およそ50年振りの感動だった。
福岡市南部、佐賀県との県境に横たわる背振山系。……中学生の頃、昆虫採集を教えてくれた友人の兄に連れられて、板屋峠から標高1055mの背振山に登り、尾根伝いに西に連なる山道を辿った。……私の山歩きの始まりとなった思い出の山である。背振山(1055m)―矢筈峠―椎原峠―鬼ヶ鼻岩(840m)―猟師岩山(893m)―小爪峠―金山(967m)と連なるアップ・ダウンの緩やかな山道は、小さなハコネサンショウウオが生息するせせらぎの渓流、風に靡くススキの草原、鮮やかなシャクナゲの群落、美しいピンクのミツバツツジの咲く木立、生い茂る雑木林、瑞々しいセコイアの樹林など、季節毎の変化を楽しめる縦走路だった。
特に私のお気に入りは鬼ヶ鼻岩だった。春、50m近い絶壁の岩陰に足を垂らしながら握り飯を頬張ると、蓮華の紫や菜の花の黄色の絨毯の向こうに、遠く福岡市と博多湾を見渡すことが出来た。大学浪人時代の唯一の息抜きと自分に許していた月に一度の山歩きは、殆どこの岩山の上で過ごした。
大学の頃、付き合い始めていた家内に山歩きを教え、椎原峠―鬼ヶ鼻岩―猟師岩―小爪峠のショート・コースを案内したことがあった。椎原峠のススキの草原の中でお握りを食べ、爽やかな風に吹かれて憩う傍らで、一対のトカゲが交尾していた。初めて見る思い掛けないシーンに、何か悪い所に出くわしたみたいな後ろめたさと胸の動悸を感じながら、交尾を終えるまで見守っていた。若く感受性溢れるころの感動的な思い出である。
梅雨の晴れ間、我が家の玄関先の貼り石の上で、ほぼ50年振りに同じシーンを見ることになった。雄は下半身を絡ませて交尾しながら、雌の腰の辺りに軽く噛み付いている。雌は目を閉じて恍惚の表情……これは年中発情している人間の、不遜な感情移入の表現ではあるが……あれほど敏捷なトカゲが、交尾を終えるまでのおよそ30分、触っても微動すらせずに静止していたのは驚きだった。生命の神秘、本能に従う生き物達の生殖のひとコマは、何故か厳粛で神秘的でさえあった。そこには、紛れもなく命が眩しく息づいていた。
プランターのパセリを旺盛な食欲で貪っていた5頭のキアゲハの幼虫は、辛うじて幾枚かの葉を残して蛹への過程にはいっていった。4頭はいつの間にか草むらの中に蛹化の場所を探しに姿を消し、最後の1頭だけが家の犬走りの上をモコモコと移動しているのを見守った。やがて犬走りの上の小さな張り出しに糸を掛け、水平にしがみ付いて前蛹の静止状態になった。
しかし、数時間後確かめに見に行ったところが、その姿がない。糸を掛けた前蛹から移動する筈もないし、思い当たるのは、しきりにその辺りを駆け回っていたトカゲ。昆虫を好んで食べ、時には自分の身体より大きいムカデさえ食うトカゲである。若齢幼虫から見守り、食餌の心配に明け暮れ、蛹化と羽化へのプロセスを楽しみにしていたのに……「そして、誰もいなくなった…」しかし、これも命の輪廻、今日のひたむきな交尾の養分になったのなら、それもまた大自然の営みである。しきりに八朔の葉末に舞い寄っているクロアゲハが、また次の生命の輝きを見せてくれることだろう。
未練がましく梅雨空を引き摺っている。7月も残り10日というのに、降るでなく晴れるでなく、鉛色の雲の塊を空に走らせ、80%の湿度と真夏日を重ねながら、まだ梅雨明けが見えない。打ちのめされそうなほどの不快感の中、九州国立博物館の「国宝・阿修羅展」初の日曜日は、3連休の中日とあって午前中180分待ちとなった。虚空に自分自身を凝視しながら、天平の美少年は何を想いながら佇んでいるのだろう。
(2009年7月:写真:トカゲの交尾)