蟋蟀庵便り

山野草、旅、昆虫、日常のつれづれなどに関するミニエッセイ。

~癒されて、嬬恋~その3

2007年06月30日 | 季節の便り・旅篇

 薄く広がった雲が陽射しを和らげ、一日の高原散策を優しく包んだ。早朝に30分、宿が主催する周辺散策のグループに入れてもらった。専門のガイドが、取り巻く峰々や、木々と山野草の名前をわかり易く教えてくれる。玄関の溶岩鉢の中に、3輪のコマクサが花びらを重ねていた。憧れの花の一つに、こんなに呆気なく出会えるとは思ってもいなかった。今日も早速うずくまりで一日が始まった。
 昨日覚えたばかりのツマトリソウを皮切りに、バイカウツギ、ニッコウキスゲ、クリンソウ、スズラン、コンロンソウ、マイヅルソウ、ズミ(コナシ)……野草の名前はすぐ覚えるのに、木の花の名前がなかなか覚えられず、すぐに忘れてしまうことが多い。……こだわりのツケである。
 程なく今夜の宿をお願いしているペンションのママ、オフ会の仲間の一人のYさんが迎えにきてくれた。今日一日、仕事を放り出して、同じペンション経営の友人二人と四阿山(2354メートル)、浦倉山(2091メートル)の尾根下に広がる湿原・野地平を案内してくれるという。「パルコール嬬恋スキーリゾート」の駐車場で、先ずその一人Mさんと落ち合い、緑のトンネルを抜け、シラカバやダケカンバの木立をゆるやかに登り詰めて行った。程よい湿度に、古代の神話に出てくるヒカゲノカズラや苔が小径の傍まで生えている。ピンクの花を今盛りと開くムラサキヤシオツツジが新緑に映えた。ズミの蕾のピンクも美しい。すっかりおなじみになったツマトリソウの褄の彩りは、蕾の時のほうが鮮やかなことも確かめた。ときたま木陰にミツバオウレンが白い花を伏せる。
 やがて程なく広大な野地平の木道に出た。一面ゼンマイが今盛りである。木道を逸れた原野に、幾つものゼンマイ狩りのグループがいる。2種類のゼンマイの加工保存処理の仕方を、YさんとMさんが情報交換している。大自然を身近に生きている人たちへの羨望の思いが兆すのはこんな時である。
 食料自給率30%を切る日本の将来への不安、デパートや専門店で買うことでしか昆虫と接することが出来ない都会の子供達の哀れ、そこに付け入って利潤追求の思惑で輸入される年間100万匹を超える昆虫達が、やがて生態系を破壊することへのおののき、人間を同じ生き物のひとつとして捉え、熊に襲われても日本のようにハンターが得意げに射殺したりはせずに、自然との距離を誤った人間に非があるとして熊を殺さないカナダの自然保護姿勢への憧れ……去来する思いを振り払いながら、初夏の高原散策を楽しんだ。木道の途中でもう一人の友人Mさんと合流、木道に腰をおろしてお握りを食べた。吹く風に鶯の声を聞きながら、これ以上贅沢なランチはなかった。
 嬬恋最後の夜、Yさんのペンション「嬬恋高原倶楽部」を独り占めにして、ワインを傾けながら豪華なディナーをいただいた。鳥の声、風の音だけに包まれた静寂が、嬬恋最後の、そして最高のもてなしだった。

 帰り着いた太宰府は、梅雨真っ盛りの蒸し暑さに覆い尽くされていた。あの高原の爽やかな風は何だったのだろう。パソコンのスイッチを切ったら、全てが仮想世界での出来事として消えてしまうのではないか……そんな気がする程、今回の嬬恋オフ会は不思議な体験だった。想い出へのお礼に、拙い写真を10枚組みの絵葉書セットに作り、お世話になったオフ会に方々に送ることにした。題して~癒されて、嬬恋~……もう、これ以上の言葉はなかった。
         (2007年6月:写真:新緑の小道)

~癒されて、嬬恋~その2

2007年06月30日 | 季節の便り・旅篇

 洋花より和花、大輪より小花、八重より一重、栽培種より野の花、樹木の花より草の花……そして、究極のこだわりはデジカメでなくアナログ・カメラ。現場で撮り直しが利き、パソコンで加工出来るデジカメのメリットは理解しながらも、一本のフィルムを撮り終えて現像に出し、焼きあがる瞬間を待つまでの期待と不安のときめきの時間が忘れられなくて、しぶとくアナログにこだわっている。傍若無人な振る舞いと声高に道具自慢する写真倶楽部の団体に幾度も顰蹙してから、一切集団活動はしない。独りよがりでもいい、自己満足でもいい。拙い素人写真だが、親しい友人や家族と、限られたブログの読者だけに披露し、7年来行きつけのクリニックの待合室の壁に月替わりで飾って患者さん達の心を癒すだけで、私のこだわりは満たされている。デジカメへの移行が加速し、アナログから撤退するメーカーが増えて、フィルムの値段も2倍になった。かつてのレコードからCDへの移行に倣うのだろうが、もう暫くこだっわてみよう。
 立ち位置から目線を下げてしゃがみこんだら、新しい世界が広がった。腹ばいになって小さな野の花と向き合って、新たな感動を発見した……7年前、庭先で咲いていたユキノシタと初めて目線で向き合った時の感動である。

 嬬恋の初夏の花達との巡りあいは嬉しかった。九州の野の花だけでもまだまだ見尽くせないほど奥が深く、関門海峡以北の花々は遠い憧れの世界だった。山荘に荷をほどいてその足で、Wさんと愛犬ワサビちゃんの先導で木立にはいった。今夜のBBQに添える食材の山独活とオオバギボウシを採るのが目的だった。(ギボウシは我が家の庭では花を愛でるのに、ここではその若い葉を食材として活かしている。それが許されるほどに豊かな群生なのである。これほどの山独活の群落も初めてだったし、天麩羅に美味しいタラやコシアブラも無尽蔵である。)しかし、樹林の下草の中にしゃがみこんだらもう動けない。そこここに野生の可憐なスズラン、花びらの褄を淡いピンクに染めたツマトリソウ、幾つもの花を茎に並べ立てるベニバナイチヤクソウ、その実が強壮剤に使われるチョウセンゴミシ等が夕風に揺れている。時折振り返って誘うワサビちゃんが「何だ、そんな花!」と言いたげに、うずくまる私を見ている。新調したジーンズの膝が草のしみに染まるのも忘れてファインダーを覗いていた。(帰ってクリーニングに出したが、「草木染状態だから、この染みは消えませんよ」と笑われてしまった。)夕影が足元に迫るまで、時を忘れて木立の中の道をさすらっていた。

 一夜明けて皆で歩いた浅間高原。35年振りの浅間山が、快晴の青空の下でゆったりと噴煙を上げている。1000メートルをはるかに超える高原に吹く風は優しく、溶岩の陰にイワカガミ、マイヅルソウが咲く。ナナカマド、サラサドウダン、ヨウラクツツジ、コケモモ、ツガザクラの木々も花時にあり、その蕾の姿が仏様の蓮華座に似るレンゲツツジは既に盛りを過ぎていた。(Tさんの厚意で、帰路その夜の宿まで送っていただく途中、わざわざ寄り道していただいたバラギ湖畔で、今真っ盛りのオレンジ色のレンゲツツジを見ることが出来た。)小さな溶岩洞の奥にうっすらと光るヒカリゴケとも初めての対面だった。四季の彩りはやはり野にあるままがいい。

 初対面の私たちに優しかった仲間達は、それぞれ長時間かけて我が家に帰っていった。鹿沢温泉の休暇村でゆったりと露天風呂を楽しみながら、風のように過ぎていった束の間のオフ会を振り返っていた。週末毎に川畔のシェルターに篭り、翡翠(カワセミ)一家とカメラで心を通わせているDさんから、お土産に幼鳥の美しい写真パネルを頂いた。Dさんの温かい思いが溢れる素晴らしい写真である。我が家の居間に飾られ、この部屋は今後「翡翠の間」と呼ばれることになる。
         (2007年6月:写真:ツマトリソウ)

~癒されて、嬬恋~その1

2007年06月30日 | 季節の便り・旅篇

 それは、不思議な世界だった。……
 博多から新幹線で3時間半、名古屋での所用を済ませて、草津温泉行き5時間半の高速バスに乗った。愛知、岐阜、長野を突っ切り、群馬県・嬬恋への初旅。途中、残雪を頂く木曾駒やアルプス連峰を遠望しながら走る。仕事で通った岐阜県中津川・恵那峡迄でさえ、もう40年ぶりの道である。
 家内がインターネットのブログや掲示板を通じて親しくなったネット仲間達と、その一人が持つ嬬恋の山荘で会おうということになった。仮想世界の仲間が現実の世界で会うことを「オフ会」ということも初めて知った。初対面の人たちとこのような出会いを経験するのも初めてのことである。それぞれが本名ではなくハンドル・ネームで呼び合う、それは不思議な世界だった。一人の男性を除き、全て女性主体の仲間であり、男はその連れ合い……従って、私にとっては全く未知のふれあいである。
 巷のマスコミに、主として犯罪に結びつく記事が頻発するように、仮想世界を現実に持ち込むリスクは大きい。しかし、お互いのプライバシーを尊重しながら、ネットを通じて写真や言葉を交し合う長い付き合いの中で、行間を読み合い心を通い合わせるうちに選び選ばれて浄化されていった本当のネット仲間達である。女性達は会った瞬間から、まるで百年の知己のように溶け合っていた。初めややぎこちなかった男達も、やがて引き摺られて、冗談が飛び交う気兼ねない輪の中に巻き込まれていった。

 時代が激流のように変わっていっている。豊かになって、欲しいものは何でも手に入るようになり、私達の世代のように、心身の飢餓感の中で自ら創り、工夫し、生身の身体のぶつかり合いの中で何かを得るしかなかった時代とは違う。極論すれば一歩も家を出なくても生きて行ける時代である。パソコンが若者の世界から、機械に弱いはずの熟年まで急速に普及していったとき、「年寄りオタク」への閉じこもりを懸念した。しかし、熟年(特に女性達)のパワーは一気にその壁を乗り越え、こうして「オフ会」という新しい生身の付き合いを生み出していった。
 「九州では見られない山野草に会えるよ」……その言葉に惹かれて、初夏・新緑の「嬬恋・オフ会」の誘いに乗った。県境の鳥居峠を越え、草津温泉までもう30分という位置にある「万座・鹿沢口駅前」でWさんご夫妻に迎えられ、深い木立の中を走ってTさんご夫妻の待つ山荘でティー・ブレイク、ここでKさんとも出会う。一休みしてWさんの山荘に荷物をほどき、唯一の男性独り参加のDさんとご挨拶。夜の盛大なBBQの席に全員揃い、新たに明後日一宿の世話になるYさんも駆けつけ、やがて夜更けて迎えに来られたそのご主人とも挨拶を交わし……こうしてオフ会が始まり、嬬恋の癒しの時間が時を刻み始めた。
 関東周辺に住む仲間や、地元でペンションを営む仲間たちが、遠路九州から初参加する私達を歓迎する為に集って下さったという。50~60代(自称で言えば40代~)が笑いさんざめきながら、焚き火の焔を囲んでBBQで酔い、嬬恋の木立や、浅間高原、野地平湿原の木道を散策する……それは、梅雨中休みの快晴に恵まれた、豪勢な癒しのひと時だった。折から嬬恋は、レンゲツツジの花時を迎えていた。
        (2007年6月:写真:バラギ湖のレンゲツツジ)