今年の秋は短いという。ラニーニャ現象の余波で、残暑は10月まで続き、11月の初めには、もう冬の気配が忍び寄ると。つまり、今年の爽やかな秋は2~3週間しかないということだった。美しい詩情豊かな日本の四季が、地球温暖化の煽りを受けて次第に春と秋が短くなり、夏と冬が長くなっていく―――二季なんて、なんだか寂しく、哀しい。人類の傲慢のツケである。
早朝の散歩で、ふと涼風を感じた。何か月ぶりだろう、この気配は?花時の長いランタナ、眩しいほどの百日紅、その向こうの空に小さな秋雲のひと群れがあった。色白く美しい女子大生と思しき外国人と擦れ違った。「オハヨゴザイマス!」というたどたどしい日本語、「あ、ウクライナの留学生!?」と思ってしまった。
近くの大学に多数のウクライナからの留学生が迎え入れられており、故郷の戦禍を少しでも慰めようと、様々な地域行事に招かれている。秋を感じた早朝、思いがけない邂逅だった。
プーチンの非道によるウクライナの戦禍は、半年たっても終焉の気配はない。昨日の西日本新聞「春秋」にこんな一文があった。
――国立歴史民俗博物館館長などを歴任した考古学者、佐原真の言葉がある。「人類の歴史を400万年とするなら399万年間、人は武器と戦争を知らなかった」「400万年を4メートルに置き換えていうなら、人類は最後の1センチ以降で戦争を始めてしまった。(講談社「今読む名言」)▼石器に始まり鉄や刀剣を作り出した。鉄砲、毒ガスに核兵器まで開発、加えて大量殺りくをいとわない、狂気の指導者も生み出した。全て1センチの間に――前述に続けて佐原さんは「数ミクロンのところで地球と全人類の破滅を招きかねないほど武器を発達させてしまった」と語っている。武器を生み出した知恵と同様、私たちには武器を使わせない知恵も備わっている。そう信じたい――
「終末時計」というものがある。ノーベル賞受賞者などの専門家が、人類滅亡を午前0時に見立てて、過去一年の世界情勢に基づき、人類滅亡までの残り時間を決めて、毎年発表している。一昨年は、「核と地球温暖化の脅威が深刻化した」として、1947年の創設苛最短となった。昨年は、コロナを巡り「深刻な地球規模の公衆衛生危機への対応を誤った」ことに加え「核や気候問題で進展を欠いた」として、前年の残り時間を据え置いた。
その人類滅亡までの残り時間は、僅か100秒である!人類は既に、23時間58分と20秒を使い果たしてしまった。
もうヒグラシの声も聴こえず、ツクツクボウシの声も遠い。今年は蝉が少なく、鳴き声も遠かった。歩く道端から、コオロギをはじめ、すだく虫の声が次第に濃くなっていく。
石穴稲荷にいつもの願をかけ、坂を下って左に折れる頃、昇り始めた朝日が背中に届いた。6時半、夏至の頃に比べ、もう日の出が30分遅くなった。心なし日差しも背中に優しく、10メートルほど伸びた自分の影法師を追いながら歩く。細く長い脚に、「影で見ると、まだまだ若いな!」と自賛する。「脚があと10センチ長かったら、人生が変わっただろうな」という、負け惜しみの言い換えでもある。
左折して坂道を上がり、もう一度左に曲がると、朝日が真っ向から顔を包んだ。多少優しくなったといっても、まだ夏の日差し、フッと汗が噴き出した。
帰り着いて浴びるシャワーの温度を、43度に上げた。アメリカの娘を何度も訪ねるうちに、シャワー生活が染みついて、5月から10月頃まで我が家では風呂を沸かすことがない。そして、熱いシャーの後に、必ず冷水を浴びる。冬場は、湯冷めしやすい体質だから、下半身に熱いお湯と氷のような冷水を数回交互に浴びる。夏場、ぬるま湯のようだった水が、今朝は少し冷たく感じられた。こんなところにも、こっそり伺う小さな秋の顔がほの見えて嬉しい。
朝食を終え、洗濯物を干す。夏の間、苛烈な日差しに汗みずくの地獄だったのに、今朝の日差しは、やはり優しく感じられた。
干し終わるころ、空はすっかり夏雲に戻っていた。
農園の奥様から、夏水仙(ナツズイセン)の写真がLINEで届いた。花時に葉がないから、裸百合(ハダカユリ)とも呼ばれるという。花言葉は、「深い思いやり」、「楽しさ」、「悲しい思い出」、そして「あなたの為に何でもします」
ヒガンバナ科に属し、お彼岸の頃に咲くから「大切な人の想い」を連想させる花言葉だという。兄の初盆にも行けないままに、コロナの夏が過ぎようとしていた。
(2022年8月:写真:友人撮影のナツズイセン)