夜半、激しい風雨が湯布院のペンション・Mを襲った。風がびょうびょうと哭き、雨が窓を叩く。まだ若い周囲の木立が弓なりに煽られる中を、夜の時が過ぎていった。2日間の山歩きのけだるい疲れが一層眠りを浅くさせる。新芽が美しく萌える春木立の中で絢爛と咲き誇っていた山桜がしきりに気にかかった。
半年ぶりの山だった。初日、定宿のKヒュッテに車を置き、緑の風の中で憩う家内を預けて、N夫妻と3人で長者原に下った。背中のザックと胸に抱いたカメラの間で、鼓動が心地よく脈を刻む。
寂れたキャンプ場を抜け、泉水の山並みに取り付いた。木立をくぐり防火帯にかかると、一気に風が抜け日差しが落ちてくる。右斜面の野焼きした黒い大地にキスミレが眩しいほどに咲き輝き、防火帯の土手にはショウジョウバカマが白やピンクや紫の花穂を立てていた。下泉水山(1296)の頂近く、満開のアセビの群落の中で昼食をとり、泉水山(1447)を経て黒岩山(1502)に至る縦走路を楽しんだ。ミヤマキリシマもシャクナゲも例年になくみっしり蕾をつけている。木立あり、草原あり、灌木林ありのなだらかな山道から、眼前の久住連山、霞に煙る阿蘇五岳を望み、振り向けば遠く由布岳が天を指さす。黒岩山から急峻な坂を下ると、そこが牧の戸越え、久住連山への表玄関である。樹林帯の中の散策路を一気に長者原に下った。
帰り着いたKヒュッテの溢れ流れる温泉はまさに極楽だった。2年前に共に九州路を旅した娘婿の父を、まだ74才で野辺に送った。その心身の痛みが音を立てるようにほぐれていく。湯煙に深い吐息を絡ませて、太ももに澱む山歩きの疲れに命を実感するのだった。
葉末に滅びの色が迫る秋の山も捨てがたいが、長い雌伏の後に訪れる春の山がやはりいい。可憐な新芽の芽吹きが山肌を輝かせ、眩しいほどの木漏れ日の底に数々の山野草が花をつける。命の芽生える季節である。何かいいことが起こりそうな、そんな予感がするのはこの頃。
その浮き立つ思いを叩きのめすほどの勢いで春の嵐が来た翌朝、震度3の地震が朝の眠りを揺すった。福岡沖で一ヶ月前に起こった震度6の地震、その最大の余震が湯布院までも大きく揺らした。大地の怒りはまだおさまろうとしない。
(2005年4月:写真:ショウジョウバカマ)