最低気温3.3度。11月下旬にはいるなり季節を1ヶ月先取りして、この冬一番の冷え込みとなった。
キリッと引き締まった研ぎ澄ますような冷気の中を、床屋さん(この表現も絶滅した。散髪屋さんでもなく、今は理容院または理髪店と言わないと恥をかくらしい。)に歩いた。もう先代から数十年世話になっているこの床屋さんも、息子さんの代になって「髪ing○○○○」と今風の屋号に変わった。
GI刈り?慎太郎刈り?…頭皮から直角に伸びる直毛・剛毛で癖のない曲者の髪の毛に、40年散々悩まされてきた。ビジネスの場では一応サマになってなければならず、無理やり撫で付け、粘性の強い整髪剤とヘア・ドライヤーで無理やり整えても、少し汗をかくとたちまち膨れ上がってしまう。リタイアしてから真っ先に七三の髪を刈り落とし、白髪の「東映やくざのなれの果て」みたいな髪型にした。(ヘアスタイルとは、敢えて言わない。)これがもう、快適極まりない。シャンプーも微量で済むし、ヘア・トニックだけで整髪料も要らない。汗も雨も怖くないし、絶妙の解放感だった。
ところが、これが却って床屋さん泣かせで、バランスをきれいに刈り上げるのは、むしろ植木屋さんの剪定に近い職人芸である。毎回1時間を超える手間をかけて、もう50代になった二代目さんが綺麗に刈り上げてくれる。一度電車の中で、見知らぬ初老の紳士に「見事な刈り上げですね。どこの床屋さんですか?」と訊かれたことがあった。
来月の入院・手術のタイミングに合わせるために、少し早目の散髪だった。薄手のウインドブレーカーでは寒気が染み入るほどの朝だった。玄関先のラカンマキの垣根の裾の辺りで、数年前に消えてしまったはずのノコンギクがたった1輪、鮮やかな紫紺に輝いていた。こんな小さな発見が嬉しくなる季節である。
床屋さんまで10分ほどの道のりである。久しぶりに電線でスズメが囀っている。数えると片道で20羽ほど。最近とみに減ってきたスズメの群れ、住宅地の軒が隙間なく作られるようになって、屋根裏の巣作りが出来なくなったのも一因だという。言われて見上げながら歩くと、昔風の軒は殆ど見当たらない。昔風にこだわった我が家は、幸い時たまスズメが軒に出入りするし、数年前まで一頭の蝙蝠が住み着いていた。子供の頃、夕暮れになると空一面にぼろ布をぶちまけたみたいに、たくさんの蝙蝠が飛んだ。今は見かけるのは奇跡に近い。数多くの失われた風物詩のひとつである。多くの生き物ばかりでなく、たくさんの風物詩が絶滅していく。
色づいてたわわに実る渋柿のそばの電線で、群れないハシブトガラスが1羽、傲慢に下界を睥睨している。右手の小山の藪ではヒヨドリの群れが鳴き騒いでいた。農協の店の前の信号を渡り、西鉄太宰府線の踏切を通って梅大路の信号を越えると、床屋さんはすぐそこである。
嬉しいニュースがあった。南米エクアドル・ガラパゴス諸島のビンタ島でただ一頭生き残っていたゾウガメ「孤独なジョージ」が、今年6月に推定100歳で死んだ。絶滅危惧種のシンボル的存在だったジョージの死を、全世界の人たちが惜しんだ。ところが、ビンタ島から数十キロ離れたイサベラ島北部で1600頭以上のゾウガメを調べたら、純血種ではないものの、17頭からビンタゾウガメの遺伝子が発見されたという。「孤独じゃなかったジョージ」と、新聞は報じていた。捕鯨船や軍艦などの食用に乱獲されて滅びに向かったという、無数にある「人間の負の遺産」の一つ。不要になったゾウガメを、今度は邪魔だからとほかの島や海に捨てたという、それがイサベラ島で生き延びた理由らしいというのも皮肉な話である。
人間が、自らの命の根源を自ら食い滅ぼしている例は数えきれない。「気付きの限界点」は、もうとっくの昔に越えてしまっている。
師走が、そこまで来た。
(2012年11月:写真:ノコンギクの孤独)