蟋蟀庵便り

山野草、旅、昆虫、日常のつれづれなどに関するミニエッセイ。

命、眩しく……

2009年07月20日 | つれづれに

 およそ50年振りの感動だった。

 福岡市南部、佐賀県との県境に横たわる背振山系。……中学生の頃、昆虫採集を教えてくれた友人の兄に連れられて、板屋峠から標高1055mの背振山に登り、尾根伝いに西に連なる山道を辿った。……私の山歩きの始まりとなった思い出の山である。背振山(1055m)―矢筈峠―椎原峠―鬼ヶ鼻岩(840m)―猟師岩山(893m)―小爪峠―金山(967m)と連なるアップ・ダウンの緩やかな山道は、小さなハコネサンショウウオが生息するせせらぎの渓流、風に靡くススキの草原、鮮やかなシャクナゲの群落、美しいピンクのミツバツツジの咲く木立、生い茂る雑木林、瑞々しいセコイアの樹林など、季節毎の変化を楽しめる縦走路だった。
 特に私のお気に入りは鬼ヶ鼻岩だった。春、50m近い絶壁の岩陰に足を垂らしながら握り飯を頬張ると、蓮華の紫や菜の花の黄色の絨毯の向こうに、遠く福岡市と博多湾を見渡すことが出来た。大学浪人時代の唯一の息抜きと自分に許していた月に一度の山歩きは、殆どこの岩山の上で過ごした。
 大学の頃、付き合い始めていた家内に山歩きを教え、椎原峠―鬼ヶ鼻岩―猟師岩―小爪峠のショート・コースを案内したことがあった。椎原峠のススキの草原の中でお握りを食べ、爽やかな風に吹かれて憩う傍らで、一対のトカゲが交尾していた。初めて見る思い掛けないシーンに、何か悪い所に出くわしたみたいな後ろめたさと胸の動悸を感じながら、交尾を終えるまで見守っていた。若く感受性溢れるころの感動的な思い出である。

 梅雨の晴れ間、我が家の玄関先の貼り石の上で、ほぼ50年振りに同じシーンを見ることになった。雄は下半身を絡ませて交尾しながら、雌の腰の辺りに軽く噛み付いている。雌は目を閉じて恍惚の表情……これは年中発情している人間の、不遜な感情移入の表現ではあるが……あれほど敏捷なトカゲが、交尾を終えるまでのおよそ30分、触っても微動すらせずに静止していたのは驚きだった。生命の神秘、本能に従う生き物達の生殖のひとコマは、何故か厳粛で神秘的でさえあった。そこには、紛れもなく命が眩しく息づいていた。

 プランターのパセリを旺盛な食欲で貪っていた5頭のキアゲハの幼虫は、辛うじて幾枚かの葉を残して蛹への過程にはいっていった。4頭はいつの間にか草むらの中に蛹化の場所を探しに姿を消し、最後の1頭だけが家の犬走りの上をモコモコと移動しているのを見守った。やがて犬走りの上の小さな張り出しに糸を掛け、水平にしがみ付いて前蛹の静止状態になった。
 しかし、数時間後確かめに見に行ったところが、その姿がない。糸を掛けた前蛹から移動する筈もないし、思い当たるのは、しきりにその辺りを駆け回っていたトカゲ。昆虫を好んで食べ、時には自分の身体より大きいムカデさえ食うトカゲである。若齢幼虫から見守り、食餌の心配に明け暮れ、蛹化と羽化へのプロセスを楽しみにしていたのに……「そして、誰もいなくなった…」しかし、これも命の輪廻、今日のひたむきな交尾の養分になったのなら、それもまた大自然の営みである。しきりに八朔の葉末に舞い寄っているクロアゲハが、また次の生命の輝きを見せてくれることだろう。

 未練がましく梅雨空を引き摺っている。7月も残り10日というのに、降るでなく晴れるでなく、鉛色の雲の塊を空に走らせ、80%の湿度と真夏日を重ねながら、まだ梅雨明けが見えない。打ちのめされそうなほどの不快感の中、九州国立博物館の「国宝・阿修羅展」初の日曜日は、3連休の中日とあって午前中180分待ちとなった。虚空に自分自身を凝視しながら、天平の美少年は何を想いながら佇んでいるのだろう。
            (2009年7月:写真:トカゲの交尾)

お帰り!

2009年07月03日 | 季節の便り・虫篇

 本格的梅雨の雨が迫る6月25日、両眼白内障手術の為に家内を入院させた夕べ、石穴神社の杜の奥でヒグラシが鳴いた。今年の初鳴きである。

 にわかにクローズアップされ始めた環境問題に「今更遅いよ!」と嘯きながら、それでも心のどこかに人類の英知を信じたい気持が微かながらある。しかし、学者や政治屋が唱える温暖化の将来像を真っ向から否定する、恐ろしい報道やドキュメントが相次ぐ。地球温暖化で万年氷が解け、狩猟生活の糧を失いつつある民が、露出した大地に新たな鉱物資源を掘削することで生きようとしている映像……破壊に破壊を重ねて、資源が尽きるまでの空しい延命…人間の英知なんて、所詮自己中心の浅はかな思い上がりでしかないのだろうか?地球上の全ての命を、自らの命と同じ重みで感じることが出来ない限り、もう先はない。
 こんな愚痴が多くなったなと自嘲しながら、少し生きることに疲れて来ているのかなと自戒も重ねる毎日である。
 
 7月1日、博多の街の男たちが最も輝く季節が始まる。

 「山笠のあるけん、博多たい!」……締め込み姿の男のお尻がセクシーに躍動する日本三大祇園祭りのひとつ・博多祇園山笠。身贔屓には、日本一男らしい祭りだと自負して憚らない。この日、市内あちこちの見事な飾り山が一斉にその覆いを払って街を飾った。山が駆け抜ける病院の前の通りも、電柱が茣蓙で巻かれ、表通りには東流の山が立った。7月2日、8日振りの退院の朝の帰り道、東流の飾り山を観て、縁台に詰める法被姿の「やまのぼせ」と言葉を交わしながら退院を祝った。博多っ子の家内にとっては、何より嬉しい退院祝いだったことだろう。昨夜までの豪雨は南に下がり、束の間の梅雨の中休みだった。

 帰り着いた我が家の庭のパセリのプランターに、キアゲハの幼虫が5頭誕生していた。「お帰り!」待っていた帰還である。毎年、我が家のパセリはキアゲハの為に植えられる。時折、料理に拝借することはあっても、基本的にはキアゲハの為に植えられた3株のパセリである。そして、スミレはツマグロヒョウモンの為にある。季節と命を感じさせてくれる恒例の我が家の饗宴。しかし、5頭は予想を超えていた。又、食糧不足の緊急避難に備えて、ご近所の人参畑をこっそり探っておこう。
 愚痴るより、今を健気に生きる小さな命と真正面から向き合う豊かな時間を大事にした方がいい。

 昨夕、九州国立博物館環境ボランティアの作業で、館内の生物インジケーター(トラップ。館内に337個仕掛けてある)を2週間振りで交換した。高温多湿で虫の発生が多いシーズンである。虫好きにとっては冬場と異なり、回収したインジケーターを観察する楽しみがあってワクワクするのだが、博物館の職員さんにはありがたくない季節である。
 作業を終わって外に出た時、ベンチの上に不思議な模様を見つけた。何気なく傘の先で触れてみたら、スッと飛び立ってまたすぐに羽を休める。初めて見る体長2センチほどの不思議な蛾だった。勿論名前も知らない。ケバいというべきか、緻密な造形というべきか、赤い尾っぽと繊細な頭と触角を震わせながら、折からの夕立を避けてベンチに憩っていた。
 まだまだ不思議いっぱいの生き物の世界である。守り続けたい地球の大自然である。
                (2009年7月;写真;謎の蛾)
<追記>
 九州国立博物館・博物館科学科の、昆虫に詳しいYさんから早速ご教示があった。ハマキガ科のビロードハマキと判明、ホッと安心した反面、それほど珍しい蛾でもないとわかって、少しガッカリ。2003年から、都内で発生が増えているという。インターネットで引いたら、記載があるある!潜在化している昆虫少年(及び、その成れの果て)がたくさんいるとわかって、何だか嬉しくなった。