静かに夜の闇が落ちかかる。その闇を突きぬけるように、垂直にドローンが舞いあがった。長年憧れ続けた千人の舞が、今まさに始まろうとしていた。
暑さに茹だり部屋籠りが続くと、身体ばかりか心までが内に籠り始める。このままでは本当に夏バテの餌食になる。そんな時、「山鹿灯籠祭と、菊池渓谷・阿蘇2日間」というツアーを見付け、迷わず申し込んだ。これで今年の夏を送り出すことができる……そんな思いだった。
同時発生した3つの台風の最後の10号が超大型台風に発達し、焦らすように鈍足で九州四国を窺い始めたのはそんな時だった。「命にかかわる超大型台風!」「自分の命は自分で守ってください!」とテレビが緊迫感を煽り立てる。汗にまみれて台風対策を施し、15日の暴風雨に備えた。15日夜の踊りは中止となり、16日のツアーの催行も危いかと思われた。
幸い、今回も北部九州は肩透かしに終わった。小雨と微風の中に山鹿市のホームページを開いて「16日の千人灯籠踊り実施決定」を確認したのは、そんな中だった。
午後1時40分に福岡・天神をバスで発ち、15時35分に玉名温泉「ホテルしらさぎ」にチェックイン。束の間のまどろみの後、16時45分から早々と夕食。17時15分にホテルを発って、会場の山鹿小学校に向かった。
鶴田一郎描く妖艶な灯籠の女性を写した団扇を手に、スタンド桟敷の最前列に座って祭の始まりを待ちながら、栞で山鹿灯籠祭の由来を読んだ。
「その昔、菊池川一帯に立ち込めた深い霧に進路を阻まれた景行天皇のご巡幸を、山鹿の里人がたいまつを掲げてお迎えしました。以来、里人たちは天皇を祀り、毎年たいまつを献上したのが始まりです。室町時代になり、和紙で作られた灯籠を奉納するようになったと言われています。」
「頭に金灯籠を掲げた浴衣姿の女性たちが、ゆったりとした情緒漂う「よへほ節」の調べにのせて、優雅に舞い踊る夏の風物詩です。
中でも、薄暗闇に千の灯が浮かび、櫓を中心にして渦のように流れ、揺らめく千人灯籠踊りは、観る人を幻想的な世界へ誘います」
「よへほ」……聞き慣れない言葉である。元唄は男女の逢瀬・呼び合いを歌った土俗風の唄だったという。昭和の初めに野口雨情が詞を改め囃子詞となった。「よへ」は「酔へ」、「ほ」は肥後弁の相手の気を惹く「ほー」、あわせて、「あなたもお酔いヨ、ホラッ」というニュアンスとも書かれていた。
午後8時、その時が来た。昨年まで総監督を務めたという山本寛斎が正面スタンドから手を振る。静寂の中に、何処からともなく涼やかなせせらぎの音が流れ始める。踊り子の列がしずしずと進んでくる。櫓の横で左右に分かれ、輪になっていく。一列2列……5列ほどの輪が櫓を囲んだ。
圧巻だった。十重二十重と言いたくなるほどの千人の輪が頭の灯籠を光らせながら、うねるように舞い始める。決して難しい所作ではない。ゆったりと静かに揺れ動く幽玄の波だった。
ぬしは山鹿の 骨なし燈籠
よへほ よへほ
骨もなけれど 肉もなし
よへほ よへほ
洗いすすぎも 鼓の湯籠
よへほ よへほ
山鹿千軒 たらいなし
よへほ よへほ
心あらせの 蛍の頃に
よへほ よへほ
とけし思いの しのび唄
よへほ よへほ
「ゆらり ゆらりと 酔い痴れる」……その言葉通り、ただただ夜の幻想の中で酔い痴れていた。
カミさんと撮ったたくさんの写真の中から、3枚を組みあわせて風情を醸し出そうとしたが、あの浸り込む感動を表すには、あまりにも無力だった。
こうして、今年の夏に別れを告げた。翌日辿った菊池渓谷の森林浴、緑を溶かし込んだせせらぎに身を浸しながら、気持ちはまだ千人踊りの輪の中にいた。
(2019年8月:写真:山鹿燈籠線に踊り)