薄く広がった雲が陽射しを和らげ、一日の高原散策を優しく包んだ。早朝に30分、宿が主催する周辺散策のグループに入れてもらった。専門のガイドが、取り巻く峰々や、木々と山野草の名前をわかり易く教えてくれる。玄関の溶岩鉢の中に、3輪のコマクサが花びらを重ねていた。憧れの花の一つに、こんなに呆気なく出会えるとは思ってもいなかった。今日も早速うずくまりで一日が始まった。
昨日覚えたばかりのツマトリソウを皮切りに、バイカウツギ、ニッコウキスゲ、クリンソウ、スズラン、コンロンソウ、マイヅルソウ、ズミ(コナシ)……野草の名前はすぐ覚えるのに、木の花の名前がなかなか覚えられず、すぐに忘れてしまうことが多い。……こだわりのツケである。
程なく今夜の宿をお願いしているペンションのママ、オフ会の仲間の一人のYさんが迎えにきてくれた。今日一日、仕事を放り出して、同じペンション経営の友人二人と四阿山(2354メートル)、浦倉山(2091メートル)の尾根下に広がる湿原・野地平を案内してくれるという。「パルコール嬬恋スキーリゾート」の駐車場で、先ずその一人Mさんと落ち合い、緑のトンネルを抜け、シラカバやダケカンバの木立をゆるやかに登り詰めて行った。程よい湿度に、古代の神話に出てくるヒカゲノカズラや苔が小径の傍まで生えている。ピンクの花を今盛りと開くムラサキヤシオツツジが新緑に映えた。ズミの蕾のピンクも美しい。すっかりおなじみになったツマトリソウの褄の彩りは、蕾の時のほうが鮮やかなことも確かめた。ときたま木陰にミツバオウレンが白い花を伏せる。
やがて程なく広大な野地平の木道に出た。一面ゼンマイが今盛りである。木道を逸れた原野に、幾つものゼンマイ狩りのグループがいる。2種類のゼンマイの加工保存処理の仕方を、YさんとMさんが情報交換している。大自然を身近に生きている人たちへの羨望の思いが兆すのはこんな時である。
食料自給率30%を切る日本の将来への不安、デパートや専門店で買うことでしか昆虫と接することが出来ない都会の子供達の哀れ、そこに付け入って利潤追求の思惑で輸入される年間100万匹を超える昆虫達が、やがて生態系を破壊することへのおののき、人間を同じ生き物のひとつとして捉え、熊に襲われても日本のようにハンターが得意げに射殺したりはせずに、自然との距離を誤った人間に非があるとして熊を殺さないカナダの自然保護姿勢への憧れ……去来する思いを振り払いながら、初夏の高原散策を楽しんだ。木道の途中でもう一人の友人Mさんと合流、木道に腰をおろしてお握りを食べた。吹く風に鶯の声を聞きながら、これ以上贅沢なランチはなかった。
嬬恋最後の夜、Yさんのペンション「嬬恋高原倶楽部」を独り占めにして、ワインを傾けながら豪華なディナーをいただいた。鳥の声、風の音だけに包まれた静寂が、嬬恋最後の、そして最高のもてなしだった。
帰り着いた太宰府は、梅雨真っ盛りの蒸し暑さに覆い尽くされていた。あの高原の爽やかな風は何だったのだろう。パソコンのスイッチを切ったら、全てが仮想世界での出来事として消えてしまうのではないか……そんな気がする程、今回の嬬恋オフ会は不思議な体験だった。想い出へのお礼に、拙い写真を10枚組みの絵葉書セットに作り、お世話になったオフ会に方々に送ることにした。題して~癒されて、嬬恋~……もう、これ以上の言葉はなかった。
(2007年6月:写真:新緑の小道)