裂帛の百舌の声が朝の空気を小気味よく切り裂いていく。引き締まる冷たい朝の空気に、その鋭さがよく似合う。石穴稲荷の山陰に位置するこの住宅地は緑の借景としては申し分ないのだが、秋から冬にかけては日の出が遅く、今朝の朝日もようやく8時過ぎて尾根に顔を出した。
日毎空が高くなる中に、庭の隅でジンジソウ(人字草)が咲いた。その名の通り人型の白い花を並べる姿はまるで踊り子のようだ。ユキノシタ科に属しダイモンジソウに似た花だが、その顔に当たる部分の紋様が微妙に違う。少しおどけて白い足を拡げ、紅の点を置いた顔を風に揺らせて踊っている。先年、紅葉を訪ねて豊後中村から十三曲りを巻きながら九酔渓を上がった。曲がり角の小さなくぼみに車を止めて崖の上の見事な紅葉を見上げたとき、傍らの水が滴る崖にしがみつくように咲いていたのがこの花だった。その初めての対面以来、二度とお目に掛かれない珍しい花だったが、昨年山野草の師・宏子さんがひと鉢分けてくれたのが、今花時を迎えている。
突然の秋に肌が戸惑う風の冷たさ。しかし、その冷たさが秋の草花には大事な刺激なのだ。ツワブキの黄色い花も一段と冴え、イトラッキョウも次々に花火を打ち上げ始めた。遅れ馳せのカワラナデシコのピンクが眩しい。重なり合ったオンブバッタが傍らで日差しを浴びている。紅葉を見るために切り残しているハゼの木はまだ色づかないが、梢の先でカラスウリがオレンジ色に染まった。
昨日、霧雨が散る阿蘇・草千里の土手で可愛いウメバチソウの群落を見付けた。玉のような蕾と、純白の梅鉢を立てる姿をバスの窓から見かけて、駐車場から駆け戻った。いつものカメラを持っていなかった不覚!残念ながら瞼の奥に留めるしかなかったが、心が躍った。数年前、裏阿蘇・清和村に薪文楽を観て、天文台の傍らに建つロッジに泊まった。一夜明けて見ると、ロッジの周りは足の踏み場に困るほど一面ウメバチソウに覆われていた。あの日の感激が蘇る。
山野草の花時は難しい。春から夏への気候が微妙に作用し、一週間ずれただけで見頃を外してしまう。だからこそ絶好の花時に巡り会えたときの感激はひとしおなのだ。
もう一つの踊り子に会いたくて、時折写真を撮らせてもらう行きつけの山野草の店を覗いた。昨年日照りで駄目にしてしまった真っ赤なダイモンジソウの鉢を見付けて、つい求めてしまった。真っ赤な衣装を身に纏った踊り子達の乱舞だった。
庭先から向こうに、開館して間もない九州国立博物館の青い大屋根が見える。その眩しい輝きを見ながら、オンブバッタを真似て背中に秋の日差しを浴びる。日差しの温もりが嬉しい季節になった。温もりに包まれながら、白と赤の衣装を纏った踊り子達の群舞をしばらく楽しませてもらうことにしよう。
(2005年10月:写真:ジンジソウ)