一天、青空が抜けた。思わず身を竦める、この秋一番の冷え込みに霜が降りた。
前夜、会社OB会に阿蘇・帯山に集った。標高743mの高原に聳える、13階建ての某アジア系資本のゴルフ場併設のホテルである。職員の殆ど、宿泊客の殆どが某国人で、チェックインの時間に部屋の掃除が終わっていないし、館内の表示も殆どが某国語。太宰天満宮界隈の団体ツアーでマナーの悪さに辟易しているだけに、さすがに大浴場を利用する気にならず、翌朝の乏しいメニューの朝食バイキングもそこそこに、逃げるように宿を走り出た。
晩秋の爽やかな高原、「これじゃぁ、このまま帰られめぇ!」
産山から瀬の本高原に抜けて、「やまなみハイウエー」を牧の戸峠に向かった。山肌を九十九折れで登る途中の展望台から、朝霧棚引く壮大な阿蘇五岳を望む。雲一つない秋空の下で、巨大な涅槃像が朝霧の衣を纏って横たわっていた。
黒岩山(1503m)と沓掛山(1503m)の鞍部を越える牧の戸峠(標高1333m)は、久住山(1787m、)星生山(1762m)等の久住連山への表玄関である。まだ9時前というのに、既に駐車場は登山客の車が溢れていた。色とりどりの山姿が続々と沓掛山への登山口に向かっている。
気持ちの底で、ズシンと落ちるものがある。1週間前、履き慣れた家内と二人分の登山靴と33ℓのザックを山仲間に預けて、然るべき人への譲渡を頼んだ。右膝の痛みを、毎日の自主リハビリで日常生活や近場の山林散策には支障ないまでに回復したものの、もう本格的な山登りは無理と諦めた。
主治医の整形外科医が「診てあげてもいいけど、もう加齢。正座なんて考えない方がいいですよ」…要は、加齢による軟骨減摩で完治は無理という事である。そばにいた婦長までが「私も膝が駄目なんです」…これはもう、諦めるしかなかった。
中学の頃、友人の兄に連れられて福岡近郊の脊振山(1055m)に登ったことで始まった、私の60年の山歩きが閉じた。寂しくないといえば嘘になる。厳しい山岳を極めた登山家というわけではない。九重連山を中心にしたトレッキング程度の山歩きには違いないが、それでも数えきれないほどの思い出がある。
袂を分かった山々の入り口で震え上がる寒風に吹かれながら、暫く登山者の姿を目で追っていた。今朝の牧の戸峠の寒風は、一段と身に染みた。
人生のひとつの節目だった。しかし、山を諦めても、私には海がある。20メートルの海底で、優しく包み込んでくれる豊かな海がある。
黙々と長者原に下る。馴染みのタデ原湿原から湿地の樹林を周回する「長者原自然探究路」を独り歩いた。入り口の斜面に、咲き遅れたマツムシソウが一株、葉末を霜で白く縁どりながら美しい花を数輪開いて迎えてくれた。沈みがちだった気持ちが、ふっと軽くなる。
三俣山(1745m)と星生山の間から、硫黄山の噴煙が白く青空に立ち昇り、一面枯れススキの湿原を横切る木道は、今日も独り占めだった。右手には、春になると馬酔木の巨木が鈴なりの花を並べる下泉水山(1296m)、泉水山(1447m)、黒岩山と連なる稜線が青空をくっきりと断ち切る。かつて縦走した時の、日差しの中で咲くショウジョウバカマの可憐な姿が記憶をよぎってちょっと切ない。
やがて樹林にはいり、カサコソと落ち葉を踏み鳴らし、小さなせせらぎを聴きながら歩き続けた。しみじみと歩き続けた。ツルシキミが真っ赤な実を一面につけて、キラキラと流れに弾ける木漏れ日の下で輝いていた。
1周4000歩あまり、小一時間で辿る2キロ足らずの探究路だが、木々の優しい囁きに浸る、私のお気に入りの癒しの空間のひとつである。一つ一つの木立に、思い出がある。コンビニのお握りを最高の御馳走に変えるベンチがある。
再び牧の戸峠を越え、瀬の本から黒川温泉に下り、やがて北に折れる。知る人しか知らない広域農道「ファームロードWAITA」。激しいアップダウンと急カーブが続くこの道は、土日になるとドライブ・テクニックを楽しむ走り屋たちが、バイクやスポーツカーを連ねて賑やかになるが、平日は殆ど車に会うことはない。この日も1時間あまりの疾駆の間に、すれ違ったのは10台足らずのバイクと車だけだった。シフト・チェンジを繰り返しエンジン・ブレーキを効かせながら、出来るだけブレーキを踏まずに走り下る快感は譬えようがないが、「急カーブあり。スピード落とせ!」「二輪車事故多し。スピード落とせ!」とやたらに注意標識の多い道である。ときたま「農耕車に注意!」とあるのが、まさしくファームロード(農道)であることを思い出させ、微笑ましい。
途中、右に折れて馴染みの立ち寄り露天風呂「豊礼の湯」で車を停めた。昨夜の恨みを晴らそうと、ちょっと贅沢して家族露天風呂を借り切った。500円玉2枚と100円玉2枚を入れると、50分間乳白翡翠色の温泉が掛け流しとなる。日差しの中に綺麗な稜線を見せる湧蓋山(1500m)を枯れススキ越しに見上げながら、岩風呂の独り占めの湯音に沈んでいた。
蕎麦どころ「宝処三昧」で「わいた膳」を食べて…ワンパターンの行程ではあったが、久々の310キロの独りドライブ。
山への袂別を告げた秋の一日。多分、この日を私は忘れない。
(2014年10月:写真:朝霧を纏う阿蘇五岳)