蟋蟀庵便り

山野草、旅、昆虫、日常のつれづれなどに関するミニエッセイ。

片隅の踊り子

2005年10月27日 | 季節の便り・花篇

 裂帛の百舌の声が朝の空気を小気味よく切り裂いていく。引き締まる冷たい朝の空気に、その鋭さがよく似合う。石穴稲荷の山陰に位置するこの住宅地は緑の借景としては申し分ないのだが、秋から冬にかけては日の出が遅く、今朝の朝日もようやく8時過ぎて尾根に顔を出した。
 日毎空が高くなる中に、庭の隅でジンジソウ(人字草)が咲いた。その名の通り人型の白い花を並べる姿はまるで踊り子のようだ。ユキノシタ科に属しダイモンジソウに似た花だが、その顔に当たる部分の紋様が微妙に違う。少しおどけて白い足を拡げ、紅の点を置いた顔を風に揺らせて踊っている。先年、紅葉を訪ねて豊後中村から十三曲りを巻きながら九酔渓を上がった。曲がり角の小さなくぼみに車を止めて崖の上の見事な紅葉を見上げたとき、傍らの水が滴る崖にしがみつくように咲いていたのがこの花だった。その初めての対面以来、二度とお目に掛かれない珍しい花だったが、昨年山野草の師・宏子さんがひと鉢分けてくれたのが、今花時を迎えている。
 突然の秋に肌が戸惑う風の冷たさ。しかし、その冷たさが秋の草花には大事な刺激なのだ。ツワブキの黄色い花も一段と冴え、イトラッキョウも次々に花火を打ち上げ始めた。遅れ馳せのカワラナデシコのピンクが眩しい。重なり合ったオンブバッタが傍らで日差しを浴びている。紅葉を見るために切り残しているハゼの木はまだ色づかないが、梢の先でカラスウリがオレンジ色に染まった。
 昨日、霧雨が散る阿蘇・草千里の土手で可愛いウメバチソウの群落を見付けた。玉のような蕾と、純白の梅鉢を立てる姿をバスの窓から見かけて、駐車場から駆け戻った。いつものカメラを持っていなかった不覚!残念ながら瞼の奥に留めるしかなかったが、心が躍った。数年前、裏阿蘇・清和村に薪文楽を観て、天文台の傍らに建つロッジに泊まった。一夜明けて見ると、ロッジの周りは足の踏み場に困るほど一面ウメバチソウに覆われていた。あの日の感激が蘇る。
 山野草の花時は難しい。春から夏への気候が微妙に作用し、一週間ずれただけで見頃を外してしまう。だからこそ絶好の花時に巡り会えたときの感激はひとしおなのだ。
 もう一つの踊り子に会いたくて、時折写真を撮らせてもらう行きつけの山野草の店を覗いた。昨年日照りで駄目にしてしまった真っ赤なダイモンジソウの鉢を見付けて、つい求めてしまった。真っ赤な衣装を身に纏った踊り子達の乱舞だった。
 庭先から向こうに、開館して間もない九州国立博物館の青い大屋根が見える。その眩しい輝きを見ながら、オンブバッタを真似て背中に秋の日差しを浴びる。日差しの温もりが嬉しい季節になった。温もりに包まれながら、白と赤の衣装を纏った踊り子達の群舞をしばらく楽しませてもらうことにしよう。
            (2005年10月:写真:ジンジソウ)

湿原の秋

2005年10月22日 | 季節の便り・花篇

 高原の夜が沈んだ。岩肌から流れ落ちる豊かな湯の音が静寂を深める。露天風呂を一人でほしいままにしながら、絡みつく湯に身を委ねていた。湯煙が夜風に靡き、身体の奥深く沁み入る温泉の温もりが、ひと夏の疲れをほぐしていく。たゆたうように湯船に半ば浮きながら、岩に頭をもたせかけて目を閉じた。
 「小さな秋」を探しに、高原に車を走らせた。日田で高速を降り、川沿いの曲折を走り上がる。小国に入る手前、橋のたもとを左折して下条の大銀杏を訪ねた。古木はまだ秋の色を纏わず、傍らの滝の響きに包まれて鎮まり返っていた。お馴染みの小さな店に寄り、ピーナッツを10袋買い求める。病気がちな年老いた夫婦が作るここのピーナッツは、知る人ぞ知る逸品。耳が遠くなったお婆ちゃんと言葉を交わすのが常になってもう何年になるだろう。束の間のふれあいが何故か懐かしかった。
 小国の「きよらかーさ」で豊後牛のさいころステーキでお昼を摂り、大観峰からスカイラインに乗る。阿蘇外輪山の尾根を走る快適なドライブ・コース、そのなだらかな牧草地を縫って風を切って走り抜ける。阿蘇五岳は雲に包まれ、久住の山並みも今日は雲の中だった。やまなみハイウエーを一気に走り抜け、牧の戸峠に駆け上がった。うっすらと霧が巻き、窓から吹き込む風がすっと冷たくなる。
 走り下った標高1000メートルの長者原は、連休明けで人影も少ない。夏に痛めた足がまだスッキリせず、今回の山旅は登ることを諦め、お気に入りの長者原自然探求路を歩いて「小さな秋」を探す散策の旅とした。雲間から時折洩れる日差しに、湿原のススキが眩しい。これだけは紛れもなく秋たけなわ…と言うより、この時期にススキがこれほど若々しいのは、やはり長い残暑を引きずった証なのだろう。
 木道を歩く。湿原からやがて木立の中に入る小一時間のコースは、いつ来ても心休まる森林浴の散策路である。吹く風は少し湿り気を帯び、かすかに硫黄の匂いが交じる。ススキの根方に、今盛りのヤマラッキョウがピンクの花を並べていた。姫手鞠のような丸い花の中に、珍しく車輪を並べたような花を見付けてシャッターを押した。
 木立の木道の下を流れる細い河床は鉄錆色に染まり、美しい苔や茸が「小さな秋」を演出する。まだ葉末に紅葉の気配は乏しく、時折僅かな紅の色が木の間に揺れるばかりで、高原の秋は大幅に遅れていた。
 長者原の初めて宿は別荘地帯の中にあった。夕食のメニューには満たされなかったが、この露天風呂と高原の夜風があればそれでいい。闇が落ちて一気に冷えてきた夜風に火照った身体を嬲らせながら部屋に戻る途中、見上げた空に一筋の流れ星が泉水山の尾根に飛んだ。一瞬の光芒を瞼に焼き付けて、高原の夜が更けていった。
          (2005年10月:写真:ヤマラッキョウ)

水引草に風が立ち…

2005年10月21日 | 季節の便り・花篇

    秋の日の 
    ヴィオロンの
    ためいきの
    身にしみて
    ひたぶるに 
    うら悲し
 水引草が赤い花穂を立てた。木立を揺する秋風が俄かに冷たくなり、引き摺っていたしつこい残暑も、ようやく朝晩には鳴りを潜め、ひと月遅れの秋が足取りを速めようとしている。
 柄にもなく詩集をひもどきたくなるのはこんな午後なのだ。中学生の頃、担任の国語教師が多感な少年の心に文学への火をつけた。お定まりの藤村の「初恋」に始まり、白秋に走り、光太郎に共感し、朔太郎、犀星、中也、そしてバイロン、ハイネ、ヘッセと、暫くは詩を追い続けた。やがて卒業間近い頃、音楽教師が、半ば強引ではあったがフランスの詩人達への目を開いてくれた。ボードレール、アポリネール、マラルメ、ランボーと読み進めるうちに、辿り着いたのはヴェルレーヌだった。詩とのふれあいはこの頃が一つの頂点だったかもしれない。
 翻訳詩には当然訳者へのこだわりが出てくる。だから同じヴェルレーヌでも、冒頭に掲げた「秋の歌」は堀口大学の「秋風の ヴィオロンの…」ではなく、上田敏でなければならず、「忘れた小曲」その3の雨の詩は、これも堀口大学の「雨の巷に降る如く…」ではなく、鈴木信太郎の「都に雨の降るごとく…」でなければならなかった。
 大学2年、折しも学園は60年安保闘争の真っ直中にあった。連日繰り返すデモと機動隊との闘争の中で東大生・樺美智子が死んだ。学生と労働者を中心とした安保反対の闘いは一気に加速した。それから一ヶ月、全学連の一闘士として昼間はデモ行進、機動隊と最前列で睨み合い、見えないところで足蹴りを応酬する日々が続いた。戦闘服と青いヘルメットは恐怖と憎しみの対象であり、戦闘靴で蹴りつけられる臑は青あざに覆われた。県警本部前の衝突を何度経験しただろう。逃げ帰って夜は芝居の稽古。フランスの不条理の作家・アルベール・カミュが、ロシア革命前夜のテロリスト集団を描いた戯曲「正義の人々」。詩人でありテロリストでもあるイヴァン・カリアイエフが私の役だった。正義の為にセルゲイ大公の馬車に爆弾を投げて暗殺、しかし人を殺めたからには命で贖わなければならないと、彼は自ら断頭台に上っていく。
 その頃夢中になって声を出して読んだのが、反戦詩人アラゴンの「フランスの起床ラッパ」だった。今はちょっぴり痛みを伴う遠い思い出でしかないが、青春の多感な燃焼の日々には違いなかった。
 空しく闘争に敗れて日本は今日にある。平然と詭弁をを弄する傲慢な為政者の、イラク派兵や靖国参拝がある。挫折と反動の日々に最後に巡り会ったのが立原道造だった。それは揺れ惑う青春のひとつの着地点でもあった。以来、道造は常に私の座右にある。
  夢はいつもかへって行った。山の麓のさびしい村に
  水引草に風が立ち
  草ひばりのうたひやまない
  しずまりかへった午さがりの林道を…
              (のちのおもひに)
 庭先の水引草が揺れる。少し優しくなった日差しを浴びながら、秋風の中で変色した立原道造詩集をひもどいてみる。かび臭い古本の中に、ほろ苦い青春の残滓があった。
         (2005年10月:写真:水引草)

目にはさやかに…

2005年10月03日 | つれづれに

 朝の日を浴びて、鮮やかな色彩に身を纏ったツマグロヒョウモンが秋風の中を飛び立った。残された蛹の殻が風に揺れる。昨日まで外壁に身を縮めていた蛹は、夕方の撒水の飛沫を浴びると激しく身もだえした。それが面白くてわざと水をかけてみたりしていたのだが、孵ったばかりの蝶の姿は美しかった。カメラを構える間もなく、折からの風に乗って軒を越えていった初々しい姿に心が躍った。幼虫も蛹も、黒地に赤を散りばめてやや過激な姿をしており、決して万人に好かれるものではないけれども、華麗な変身が見たくて毎年我が家で孵している。その為のスミレが4つのプランターに繁り、初夏の頃から訪れる蝶を待っていた。
 蛹を覆うように立てられたネットには、既に咲き終わった夕顔がたくさんの種子を残した。枯れた種子はやがて木枯らしにカラカラと乾いた音を立てる。その音を聴きたくて、夕顔の種子はいつもこのまま風の中に放置される。
 青い実を40個あまり付けた八朔の下陰、ホウチャクソウの繁った辺りに、小さな「夏の忘れ物」を見付けた。もうずいぶん前に孵っていった蝉の抜け殻が、まだ命あるもののように葉裏にシッカリとしがみついている。時たま思い出したように向こうの裏山で法師蝉が鳴くけれども、その声にもう真夏の喧噪はない。あの暑熱を煽るように姦しかった蝉時雨さえ、今は懐かしい。
 ふと風に金木犀が香った。剪定し過ぎた枝先に少し寂しい花をつけて、ここにも秋が匂い始めている。奔放に四方に枝を広げたカリガネソウの花もやがて終わる。シロバナホトトギスが高い茎に花を並べ、庭の隅ではムラサキシキブがいい色に染まりはじめた。昨夜、今年最後の花を開いた月下美人の残り香が、まだ部屋に漂っている。
 玄関先で一瞬の間に蚊に刺された家内が慌てて薬をつけている。この時期の蚊は軽く刺し逃げるだけなのに無性に痒い。「哀れ蚊」と名付けた風流もこの痒さにはかなうまい。
 こうして季節が移ろう。さやかには見えぬ秋を風の音に確かめた、いにしえ人の歌心もいい。しかし、少しばかり目をこらすだけで、あるいは屈み込んで目線をちょっと下げてみるだけで、移ろう季節をいくらでも確かめることが出来る。
 9月が逝った。「気が向くままに、当てもなく小さな旅をしてみようよ」と家内が誘う。「わたしたちにも、そぞろ神が取り憑いたのかしら…」と。それもいい。11月に「奥の細道」を歩く旅が待っている。その前に、「日常」の疲れから解き放たれて、気の向くままに高原に車を走らせ、さやかな秋を探してみるのも一興ではないか。
 いつになく厳しい残暑の中、早生の蜜柑を仏壇に供えた。チンと鳴るお鈴の音も一段と澄んできたようだ。
             (2005年10月;写真:蝉の抜け殻)