蟋蟀庵便り

山野草、旅、昆虫、日常のつれづれなどに関するミニエッセイ。

夏、炎上!

2014年07月26日 | 季節の便り・虫篇

 35度を超える苛烈な日差しが脳天に落ちかかる。梅雨明け後の数日、時折黒雲が奔り、突然の驟雨が襲う踏ん切りの悪い天候が続いた。
 ようやく炎天の夏空が拡がった午後、見上げた槇の木の梢の先に二つの命の終焉があった。

 7月9日の夜に始まった夜毎のセミの羽化は、ヒグラシから始まり、クマゼミとアブラゼミを交えて、昨日25日現在で120匹となった。殆どが八朔の根方に集中していたが、たまにハナミズキやツツジ、サザンカの辺りまで、羽化の舞台を拡げている。幾人かの知人の庭では今年1匹も誕生しないというのに、我が家のこの数はかつてない大量羽化である。
 しかし、そろそろピークだろう。1匹を除いて、残り全てが無事に明けの空に飛び立っていった。ここ数日は、庭の木々に姦しいクマゼミの声が響き、テレビのボリュームを上げないと聞こえないほどである。

 しかし、生き延びることの厳しさを思い知らされることも少なくない。
 庭の隅に置いたパセリのプランターで、2頭のキアゲハの幼虫が誕生した。貧しい株が心配で、梅雨明け間近の雨を衝いてパセリの苗を探しに走った。ようやく4軒目で探し当てて、5株をプランターに補充した。やがて終齢に育った幼虫が姿を消した。どこか見えないところで蛹になったことだろうと信じながら、近くにいた大きなガマガエルやトカゲの姿がちらついて、一抹の不安が残る。
 もう二つのプランターに植えたスミレに誕生した6頭ほどのツマグロヒョウモンの幼虫は、やがてすべての株を蚕食して茎だけを残し、庭中にスミレを探しながらモコモコと散って行った。庭には、そうそうスミレが群生することはない。餌を求めてひと株のスミレに出会う僥倖に頼って散っていった幼虫たちは、いったいどこに行ったのだろう?
 ……そして誰もいなくなった。

 綺麗な青空をバックにした槇の木の梢の先に見たのは、蜘蛛の巣に絡め取られた2匹の蝉だった。二つの命の終焉である。蜘蛛だって生きなければならない。飛ぶのが下手な蝉は、しばしば蜘蛛の餌食になる。
 昨日はカーポートの屋根で、カラスに捕食されかかったセミがいた。一瞬の差で、姦しく鳴きたてながら逃げた蝉を、首を傾げて見送るカラスの目は、ハッとするほど鋭かった。
 数年前、異常に鳴きたてる蝉の声に驚いて庭に出た。百日紅の幹で見たのは、ガッシリとカマキリの斧に抱き込まれた蝉の姿だった。
 炎天下で繰り広げられる生きるための営みは凄絶であり、一種荘厳でさえある。

「生物農薬で害虫駆除」という新聞記事があった。農薬の代わりにテントウムシ(ナミテントウ)をアブラムシ駆除に使い、商標にテントウムシ・マークを貼って市場に出す農家の話は、ずいぶん前に書いた。そんな動きが拡大しているのは嬉しいことだが、「羽を細工して飛べなくしたナミテントウ」に加え、今度は「約30世代にわたって人口交配を続けて、劣勢遺伝の飛べないナミテントウを誕生させて生物農薬に登録した」という記事に、ふと違和感を覚えた。
 劣性遺伝の種であるため、自然界のナミテントウと交配したら飛ぶ能力のあるものが誕生するから、ビニールハウスに閉じ込めるという。「生態系を壊さないのが最大の利点」と謳っているが、こんな異常なナミテントウを作ること自体が、生態系を破壊しているという事実に気付かないのだろうか?
 人間という生き物は、つくづく傲慢不遜に出来ている。

 苛立たしさに炎上するのも、この暑熱のなせる業であろうか(呵呵)
             (2014年7月:写真:蜘蛛の巣に絡め取られた蝉)

ロマンと真実

2014年07月20日 | 季節の便り・虫篇

 夕風に吹かれながら、八朔の下に置いた小さな椅子に座り込み目を凝らす。黄昏が迫り、石穴稲荷の杜から届くヒグラシの声が一段と濃くなる時刻である。

 7月9日に始まったセミの羽化は、夜毎2匹から11匹と途絶えることなく続き、20日夜現在、既に73匹を数えた。昨年より8日遅れて、17日にクマゼミが一斉に鳴き始めた。我が家の八朔やハナミズキの枝でも「ワ~シ、ワシワシワシ!」と暑熱を呼び込む姦しい鳴き声が響き始めた夜から、羽化するセミもヒグラシからクマゼミに徐々に変わってきた。幼虫や羽化する過程での素人の判別は難しく、翌朝も既に飛び立っていることが多いから悩ましいのだが、クマゼミの方が幼虫の形も少し大きいし、たまたま今夜は産卵に来たのか、すぐそばの枝にクマゼミの雌がとまっていたから、多分間違いないだろう。

 地面から這いだす瞬間をカメラに収めたくて、纏わり着く藪蚊を引っ叩きながら目を凝らしていた。見当たらないままにやがて夕闇が迫り、夕餉の時間となった。羽化する過程に影響があってはいけないから、安易に殺虫剤を噴霧するわけにもいかず、ここは痒みに悶えながら耐えるしかない。「物好きだな」と自嘲しつつも、やっぱり楽しいのである。命誕生のすべてを観たいというのは、虫ジジイのかねてからの夢だった。
 夕餉を慌ただしく済ませて再び八朔の下に蹲り、懐中電灯で照らしながら目を凝らす。30分の食事の間に、既に1匹が枝に登って足場を探していた。藪蚊が苛む。耐える、ひたすら耐える。ツキが来ないうちに「軍師官兵衛」の時間が来た。ひと先ず中断し、大河ドラマを観て戻る45分の間に、更に4匹が枝先にしがみつき、そのうち2匹は既に羽化の過程にあった。やっぱり寝食(?)を忘れる根気がないと、蝉とは付き合えない。

 事実、地中に生き、しかも成虫の飼育が難しいことから、蝉の研究は遅れているという。一般的に儚さや短命の象徴みたいに言われている「生まれて1週間」というのも俗説らしく、「地中に7年」というのも根拠が乏しいという。
 木に産み付けられた卵は翌年の梅雨ごろに孵化し、すぐに地面に落ちて長い長い地中生活にはいる。木の根から樹液を吸いながら数回脱皮を繰り返して、やがて地上に這い出て羽化する。地中で過ごす期間は、国内種で3年から7年。(海外には13年蝉、17年蝉というのがいる。何故か素数であり、「素数蝉」あるいは「周期蝉」と言われる。)アブラゼミが6年というのは、ほぼ定説になっているようだ。
 羽化してからの寿命も、実は2週間から1ヶ月で、昆虫の中ではむしろ長命の部類に入る。夏場の蝉は暑さに弱く1週間ほどで命を終えるが、秋の蝉は場合によっては2ヶ月も生きるという。……以上、全てネットから得た付け焼刃の知識である。
 
 知ってしまうと、何となく現実味があり過ぎて味気ない。「1週間の儚い命を、懸命に伴侶を求めて鳴き続ける」と思う方がロマンがあるし、「八日目の蝉」という小説やドラマも、七日の命だからこそ意味がある。(ドラマの解説に「一般的に蝉の雄は約七日で短命と言われていますが、実は雌は産卵のために八日以上生きます。つまり「八日目の蝉」とは、夫がいない妊婦のことです」とあった。)

 月面のクレーターを見て、「兎さんが、お餅を搗いてる」という夢が消えた。アポロの月面着陸で、「かぐや姫」への憧れも色褪せてしまった。虚は虚のままの方がロマンを残すし、知らない方がいいこともある。真実は、時として残酷である。
 明日の夜も、藪蚊に苛まれながら目を凝らしてみよう。7年も地中で辛抱していた蝉に対し、ひと晩で諦めては申し訳が立たないではないか。
              (2014年7月:写真:クマゼミの幼虫と成虫)

<余談>仮りに7年として今年の羽化の数から計算すると、今この瞬間にも向こう7年分の蝉の幼虫が八朔の根方の地中で生きていることになる。
 その数、実に500匹以上!それだけの幼虫を育てている八朔に脱帽する。

宴の始まり

2014年07月11日 | 季節の便り・虫篇

 肩すかしで鹿児島・阿久根に上陸し、南九州を横切って紀伊半島を掠め北に去った台風8号。被災地の惨状をニュースで追いながら、被害を免れたのは僥倖と謙虚に受け止めて、1時間かけて台風対策を原状に戻した。空しく疲れたという思いはある。

 一喜一憂する我が身をよそに、さりげなく今年も蝉の羽化が始まった。ヒグラシの初鳴きも昨年と同じ7月3日、そして同じく台風前夜の7月9日に今年初めてのヒグラシが、まとめて5匹誕生した。台風にすかされた日の夜、夕飯もそこそこに懐中電灯とカメラを片手に庭に下り立ち、八朔の枝先を覗いた。いるいる、今夜も2匹のヒグラシが脱皮を始めていた。殻から抜け出し、全身を反らせて、螺旋状に畳まれた緑色の翅を今まさに広げ始めるところだった。
 もう毎年のように連続写真で一部始終をカメラに収めているから、今年は幾つかのシーンを捉えるだけにしよう。カメラを向ける間に、仰け反っていた身体をゆっくりと起こして抜け殻にしがみついた。一番転落しやすい危険な瞬間は過ぎた。あとは時間を掛けて翅を伸ばし、朝には翅が乾いて見事な成虫になっていることだろう。胸の共鳴板の大きさから雄と見極めて、シャワーを浴びに戻った。
 1時間後、瑞々しい緑の翅脈をスッキリと伸ばし切ったセミの姿があった。

 翌朝、いつものようにときめきながら、6時前に起きて八朔の下に立った。脱皮した抜け殻の傍らにとまるヒグラシの雄の成虫がいた。やがて日が昇れば、元気に翔び立っていくことだろう。これからしばらく、蟋蟀庵の庭は夜毎のセミ誕生の宴が続く。アブラゼミ、クマゼミと種類は変わっても、命誕生の感動は尽きない。4つのシーンを一枚に編集して、今日のブログを飾ることにした。

 台風接近をよそに、国の宰相は外遊して誇らしげに集団的自衛権を吹いて回っている。屁理屈とお涙頂戴で強引に暴挙・愚挙を断行した宰相。時の政権が勝手に憲法を解釈して、「戦争が出来る国」に日本を追い落とすなど、決して許されることではない。こんな愚かな宰相が国策を恣に捻じ曲げることを許すとは、この国はいったいどうなっていくのだろう?「戦わない自衛隊」だからこそ、戦後69年もの長い間、世界は日本を「平和な国」として認めてきた。もうその信頼は喪われた。このツケは途方もなく大きなものとして、日本の歴史を汚していくことだろう。与党に批判する者なく、野党に牽制する力がない。この国の政治が、底知れぬ暗黒の深淵に呑みこまれていく。
 台風騒動が主役となり、報道の目も集団的自衛権への厳しい批判から逸れてしまっている。この大型台風を一番喜んでいるのは、あのしたり顔の宰相かもしれない。ニュースにあの顔が現れる度に不快感が募り、急いでチャンネルを変えるのが習慣になった。
 無力な年寄りが、蟷螂の斧を空しく振り上げて遠吠えしている……そんな自嘲が、やたら哀しい。

 ようやく温帯低気圧に衰えた台風が北の海に去った午後、石穴稲荷の杜からアブラゼミの初鳴きが届いた。昨年9日に鳴いたクマゼミの声が、今年はまだ聞こえて来ない。しかし、四季にどれほど乱れがあっても、長い目で見れば小さな生き物の営みに躊躇いはない。その小さな命の息吹が、疲弊しがちな心を束の間癒してくれるのだ。

 鉛色の雲が黄昏を呼び寄せ、待っていたかのようにヒグラシの声が湧きあがってきた。
              (2014年7月:写真:ヒグラシ誕生四態)

<追記>
 昨夜も3匹のヒグラシが誕生した。早朝の風に乗って2匹はすでに飛び立ってしまっていたが、いつまでも抜け殻にしがみつく1匹がいた。
 午後、あまりにも遅い旅立ちに、そっと指で触れてみたら、命の灯は既に消えていた。何があったかは知るすべはないが、小さな命が厳しい大自然で生きていくことは、これほどに厳しい。
 美しく伸びきった翅を風に揺らす姿が愛しくて、そのまま枝先にとどめておいた。

嵐の前に……

2014年07月09日 | 季節の便り・虫篇

 「数十年に一度」という大型台風8号は、宮古島、沖縄本島を「暴風、波浪、大雨の特別警報」というかつてない厳戒態勢の中を甚大な被害を与えて北に抜け、東に転じる機を窺いながら、目下九州南西の東シナ海を鈍足で迫ってきている。
 無駄になることを期待しながら、窓に掛けた天津簾8枚を巻き取り、カーポートの屋根を3本のロープで庭石に括り付け、物干し棹を縛り、植木鉢を広縁に上げ、庭の手入れに使う道具類を物置に仕舞った。北部九州に迫る台風は久しく来ていない。暫くぶりの台風対策に、朝から汗を流した。
 昨日は、台風から吹き込む熱風で、此処太宰府は36.4度まで気温が急上昇。今年初めてのエアコンのスイッチを入れながら、激変についていけない身体を苛々と持て余していた。最近の気候・天候の変化は「ほどほど」という事がない。吹けば烈風、降れば豪雨・豪雪、照れば酷暑と、季節の変化に「いつの間にか移ろいゆく風情」を喪い、突然夏が来て、いきなり冬に突入する。本当に、春と秋が短くなった。

 時折薄日が漏れ、そよ風が庭の木々を揺らす「嵐の前の静けさ」の午後、風に乗って2頭のツマグロヒョウモンの雌が産卵に訪れた。1頭は翅の痛みも激しく、辛うじて風を捕えながら、沈丁花の鉢に零れ生えた一株のスミレにしがみつくようにして尾を曲げ、卵を産み付けていた。迫りくる風に怯えるのか、疲れ果て尽きかけた寿命に焦るのか、食草ではないギボウシやキンミズヒキの葉にまでも産み付けているのが哀れだった。初めて見る異常な産卵行動だった。
 もう少し風上まで舞えば、2本のプランターにびっしりとスミレが植え込んである。庭中に散ったスミレを一株毎に集めて移し植えた、いつもながらのツマグロヒョウモンの食卓である。少しずつ掌で煽りながら、2羽をプランターに誘導した。もうかなり疲れ果てていて、プランターに辿り着いても、スミレの葉に這い寄るのがやっとという有様だった。ようやく産み終ったのか、折からの風に身を任せて何処かへと飛ばされていった。

 隣のプランター2本には、キアゲハ用のパセリが十数本植えてある。夏になれば、此処に色鮮やかなキアゲハの幼虫が姿を現すだろう。傍らに覆いかぶさる八朔の木陰では、やがてクマゼミやヒグラシの羽化が始まる。近年習慣となった、季節の移ろいを確かめる競演の舞台である。

 風の気配を確かめながら、録画していた映画「草原の椅子」を観た。ネットに紹介された粗筋を引用する。
「遠間憲太郎(50歳の会社員)は、幼時に実の母親から虐待を受けていた4歳の少年圭輔に娘を介して出会い、その世話を手伝うことになる。カメラ屋の社長で同じ歳の富樫重蔵との仕事を越えた友情に助けられながら、憲太郎は圭輔へのいとおしさを深めていく。憲太郎はまた、趣味の店で出会った篠原貴志子に密かに惹かれる。憲太郎は富樫と圭輔を伴い、桃源郷ともよばれるパキスタン・フンザに旅する計画を立て、貴志子も同行することになる……。」
 映画のキャッチコピーに「血のつながらない子供を愛したとき、もう一度生き抜くことを決めた二人の男と一人の女」とあった。」佐藤浩市が好演、西村雅彦が見事に脇を固めていた。

 蒸し暑さが募る中、ひとしきり雨が奔った。嵐の気配は、まだ何処にもない。雲が次第に厚く空を覆い始めた黄昏時、律儀にヒグラシが鳴きはじめた。石穴稲荷の杜の初鳴きは、7月3日。奇しくも、去年と同じ日である。自然の営みの底知れぬ深さを実感する初鳴きだった。
         (2014年7月:写真:写真:ツマグロヒョウモン(♀))

<追記>
 翌朝、八朔の枝先で5つのヒグラシの抜け殻が風に揺れていた。雨に濡れた大地から這い上がった一つは、乾いた泥に覆われていた。7月9日夜、宴の始まりである。