蟋蟀庵便り

山野草、旅、昆虫、日常のつれづれなどに関するミニエッセイ。

主婦のハレの日

2021年11月27日 | つれづれに

 「質問:この前3人で電車で天神に出たのは、いつ、どんな用事でしたっけ?」久しぶりに天神に出ることになった。この前、いつ乗ったのか思い出せない。この2年、街に出るのは博多座の芝居がらみだけで、いつもマイカーで都市高を走って20分、川端の博多リバレインの地下駐車場に停めるのが常だった。
 かすかに残る記憶を頼りに、一緒に乗ったYさんの奥さんにLINEで尋ねた。
 「明日、久しぶりでソラリアに行きます。何ヶ月振りかなと思って」
 「こんばんは、この前電車で出掛けたのは、2月の博多座行きが雪模様だったからです」
 そうだった!あの日は大雪注意報が出ていて、帰りの車が走れなくなるかもしれないという不安があって、電車にしたのだった。

 9か月振りの電車は意外に混んでいた。西鉄五条まで徒歩10分、ひと駅で二日市から急行に乗り換えて何とか座り、天神まで17分。時間的には近場であるのに、コロナ籠りで大宰府原人化した身には、心理的に天神は遠い街になってしまった。毎日、ラッシュの人混みに揉まれて通勤していた昔が、嘘に思われる。
 車内の殆どの乗客が、黙々とスマホの画面を覗き込んでいる異様な雰囲気に、ますます電車が嫌いになった。たまに――本当にたまに本を読んでいる若者がいるとホッとする。昔は、多くの乗客が文庫本を開いていたり、新聞を縦折して読んでいたのに――それが当たり前だった昭和は、もう遥かに遠くなった。
 高校生のカップルが、吊革に掴まらずに器用にバランスを取りながらお喋りに興じている。そこに昔の自分がいた。私の右隣のオヤジは、座席に荷物を置いたまま寝たふりをしている。お陰で窮屈になったシートに肩をすぼめて揺られながら、昔もこんな中年がいたなと、それまでもが懐かしい。

 猛威を振るったコロナが小康状態となり、緊急事態宣言も消えた。もちろん、これで終わる筈もなく、いずれ次の波がやってくるだろう。束の間の平穏な日々に、少しまとめて贅沢しようと決めた。船小屋温泉「樋口軒」の特別室、原鶴温泉「六峰館」の檜露天風呂付準特別室、と温泉巡りを重ね飽食の限りを尽くした。もう一つ、佐賀県唐津市「いろは島国民宿舎」の「伊勢海老・蟹尽くし」は、体調整わず断念したが、その代りに見付けた今年最後の贅沢が、「福岡応援グルメチケット」、和牛と福岡の食材を使った食事の企画だった。税込み5000円のチケットを買えば、7000円相当のメニューが選べるというものである。
 西鉄グラドホテルとソラリア西鉄ホテルの9つの店舗から自由に選べる。カミさんは「鉄板焼き!」と即断。リタイアして21年、亭主が365日家にいて、3食食わせなければならないのは、結構シンドイものだろう。たまには外食したり、温泉に旅して賄いから解放されるのは、貴重なハレの日なのだ。いわれるままにソラリア17階の鉄板焼「Asagi」に予約を入れた
 料理しなくていい!後片付けもなし!!最近は、後片付けは私の役目。だから、主婦のハレの日は主夫のハレの日でもある(笑)目の前の鉄板で焼いてもらう幸せ!!チケット2枚のスペシャルコースのつもりだった。しかし、メニューを見て考えてしまう。
玄海魚介類のマリネ糸島ベビーリーフ添え、フォアグラの明石焼き風博多万能ねぎを使った出し汁で、スズキのパン粉焼き赤ワインソース、博多和牛サーロインステーキ(80g)、ご飯または高菜ピラフ(赤だし、香の物付き)デザート、珈琲。
 加齢によって食べる量が細くなった身には余る。諦めてチケット1枚の、グルメランチコースにした。本日のオードブル(スズキ)、季節のスープ(ニンジン)、魚介類の鉄板焼き(鯛とホタテの貝柱)、黒毛和牛のサーロイン・ポワレ(60g)パン、デザート(ブラマンジュ)、珈琲。
 満腹だった。味も量も正しい選択だった。スパークリングワインのワンドリンクも付いて、もてなしも心地良かった。12時の予約だったのに、鉄板を囲む客は3組5人、まだまだ客は帰ってきてない。

 「折角来たんだから、デパート覗きたい!」というカミさんを残し、一人電車に乗った。2時の急行発車まで、あと2分。3年半振りにホームを走った。天神南口から乗るには、エスカレーターがないから階段を幾段も上がり、ホームのずっと先の方に停まった電車まで延々と歩くことになる。人口股関節置換手術後、「走る、跳び上がる、飛び下りる」を禁じていた。医師も、出来れば避けた方がいいという。20メートルほどの距離を恐る恐る走りながら、平和台陸上競技場を疾駆していた頃の自分が、無性に恋しかった。

 寒波の中休みの、汗ばむほどの小春日だった。

 このブログを書き終わった夕べ、南アメリカで新たに拡大を始めた変異株が、「オミクロン株」と名付けられ、世界中が騒然となった。暗雲垂れ込める師走まで、あと3日。
                     (2021年11月:写真:本日のオードブル)

「避密の旅」――帰らざる「日常」

2021年11月17日 | 季節の便り・旅篇

 忘我の淵に沈みこんで、夜の眠りはいつまでも訪れなかった。部屋に付いた檜風呂から、かけ流しの湯音がかすかに耳元に転がってくる。ひと時、ふた時、輾転反側する中に夜が更けていった。左手首を捻ると、反応して腕時計に光が灯り、浮かび上がった時刻は午前1時を過ぎていた。

 6月30日、福岡県が「避密の旅」観光キャンペーンを発表した。コロナで打撃を受けた県内の観光業を支援するため、県民に限り5割引きの宿泊券と旅行券を売り出すというものだった。1泊当たり最大5千円、日帰り3千円の割引となる。わかりやすく言えば、1万円買えば、2万円のクーポンが来るということだった。早速、帰省していた長女に手伝ってもらいながら、スマホでリストにある旅行社に申し込もうとしたが、すでに大手は全て売り切れ、ようやく農協のJA筑紫旅行センターで2万5千円を払い込むことが出来た。折り返しスマホに、5万円のクーポンが表示された。利用期間は7月12日から12月31日までである。
 ところが、直後に福岡県にも緊急事態宣言が出た。解禁になったのは、10月20日だった。2ヶ月14日間先延ばしになり、2月14日、バレンタインデーまで有効という。

 解禁を待って、船小屋温泉に走った。旅行も、クルーズも、温泉も、外食も、この2年近く殆ど我慢して自粛してきた。せめて、県民の特権を使い、日ごろの鬱憤を晴らそうと、二つの温泉旅館の特別室で贅沢することにした。
 船小屋温泉――凝った料理は美味しかったが、バリアフリーを無視した大理石のつるつるの階段や、ぬるい湯に落胆。矢部川を渡る白鷺の群舞を楽しんだだけで終わった。

 立冬を過ぎて10日、寒波の後の小春日に、原鶴温泉を目指した。古い「サンパチロク」と親しまれる386号線を避けて、田園の中の裏道を、大宰府市から筑紫野市、筑前町から朝倉路へと南下する。時たま路傍に見る紅葉は彩り悪く、既に多くが枯葉色だった。
 リニューアルして2年、バリアフリーを施した「ほどあいの宿」と謳う筑後川沿いの宿が、今夜の贅沢だった。4階の準特別室「夕月」、半露天檜風呂付客室は、8畳のツインベッドに8畳のリビングルームが付き、1泊一人2万8千6百円。1万以下の宿を探していた2年前が嘘に思えるほど、今回は贅を尽くした。
 同じ狙いと思われる高齢家族が多い日だった。露天風呂を覗いたが、すでに先客が4人ほど浸かっており、引き返して部屋の半露天檜風呂で足を伸ばすことにた。吐口から注ぐ湯音に、1時間のドライブの緊張がほぐれていく。ベッドと部屋付き露天風呂、この組み合わせを知ると、もう病みつきになる年代である。
 「雅」と謳う料理も、申し分なかった。鮑の刺身を食べたのは、もう20年振りだろうか。赤のグラスワインを添えて、下を向けないほど飽食の限りを尽くした。
 2度目の露天風呂に温まってベッドに入ったが、喪われた「日常」の数々を思い浮かべ偲ぶうちに、我を忘れ、眠りを忘れた。

 コロナが急速に鎮まっている。日常回帰への様々な試みが始まっているが、もうあの「日常」が帰ってくることは決してないだろう。次の波は必ずやってくる。コロナと共に生きることが、新たな「日常」になる。マスクが、下着と同じように人前では決して脱げない、そんな「日常」――。
 かつて、カナディアン・ロッキーを二日がかりで南下し、古城のようなバンフ・スプリングス・ホテルに泊まって、近くの『帰らざる河』(River of No Return)のロケ地の河を見た。マリリン・モンローとロバート・ミッチャムが演じた1954年のアメリカの西部劇である。「No Return  No Return♪」と繰り返すフレーズが耳に蘇る。

 翌朝、寝起きと朝食後、計4度の露天風呂三昧を満喫して、10時に宿を出た。チェックアウトのあと、「お気をつけてお帰り下さい」と書かれたキャンディーを渡される。こんな、さりげない心遣いが嬉しい。
 50キロ足らずの近場である。まっ直ぐ帰れば、昼前に帰り着いてしまう。「そうだ、K子ちゃんに頼まれた梅干を買いに行こう」とカミさんが言う。K子ちゃんとは、カミさんの小学校と高校の同窓生で、生涯歌うことを生き甲斐とする、市井の声楽家である。

 果物の郷・杷木から、天領・日田を抜けて、30分足らずで大分県の梅の郷・大山町の「木の花ガルテン」に着き、紅葉の下に車を停めた。平日で、此処も客は少なく、買い物を済ませ、日田ICから大分道に乗って、13時過ぎに「避密の旅」を終えた。
 結局、我が家の庭の紅葉が一番綺麗だった。

 師走が、もうそこまで近付いていた。
                 (2021年11月:写真:「木の花ガルテン」の紅葉)

秋、落ちて

2021年11月07日 | つれづれに

 妹の三回忌を二日後に控えて、兄が逝った。享年84歳、私とは1年半の歳の差だった。町内に住む兄の親友が、もう一人の親友の参議に電話し、高校の同期の柔道仲間に知らせるよう頼んだところ「もう、みんな死んで居らん!」と返事が返ってきたという。84歳とは、そういう歳なのだ。74歳で彼岸に渡った父だったが、その後一人で10年生きた母が逝ったのも83歳だった。私だけが生き残って、馬齢を重ねている。

 大雨の後、猛暑が続いた秋だった。寒暖乱高下する気候に翻弄され、体調が狂った。暫く辛抱したが捗々しくなく、掛かり付けの病院に駆け込んだ。症例を話したら、「それ、自律神経!」と即答、薬を調剤され、点滴を受けた。納得である。
 爽快な秋晴れが、ようやく還ってきた。例年なら、高原ドライブをして山野を歩き回り、野性を追いかける時節である。「野うさぎの広場」への散策さえ、あと一つ気が乗らず、カミさんから老人性鬱を疑われる始末だった。

 緊急事態宣言終了を機に、月一の読書会が復活した。読み続けている「伊勢物語」は97段、何とか今年度中(来年3月)には125段を読破出来そうなところまで読み進んできた。週一の気功教室も復活した。少しずつ元に戻りつつはあるが、コロナ前の日々とは、どこか根本的なところで違っているような気がする。このところの急速なコロナの鎮静化も、日本固有の現象でどこか不気味なものがある。

 人と会うことが少なくなった。テレビの前に坐る時間が増えた。そして、やたらに昔のドラマの再放送が増えた。脚本が貧しく、役者が薄い上に、軽薄なお笑いを多用する最近のドラマより、はるかに観るに堪えるものが多いから助かっている。女優も今ほど痩せっぽちじゃないし(痩せた方が美しいと、誰が誤った風潮を作ったのだろう?カマキリ脚より、むっちり太ももの方が遥かに癒されるのに)、スカートも短くてホッとする。ジジイがこんなことを呟くから、益々自律神経がおかしいと言われるのかもしれない(呵々)。
 時々、あまりにも古すぎて、出演者の大半が故人だったりもする。どっこい、こっちはまだまだ元気で生きてるぞ!
 しかし、時々ドキッとする。昨日も、マヨネーズを買いに行って、ケチャップを買ってきてしまった。笑い飛ばしながら、どこかで加齢に慄いている自分がいる。

 雨が降らない。10月も記録的少雨だった。平年の10%にも満たないという。カラッカラの大地を踏んで、マスク不要の早朝のウォーキングも始めた。50段ほどの石段を踏んで、石穴稲荷の本殿に詣でる頃、まだ黎明の明かりは届いていない。ペンライトで照らしながら詣り、ライトを消して漆黒の闇に佇む。お狐様の館なのに、不思議に恐怖感はない。何も見えない世界の静寂は、何故か心を鎮静化する。願い事への御利益のほどはわからないが、この静寂が欲しくて、ついつい本殿までの階段を上ってしまうのだ。
 漸く薄明が届くころ石段を下りる。道端の叢には、もう種を弾かせ始めたウバユリが何本も立っていた。
 
 午後の暖かい日差しの中を、友人がオキナワスズメウリを袋いっぱい届けてくれた。数年前に我が家から分けた種を、さすがに農業のプロ、毎年おびただしいほどの実を育て、こうして届けてくれる。我が家は、今年は全滅だった。同じ日差しでも、土が違うし、丹精の籠め方が違うのだろう。
 早速、いつものように玄関脇の窓に吊るした簾に飾り付けた。緑と赤の小さな瓜の玉が、秋風に揺れる。落ち込みがちだった秋、復活への足がかりがこの実にあるかもしれない。

 明日午後、久しぶりに雨マークがついた。
                     (2021年11月:写真:オキナワスズメウリ)