと迫っていく。
 この季節、もう多くの蝶が翅をボロボロに傷め、見るからに痛々しい。越年の営みは既に果たした時期である。やがて姿を見せなくなる蝶を、こんな哀れな姿で見送るのは切ないが、せめて傷んだ翅が隠れるアングルを見定めながら、素早くシャッターを落とす。健気に生きた小さな命にサヨナラの拍手を送りながら、辛うじて撮った貴重な1枚だった。

 垣根越しに真っ盛りの萩の花を見ながら戒壇院の脇を抜け、観世音寺の裏に出た。いつも野菜をいただくY農園のコスモスを確かめに寄る。秋の農繁期、冬野菜の種蒔きも終わり、延び上がった里芋の葉の向こうに、丈を伸ばしつつあるコスモスが一面に拡がっていた。里芋の手前にはサツマイモの蔓も延びている。楽しみに待っている芋掘りも、もう間もなくだろう。
 
 猪除けの柵を廻らせた田圃には、刈り入れ間近の稲穂が頭を垂れていた。実りの秋である。柵の根元まで、猪がくまなく掘り起こしている。猪にとっても、冬場に向けた大事な実りの季節なのだ。かつて人間に奪われた生活圏を、徐々に猪が取り戻し始めている。猿や狸、ハクビシン、アナグマ……近頃、宅地の中でも見かけることが多くなった。生きるための鬩ぎあい、時には人が負けるのもいい。

 市民の森・秋の森に抜けた。道端の萩の葉蔭のベンチに座り、コンビニお握りランチである。暑くなく、寒くなく、捲り上げた腕を吹きすぎる風が何とも心地よかった。
 南高梅と日高昆布の何でもないお握りなのに、こんな自然の風の中で食べると、フレンチのフルコースに負けないほど美味しく感じられる。青空と日差しと風と緑と花と……コロナも、ここまで攻め込むことは出来ない。
 古より歌に詠まれることの多い萩の花だが、写真に撮るとあまり絵にならない。もう稀になったツクツクボウシが懸命に鳴き立てるが、「ツクツク♪」が風に紛れて聞こえず「オーシ、オーシ♪」だけが耳に届いて、何とも滑稽である。

 心身ともに癒され満たされて帰る田圃道、電線に数十羽の雀が群れて並んでいた。これほどの雀の群れを見るのは何年振りだろう?ここにも、実りの秋を舞う命があった。
 大事にしたい、たけなわの秋である。
                     (2020年9月:写真:彼岸花にキアゲハ舞う)

季節の亡び

2020年08月18日 | 季節の便り・虫篇

 初鳴きは7月2日だった。それから僅か40日ほど後の8月12日、ツクヅクボウシが秋を呼ぶ初鳴きを聴かせた。耳鳴りがするほど庭に君臨していた「ワ~シ、ワシ、ワシ、ワシ!」という姦しい声も既に盛りを過ぎ、日毎に法師蝉の「オ~シ、ツク、ツク!」に王座を譲り渡していく。

 過激な暑さが続く。史上最高の41度超えという浜松の記録に霞んでしまっているが、ここ太宰府でも昨日は36.5度、私の平熱と同じである。
 そうか、私の体温は、こんなに暑っ苦しく、鬱陶しいのか!
 「いえいえ、同じ温度でも、大気と体温では全く異質です!人肌の、ほっこりとする優しい温もりと一緒にしないで下さい!!」と、誰か言ってくれないかな。

 昨日の朝、エイザンスミレの食べ残した茎に下がっていたツマグロヒョウモンの蛹が、丁度殻を破って羽化するところに出くわした。3頭目の羽化である。
 2頭目は、既に羽化が終わった後だったが、今回は見ている目の前で背中が割れ、くしゃくしゃに丸めたような翅が現れた。急いでカメラを取りに行っている僅かな間に、惜しい!!既に翅が伸びきって、弱々しい触覚も垂れ下がっていた。思った以上に速い変化だった。

 昆虫少年を自認して70年、長い長い虫たちとの付き合いだったが、蝶の羽化の瞬間に立ち会ったのは今年が初めてだった。蝉の羽化は夜9時過ぎから長い時間を掛けるが、蝶は朝7時頃から一瞬で羽化する……新しい体験だった。
 ツマグロヒョウモンの蛹は、まだ2つプランターの蓋と、横たえていた庭仕事用コロ付き椅子の縁にぶら下がっている。指で触ると、くねくねと身をくねらせて威嚇する。あの10個の黄金色の突起が、朝の陽ざしを受けてキラキラ光る。やはり、この黄金色も威嚇の装備なのだろうか?

 やることもなく、行くところもないコロナ籠りのお盆を前に、公安委員会から運転免許証更新に伴う「認知機能検査・後期高齢者講習通知」が届いた。来年1月18日が、多分私の最後の免許証更新になる。
 3年前は盆明けを待って予約を入れたら、既に10月末しか空いていなかった。それに懲りて、今年は即日予約の電話を入れたら、「最も早い日は、9月9日の9時10分、福岡試験場です」と答えが返ってきた。ありがとう!なんのi異存があろう。 
 屈辱的検査ではあるが、己の脳の健康度を知る得難いチャンスでもある。前回の97点を超えるのは無理にしても、49点未満で「認知症専門医の診断」になることはないだろう。
 不安?楽しみ?……ギラギラの夏空を見上げながら、自分の内心を転がして遊んでいた。

 庭の片隅に、クマゼミの雄と雌の亡骸が転がっていた。一つの季節の亡びである。
 長い長い地中の生活を経て地上に這い上がり、羽化して1週間ほどの命である。ひたむきに鳴き立て、伴侶に巡り合って交尾し、次世代への命を繋げば使命は終わる。繁殖行動を終えて静かに横たわる亡骸は、哀しくもあり、また美しくもある。繋がれた命が再び地上に現れる姿を私が見ることは、多分もうないだろう。

 「頑張って生きたね!」と心の中で声を掛けながら、二つを側近くに並べて寄り添わせてやった。
                   (2020年8月:写真:寄り添うクマゼミの亡骸)
             

誕生劇、終章

2020年08月10日 | 季節の便り・虫篇

 台風5号が九州の西の海上を北上する午後、時折烈風と雨が剪定が終わった庭木を大きく揺する。この数時間のずれが、おそらく命の誕生に小さな奇跡を齎したのかもしれない。

 いつものように5時半に起床、ストレッチのあとのウォーキングをやめて、日差しが穏やかなうちに庭の手入れをしようと縁から降りた。その瞬間、紫陽花の繁みの中から一頭の蝶が舞い出た。薄い黄褐色の地に、やや濃い黄褐色の斑点を散らしたツマグロヒョウモンの雄だった。前翅の先端部表面が黒(黒紫)色地で白い帯が横断し、ほぼ全面に黒色の斑点を散らした雌に比べ、少々地味な雄である。せめてもと、後翅の外縁を黒く縁取っている。
 
 エイザンスミレのプランターで育った幼虫が、いつの間にか姿を消していく。垂直に下がって蛹になる場所を探して行方をくらますのだが、ここ数日狩り蜂が飛び回っているのが気になっていた。狩り蜂の穴が既に4か所、幾つかには狩られたキアゲハやツマグロヒョウモンウモンの幼虫が麻痺させられて眠っているかもしれない。これも厳しい大自然の摂理である。

 1時間半掛けて、生い茂り始めた雑草をねじれ鎌で根こそぎにこそげ取っていった。背中に照り始めた日差しにはまだ苛烈さはなく、汗にまみれながら家の周りを全て刈り尽くした。Tシャツの胸が汗で黒ずんでいく。眼鏡に汗が滴り落ちる。一気に掃き集めてごみ袋に詰め終わったら、既に8時だった。
 土を均しながらふと見やった先、プランターの淵に下がっていた蛹から、ツマグロヒョウモンがもう1頭羽化したばかりの姿が目に入った。まだ体液が十分届いていないのか、触覚も力なく垂れ下がったままだった。薄く開いた翅の間から黒い地色と白帯が見える。今度は雌だった。

 朝食を終えて再び庭に下り立つと、それを待ってくれていたようにピンと触覚を伸ばして羽搏き、近くのキブシの枝に飛び移った。卵を産み付けるところから見守った誕生劇の、まさに終章である。
 羽化の瞬間を見るのは難しい。一日中蛹の前に座っているわけにもいかないし、多分早朝の羽化だったのだろう。羽化直後の弱弱しい瞬間から見届けられただけでも、稀に見る僥倖なのである。
 数時間羽化が遅れていれば、この激しい雨風の中では危うかった。小さな奇跡という所以である。

 この春から夏にかけて、この蟋蟀庵でどれほどの命が誕生したことだろう。空蝉も、その後増えて65匹を数えた。今日、ツマグロヒョウモンの雄雌2頭、まだ縁の下にキアゲハの蛹が1頭、エイザンスミレの葉裏にはツマグロヒョウモンの蛹が2頭、さらに幼虫が2頭育っている。蛹の足場に、枯れ枝を数本プランターに立てた。
 目に見えないところでも、いろいろな小さな命が生まれていることだろう。軒下のアブラコウモリも、やがて子育てを始めるかもしれない。
  
 奔り過ぎた雨のあと、烈風だけが残った。月下美人の鉢も倒れるほどの風の中を、1頭のアオスジアゲハが飛ばされていった。
 「悪いな、蟋蟀庵にはお前さんの餌(クスノキ)は無いよ。天満宮迄飛ばされて行きなさい」

 気温33.5度の昼下がりである。
                         (2020年8月:写真;:ツマグロヒョウモン誕生!)

「食っちゃ寝、食っちゃ寝」の夏

2020年08月05日 | 季節の便り・虫篇

 7月30日、平年より11日遅れて梅雨が明けた。長い長い雨の日々だった。そして、いきなりの猛暑が殴り込んできた。

 その日から丸2日かけて、新しい植木屋さんが庭に入った。一軒隣りに越してきた、まだ若い植木職人である。これまで、父の代から半世紀以上面倒見てくれていたカミさんと同い年の植木屋さんが、梅雨前に松の剪定に来て、いきなり「今日で仕事辞めます。あとは誰か探してください」と言って、それ以来音信不通になった。
 植木屋さんが体調を壊して、この5年ほどお気に入りの松以外は放置したままだったから、鬱陶しいぐらい生い茂っていた。その庭が、見違えるほどスッキリと風通しがよくなった。思い切って刈り込んでもらったから、まるで違うお屋敷に来たみたいである。

 そして昨日、大宰府は36.2度を記録、「全国一」という有り難くない全国ニュースの話題になった。コロナなしでも、高齢者にとっては生きているのがやっとという過酷な暑さである。コロナと同時に熱中症の心配までしなければならない。親しい友人とも、濃厚接触どころか会うことも叶わず、カミさんと二人で、ひたすら「食っちゃ寝、食っちゃ寝」の毎日である。
 明日は広島原爆の日、そしてアメリカに住む次女の誕生日、さらに私の人工股関節置換手術2年目の定期検診日である。そして、その翌日には暦の上の秋が立つ。秋の気配など、どこにもない。クマゼミやアブラゼミは、テレビのボリュームを上げなければならないほど姦しく鳴き立てている。梅雨明け1週間で、もう夏バテ気味……これが歳を取るということなのだろう。

 蝶の成長記録を、カメラに残すのが何よりの楽しみである。取り敢えず写真だけのブログを続けた。10株のパセリを全て食い尽くして、5頭のキアゲハが育ち、蛹になり始めた。緑に黒い帯を何層も並べ、その上にオレンジを散らしたあの美しい終齢幼虫からは、想像もつかないほどに地味な茶色の蛹になった。背中に糸を掛けて、垂直な面に斜めに身体を止める。
 例年と異なって普通のスミレは少なく、殆どが大判のエイザンスミレばかりを集めたプランターで心配していたが、いつの間にか4頭のツマグロヒョウモンの幼虫が育ち、既に2頭が蛹になった。褐色の肌に不思議な黄金色の突起が並ぶ。この突起は、あの蝶のどの紋様に作用するのだろう?
 こちらの蛹は背中に糸を回さず、縁側の下やプランターの縁の下に尻尾だけでぶら下がる。同じ蝶でも、種類によって蛹の姿勢まで異なる。だから、自然と向き合うのはワクワクするほど楽しい。

 「もー、なしてかいね。頭のどげんかなってしまいよう。はようあの世に行かないかん!」
 西日本新聞7月紅皿賞をとった内野友紀子さんの一文である。88歳の祖母は……ここ数年で物忘れが急に進み、できないことが日に日に増えてきた。調子にも波があり、悪いときはできない自分にいら立つ。
 そんな時、私と母は「そうか、今日は『そういう日』かと思うことにしている。誰にだって波はあって当たり前。物忘れもわざとじゃない。どんなに頑張っても、できないものはできない。しょうがないじゃないか、人間だもの。それに、一番不安なのは祖母なのだ。
 だからやり過ごしてしまおう「えー?『忘れる』って大事なことよ。いやなことは早く忘れはほうがいいし、何回同じことをしても初体験になるなら、毎日新鮮に過ごせてお得やん。大切なことは代わりに覚えとくけん、安心して忘れていいよ!」

 何と優しい言葉だろう!やがて(既に?)我が身、いやなことばかりじゃなく、いい想い出さえ忘れがちな昨今、このお祖母ちゃんの気持ちは他人事じゃない。そのあとの言葉が更にいい。
 ……「ばあちゃん、「近々あの世に行くつもりやったと?ダメダメ、世の中がいろいろ大変なときやけん、今はやめときぃ」気付けば祖母も大笑い。よしよし、作戦大成功!……

 3世代が身近に暮らす、幸せなご家族なのだろう。

 さて、今晩は何食って寝ようか?……それだけの悩みしかない我が家も、それなりに幸せな家族なのかもしれない。
 油照りの午後である。
                        (2020年8月:写真:ツマグロヒョウモンの蛹)