蟋蟀庵便り

山野草、旅、昆虫、日常のつれづれなどに関するミニエッセイ。

秋の気配

2022年08月25日 | 季節の便り・花篇

 今年の秋は短いという。ラニーニャ現象の余波で、残暑は10月まで続き、11月の初めには、もう冬の気配が忍び寄ると。つまり、今年の爽やかな秋は2~3週間しかないということだった。美しい詩情豊かな日本の四季が、地球温暖化の煽りを受けて次第に春と秋が短くなり、夏と冬が長くなっていく―――二季なんて、なんだか寂しく、哀しい。人類の傲慢のツケである。

 早朝の散歩で、ふと涼風を感じた。何か月ぶりだろう、この気配は?花時の長いランタナ、眩しいほどの百日紅、その向こうの空に小さな秋雲のひと群れがあった。色白く美しい女子大生と思しき外国人と擦れ違った。「オハヨゴザイマス!」というたどたどしい日本語、「あ、ウクライナの留学生!?」と思ってしまった。
 近くの大学に多数のウクライナからの留学生が迎え入れられており、故郷の戦禍を少しでも慰めようと、様々な地域行事に招かれている。秋を感じた早朝、思いがけない邂逅だった。

 プーチンの非道によるウクライナの戦禍は、半年たっても終焉の気配はない。昨日の西日本新聞「春秋」にこんな一文があった。
 ――国立歴史民俗博物館館長などを歴任した考古学者、佐原真の言葉がある。「人類の歴史を400万年とするなら399万年間、人は武器と戦争を知らなかった」「400万年を4メートルに置き換えていうなら、人類は最後の1センチ以降で戦争を始めてしまった。(講談社「今読む名言」)▼石器に始まり鉄や刀剣を作り出した。鉄砲、毒ガスに核兵器まで開発、加えて大量殺りくをいとわない、狂気の指導者も生み出した。全て1センチの間に――前述に続けて佐原さんは「数ミクロンのところで地球と全人類の破滅を招きかねないほど武器を発達させてしまった」と語っている。武器を生み出した知恵と同様、私たちには武器を使わせない知恵も備わっている。そう信じたい――

 「終末時計」というものがある。ノーベル賞受賞者などの専門家が、人類滅亡を午前0時に見立てて、過去一年の世界情勢に基づき、人類滅亡までの残り時間を決めて、毎年発表している。一昨年は、「核と地球温暖化の脅威が深刻化した」として、1947年の創設苛最短となった。昨年は、コロナを巡り「深刻な地球規模の公衆衛生危機への対応を誤った」ことに加え「核や気候問題で進展を欠いた」として、前年の残り時間を据え置いた。
 その人類滅亡までの残り時間は、僅か100秒である!人類は既に、23時間58分と20秒を使い果たしてしまった。

 もうヒグラシの声も聴こえず、ツクツクボウシの声も遠い。今年は蝉が少なく、鳴き声も遠かった。歩く道端から、コオロギをはじめ、すだく虫の声が次第に濃くなっていく。
 石穴稲荷にいつもの願をかけ、坂を下って左に折れる頃、昇り始めた朝日が背中に届いた。6時半、夏至の頃に比べ、もう日の出が30分遅くなった。心なし日差しも背中に優しく、10メートルほど伸びた自分の影法師を追いながら歩く。細く長い脚に、「影で見ると、まだまだ若いな!」と自賛する。「脚があと10センチ長かったら、人生が変わっただろうな」という、負け惜しみの言い換えでもある。
 左折して坂道を上がり、もう一度左に曲がると、朝日が真っ向から顔を包んだ。多少優しくなったといっても、まだ夏の日差し、フッと汗が噴き出した。

 帰り着いて浴びるシャワーの温度を、43度に上げた。アメリカの娘を何度も訪ねるうちに、シャワー生活が染みついて、5月から10月頃まで我が家では風呂を沸かすことがない。そして、熱いシャーの後に、必ず冷水を浴びる。冬場は、湯冷めしやすい体質だから、下半身に熱いお湯と氷のような冷水を数回交互に浴びる。夏場、ぬるま湯のようだった水が、今朝は少し冷たく感じられた。こんなところにも、こっそり伺う小さな秋の顔がほの見えて嬉しい。
 朝食を終え、洗濯物を干す。夏の間、苛烈な日差しに汗みずくの地獄だったのに、今朝の日差しは、やはり優しく感じられた。
 干し終わるころ、空はすっかり夏雲に戻っていた。

 農園の奥様から、夏水仙(ナツズイセン)の写真がLINEで届いた。花時に葉がないから、裸百合(ハダカユリ)とも呼ばれるという。花言葉は、「深い思いやり」、「楽しさ」、「悲しい思い出」、そして「あなたの為に何でもします」
 ヒガンバナ科に属し、お彼岸の頃に咲くから「大切な人の想い」を連想させる花言葉だという。兄の初盆にも行けないままに、コロナの夏が過ぎようとしていた。
                     (2022年8月:写真:友人撮影のナツズイセン)

届かぬ祈り

2022年08月10日 | つれづれに

 8月7日、77年目の「長崎原爆の日」。式典で被爆者代表として、切々と訴える宮田 隆君の姿があった。同期入社の友人である。しかし、岸田首相をしっかりと見据えて訴えた彼の言葉は、予想通り首相には届かなかった。

 5歳の時に爆心地から2.4キロの自宅で被爆、8畳間から玄関まで吹き飛ばされたが幸い大きな怪我はなかった。しかし、彼の父は5年後に白血病で亡くなり、自身も10年前に発症した癌が悪化し、苦悩の日々を過ごしているという。
 ロシアによるウクライナへの無差別攻撃と核の威嚇に、「自ら訴えたい」と、6月の核兵器禁止条約締約国会議のウイーンに飛んだ。「HIBAKUSHA」と英語で書いたゼッケンを着け、英語で各国の若者たちに訴え続けたという。
 「Please, visit Nagasaki. To see is to believe, No more Nagasaki, Stop Ukraine.」

 ゆるぎない信念を込めた格調高い「平和への誓い」は、素晴らしかった。だから一層、その後の首相の挨拶の白々しさが際立った。その首相挨拶を、宮田君は「響かなかった」と切り捨てた。

 彼の誓いに耳を傾けよう。
 「(略)――本日ご列席の国会議員・県議会・市会議員のリーダーの皆さま、被爆者とじかに対面し、被爆者の実相を聞いて、世界に広く届けてください」

 「――第2次世界大戦から77年後の今、ロシアの核兵器の使用を示唆する警告によって、世界は今や核戦争の危機に直面しています。日本の一部の国会議員の核共有論は、私たち被爆者が願う核の傘からの価値観の転換とは真逆です。核共有論は、「力には力」の旧来の核依存志向であり、断じて反対です。今や核は抑止にあらず。今こそ日本は、核の傘からの価値観を転換し、平和国家の構築に全力を挙げるべきです」
 「――そして、日本政府は核兵器禁止条約に一刻も早く署名・批准してください。昨年発効した核兵器禁止条約は、私たち被爆者と全人類の宝です。この条約を守り、行動することは、唯一の被爆国である日本政府と私たち国民一人ひとりの責務であると信じます」

 「――私たち被爆者は、この77年間、怒り、悲しみも苦しみも乗り越えて、生きてまいりました。これからも私たちは、世界の市民社会と世界の被害者と連携して、核兵器のない明るい希望ある未来を信じて、さらにたくましく生きてまいります。核兵器禁止条約をバネに、新しい時代の始まりであることを自覚し、私たちは強い意志で、子供、孫の時代に一日3食の飯が食え、『核兵器のない世界実現への願い』を引き継いでいくことをここに誓います。」

 「唯一の被爆国」として、これまで日本政府は、いったい何を成し遂げてきたというのだろう??核兵器禁止条約に批准しない日本に、どこの国が耳を傾けるというのだろう!!アメリカの核の傘の下で、卑屈に尻尾を振る為政者の姿が本当に情けないと思う。
 取材した記者が、こう締めくくった。「(被爆者代表の彼の)言葉は、リーダーだけに向けられたものではない。核の脅威が顕在化した今こそ、一人でも多くの被爆者の声に耳を傾けてほしい。そして、惨禍を経験した人に思いを寄せることが、『力には力』にあらがい、核なき世界をたぐると信じている」

 戦争の惨禍は、常に主導者や権力者には及ばない。いつも犠牲を強いられるのは国民であり、権力者が上の目目線でいう「弱者」である。被爆地広島の出身者でありながら、この日の首相挨拶に核兵器禁止条約に触れる言葉はなかった。宮田君の真摯な祈りは、首相には届かなかった。
 虚しい夏の日差し、長崎の空が何かが哀しかった。今日も大宰府は37.4度!添えるに相応しい写真も、見当たらない。代わりに、平和な太宰府の早朝の夏雲を添えよう。
                   (2022年8月:写真:大宰府の朝雲)

炎天に、秋立つ!

2022年08月07日 | 季節の便り・花篇

 例年になく、百日紅(サルスベリ)の紅が濃く感じられる。その紅の花房を、午後の苛烈な日差しが容赦なく叩く。この炎天に、姦しいセミの声も絶え、人声もしない日曜日である。洗濯物を取り込む背中に、重みを伴うような日差しが痛い。

 猛暑日が当たり前になった。37.4度という体温を超える暑さも、近年は異常とは言えなくなった。どう弁解しようと、地球温暖化はもう否定できない。40度を超える炎熱に死者が相次いだヨーロッパをはじめ、旱魃と洪水のニュースが後を絶たない。天災に名を借りた実は人災、ロシアの暴挙が世界中の食材と燃料の流れを滞らせ、便乗も含めた値上げのカーブが登り続ける。
 世界最多のコロナ第7波は衰えを見せず、人口7万1千あまりの小さな大宰府市でさえ、連日三桁の感染者を出し続けている。「重症化リスクの高い高齢者は、不要不急の外出を避けてください!」と、国のトップは無策のツケを高齢者に向けてくる。「ざけんなよ!いま発症しているのは若者や子供たちであり、最も自粛して家に籠っているのは高齢者だろう!」と憤っても虚しい。アベ、スガに続くキシダ政権、これほど貧弱な閣僚を据えた内閣も珍しい!茶番の朗読劇しかやる能力のない人間が、国の政治を司っている日本の将来に、若者は何の希望を見出だせるだろう。
 ―――腹を立てても甲斐なく、暑苦しさが一層増すだけだった。

 8月7日、立秋。暦の中の秋は、現実には35.6度、微塵の気配さえ感じられない立秋だった。懸命に小さな秋を探してみても、8月3日に、昨年より4日早くツクツクボウシが鳴き始めたこと、朝の散策の傍ら、小さな水音を立てる湧き水の辺りでウスバキトンボの小さな群れを見付けたこと――子供の頃、ボントンボといって、空一面に払いのけたくなるほどの群れが飛んでいた。確かに秋に向かう小さな気配ではある。
 子供の頃、もう一つ空を覆う季節の生き物がいた。アブラコウモリ(家蝙蝠)である。日暮れになると、石を投げれば当たりそうなほど空一面を蝙蝠が覆っていた。天の川と並び、今は失われてしまった風物詩の一つである。
 気になっていることがある。我が家の軒下に棲んでいたアブラコウモリがいなくなった。この春まで軒下に落ちていた小さな糞や虫の食べ滓が、梅雨明けの頃から見当たらくなった。数年前には子供まで生まれていたから、少なくともひと番いは命を全うしていた筈なのに。また一つ、風物詩が失われていく。

 異常気象も、毎年繰り返し叫ばれると当たり前になってしまう。人間の適応力を超える速さで、環境悪化が加速しているのだろう。環境で滅ぶか、核で滅ぶか、残された選択肢を政治が自ら狭めつつ日々が過ぎ去っていく。この夏に、まだ滅びの色は見えない。

 7月2日始まった我が家の庭のセミの羽化は、7月21日72匹を数えて終わった。昨年の29匹に較べれば多いが、かつて120匹を越えた年に較べれば少し物足りない。ニイニイゼミ、クマゼミ、アブラゼミ、ヒグラシ、そしてツクツクボウシの季節になった。早朝の薄明に「カナ、カナ、カナ!」とヒグラシが鳴き、日が昇ると「ワーシ、ワシ、ワシ!」と姦しいクマゼミに変わる、やがてアブラゼミが「ジリ、ジリ、ジリ、ジリ!」と油照りの午後を引き継ぐが、今日の炎熱の午後はセミさえも鳴かない。木立の下で、蟻に引かれる骸も増えてきた。6年も7年も地中で暮らし、這い出て羽化してもせいぜい1か月、ひたすら繁殖の為だけの鳴きたてるセミの健気さ。雌に出会うこともなく、地に落ちるセミもいるだろう。そのひたむきな生きざまが哀れを誘う。
 やがて、「オーシーツクツク!」とツクツクボウシが懸命に秋を呼び寄せてくれるだろう。

 今年も、2匹のハンミョウ(道教え)が我が家の庭で狩りを続けている。庭師が入って綺麗に刈り揃えられた庭木の緑の中で、一段と百日紅の紅が燃え上がるようだった。
                       (2022年8月:写真:百日紅燃える)