蝉時雨というには、あまりにも豪快で烈しく、もう豪雨と譬えたいほどのセミの大合唱である。未明から夜明け、黄昏時から闇が満ちるまで「カナカナカナカナ♪」と鳴くヒグラシには、まだ涼風と遠い秋の気配を垣間見るような爽やかさがあるが、「ワ~シワシワシワシ!」「ジリジリジリジリ!」と鳴きたてるクマゼミとアブラゼミの声は、油照りの苛烈な日差しを一層加熱するような激しさである。
夕飯後の8時過ぎ、期するところあって懐中電灯とカメラを抱えて庭に降りた。予想通り八朔の枝先に幾つもしがみ付いていたのは、地面から這い出し、よじ登ったばかりのクマゼミの幼虫だった。今夜こそ、悲願の羽化全過程の連続写真を撮ろうと、足位置を決めた。三脚が立つ高さではない。立って丁度目線の高さの枝にカメラのアングルを定め、長時間立ち続ける足位置を地面にマーキングする。殺虫剤を撒いたら繊細な羽化の瞬間に影響があるかもしれないから、薮蚊に苛まれるのは覚悟の上である。ジーンズで脚はカバーしているが、むき出しの腕は諦めて薮蚊に進呈することにしよう。
しっかりと葉に爪を立てて動きを止めてからおよそ20分、幼虫の背中に縦に割れ目が入り、小さくたたまれた緑の羽を透かしながら、ゆっくりと伸び上がるように殻からせり出てくる。羽化の瞬間である。少しのけ反るように上半身が出る。静かに6本の脚が抜け出てくる。下半身だけ殻に残し、体をぐっとそらして、静止してしばらく時が止まった。
やがて体液が少しずつ注がれ、小さな爪のような羽根が貝殻のように膨れてくる。たたまれていた羽が少し開きかかった頃、反らしていた身体を持ち上げながら、一気に下半身を抜き出して、前肢でしっかりと殻に摑まった。
それからの羽の伸展は早かった。肉眼で見える速さで透明な羽が広がり、鮮やかな薄緑色の翅脈が伸びていった。枝に足場を固めて静止してから、およそ2時間の誕生のドラマである。時を忘れ、苛むやぶ蚊の痒みに耐え、立ち続ける足腰の痛みを我慢しながら、ひたすらファインダーを覗き続けた。新たな命の誕生の全てが、200枚ほどの連続写真となってカメラに納まった。悲願達成の夜だった。この夜、我が家の庭で5匹の誕生があった。7月終わり近い今、その全てがクマゼミだった。途中、二人の小学生の娘を連れて愛犬の散歩をしていた子供会のお母さんのKさんを呼び止めて、子ども達に命誕生の瞬間を見せた。
この週末、10年目の「夏休み平成おもしろ塾」が開講する。毎回開講式で行なう「塾長先生の昆虫講座」。一人でも虫好きを育てたいという願いから、欠かすことなく続けてきた。その願いは、毎年少しずつ叶えられている。
今年のテーマは「虫の顔を見よう」。この春手に入れた海野和男さんの「昆虫顔面図鑑」と、自ら開発した世界でただひとつの「虫の目カメラ」を駆使した栗林慧さんの素晴らしい写真集「栗林慧全仕事」、学生時代憧れの九州大学白水隆さんの「原色日本蝶類幼虫大図鑑」(昭和35年に買った私の宝物)、この日の為に撮り溜めた私の昆虫写真……テキストに不足はない。毎年楽しみにしてくれている子ども達には、先日初めて見たルリボシカミキリと美しいタマムシの写真をお土産に渡すことにしよう。
夕方、子供育成会会長のIさんが、塾の出席者名簿を持ってきてくれた。1年生から6年生まで、19名の子ども達が今年の私の塾生である。Iさんの6年生と3年生の子供の夏休みの課題のアイデア交換、子育てのこと、親離れ子離れのことなど話が弾んだ。
10年の軌跡を残す「夏休み平成おもしろ塾」は、ご町内のお年寄りが先生となって、お点前、お習字、生け花を教えてくださる。最終日には、お父さん達も参加する初めての飯盒炊爨を組み込んだ。今では兵式飯盒もネットでしか手にはいらないが、児童公園に竈を組んで、飯盒でお米を計り、洗い、薪で炊き上げるところまで体験する。お焦げやお粥や生煮えの夏野菜カレーライスも又経験のうち、きっと楽しい思い出作りが出来ることだろう。
日が昇るころ、翅脈に褐色の色を染めてすっかり成虫の貫禄を身にまとったクマゼミたちは、それぞれ伴侶を求めて飛び立っていった。これから、1週間から10日の短い命を生きる。今日も33度を越す炎天下は、豪快なセミ達の大合唱である。
(2011年7月:写真:クマゼミ誕生のひとコマ)
【連続写真を、フォトアルバムでお楽しみ下さい。】