季節外れの夏日が続く朝だった。一人寝の眠りから覚めて寝室のカーテンを開け、空気を入れ換えようと窓を開けた途端、その光景があった。カマキリ誕生の劇的瞬間を目撃したのは初めてだった。
秋の終わりの頃、もう産卵のタイミングとしては遅い時期に、すこし動きの鈍くなったカマキリが窓の下を歩いていた。多分それが親だったのだろう、窓に垂らした天津簾の裏側に卵塊(卵鞘)を残していた。形も歪で、懸命に産んだと思わせる小さめの卵塊を時折確かめながら、冬を過ごした。(動きの鈍かったカマキリは、やがてエアコンの室外機の裏で、ひっそりと命の火を消していた。)
短く、酷寒に至らないままに冬が過ぎ、急ぎ足で春が駆け過ぎて行った。すぐに初夏が来て、身体の準備も衣服も整わないうちに夏日が訪れた。
もう少し先だろう思っていたのに、この日の誕生だった。小さい卵塊ながら、多分200匹は優に超すちびっこカマキリが、わらわらと卵塊の下にぶら下がった。誕生してすぐに脱皮し、一丁前の姿形をしたちびっこカマキリが、簾の隙間から落ち、思い思いに庭に散っていく。
ネットにこんな記載があり、思わず笑った。
……卵は卵鞘内で多数の気泡に包まれ、外部からの衝撃や暑さ寒さから守られる。卵鞘は「螵蛸」(おおじがふぐり)という別名を持ち、これは「老人の陰嚢」の意味である。卵から孵化した幼虫は薄い皮をかぶった前幼虫(ぜんようちゅう)という形態で、脚や触角は全て薄皮の内側にたたまれている。前幼虫は体をくねらせながら卵鞘の外へ現れるが、外に出ると同時に薄皮を脱ぎ捨てる最初の脱皮を行う。……
毎年、散策の折りに卵塊を探し、枝ごと折り採って鉢に差して孵化を待ったが、こんな劇的な誕生の現場に出くわすことはなかった。少しときめきながら、カメラを取りに走った。
マクロにクローズアップレンズを嚙ませて、ファインダーに捉えたちびっこたちの、なんと小生意気なこと!こんなにたくさんの兄弟と産まれを共にしても、生き残るのはおそらく数匹だろう。たくさんの天敵がいる。肉食の彼らには、餌が乏しければ、共食いもある。それが、大自然の摂理。生き残る可能性が少ないからこそ、これほど多数がわらわらと誕生するのだ。
学名は「預言者」というギリシャ語に由来し、英語には「お祈り虫」の意味がある。鎌を畳んで背を逸らした姿を見れば、その名前の所以が理解できる。近年の日本でカマキリと言えば、香川照之(市川中車)の「昆虫すごいぜ」のカマキリの着ぐるみが、圧倒的な存在感を見せる。
私が好きで使う「蟷螂の斧」という言葉がある。中国の故事に由来する言葉だが、斉の国の君主・荘公の馬車を止めて道を譲らせた一匹のカマキリ、その勇気に因み、日本の戦国時代には兜にカマキリを飾った武者もいたという。しかし今では、無力な己を顧みずに突き進む無謀な行動を指して言うようになった。
永田町に歯ぎしりして怒る度に、己の無力さを恥じて「蟷螂の斧」という言葉をよく使う。その使用頻度は、安倍政権になってから、一気に高まった気がする。
……閑話休題(それはさておき)……数匹でもいい、この庭で生き残って逞しく成長し、やがて庭木の梢でセミを捉えて鳴き騒がせる日が来ることを、密かに祈っている自分がいた。
友人から、スズランの鉢植えを頂いた。ぷっくり膨らんだ蕾を見ていると、身体中がざわついてくる。もうすぐ小さなランタンを並べて、心で聴く微かな鈴を鳴らすことだろう。
季節が奔る。額に汗する日々は、紛れもなく「初夏真っ盛り」である。
(2019年4月:写真:カマキリの誕生)