蟋蟀庵便り

山野草、旅、昆虫、日常のつれづれなどに関するミニエッセイ。

飽食の秋旅

2020年10月29日 | 季節の便り・旅篇

 真っ青な空に、斜めにひと刷けの薄い雲が浮かぶ。二つの岩に張られたしめ縄、そう此処は福岡県糸島の二見ヶ浦。温かい日差しを浴びて、まるで春の海のように長閑だった。
 1年と8日振りの海だった。「海が見たい!」というカミさんを乗せて、今日は行き先を告げずに、呼子の加部島から走って来た。貝殻を踏みしめながら砂浜を歩く。楽しそうに戯れる若いカップルが眩しい。岩に囲まれた潮溜まりに遊ぶ小さなフグの魚影が、くっきりと砂地に映っていた。何という透明な海だろう!

 飽食の限りを尽くした。気功仲間の先輩から耳寄りな情報をもらった。早速宿に電話を入れて、3階の海が見える部屋を予約した。
 水城から都市高速に乗り、金の隈から環状線を西に走る。西九州道を過ぎ、いったん下に下りて浜玉から虹の松原を走った。海を恋しがるカミさんの希望に応え、途中から唐津シーサイドホテルに寄って、ロビーから砂浜に下りた。かつて孫たちと泊まって花火をやった思い出のホテルである。

 4時過ぎに呼子の老舗旅館に着いた。今日の狙いは、「伊勢海老アワビ 豪華海鮮尽くしプラン」
 その名の通り玄界灘の贅を尽くした食材を使用し、素材の良さを十分に引き出した料理の数々、しかも夕食・朝食共に、近頃稀な部屋食である。
 新鮮な呼子のイカの活き造り(この日は、アオリイカの姿造りだった)、プリプリの伊勢海老の活き造り(2人に1尾の姿造り)、旬の天然魚刺身の盛り合わせ(真鯛、石鯛など)、季節の前菜5品、アワビの刺し身(小ぶりながら、一人1枚)、サザエのつぼ焼き、煮魚(真鯛の煮付け)、げそ天、蒸し豚、ウニ風味の炊き込みご飯、潮汁など。
 新鮮な魚介類を中心とした会席料理の締めは、加部島名物、おばちゃんたちが作る甘夏ジュレである。

 これで、一人1万からお釣りがくる。所謂35%引きのGoToキャンペーンだった。しかも、一人3千円の地域クーポンが付いてくるから、実質一人7千円!伊勢海老1尾の値段である。
 もう一つ、宿の女将が間違えてオーバーブッキングとなり、部屋を替わることになった。しかし、半分海が見えるし、食が目的だから拘りはない。そのお詫びに、地酒「太閤」の冷酒1本がサービスされるというハプニングまであった。

 呼子の海を挟んで、真正面に加部島が横たわり、その頂に「風の見える丘」公園の建物が見える。
 伊勢海老の刺身の甘い食感、アオリイカの優しいコリコリ感、アワビの胆のほろ苦さ……会話も忘れて、文字通り海鮮に酔い痴れ、ひたすら舌鼓を打ち続けたが、あまりのボリュームに、イカのげそ天、蒸し豚、ウニ風味の炊き込みご飯を半分残してしまった。

 朝、一番の楽しみにしていた伊勢海老の頭の味噌汁で朝食を済ませ、車で4分の「呼子朝市」に立ち寄った。
 この時節、いつもの賑わいはなく、出店の数も少なかった。店番のお婆ちゃんたちも歳を取った。たくさんの生イカを吊り下げ、モーターで傘のように回して生干しを作る呼子名物の「イカぐるぐる」が、道の片隅で回っていた。
 テレビでお馴染みの名物お婆ちゃんの店で鯵の味醂干しを1パック500円で買うと、おまけが2枚ついてくる。生きて泳いでいた鯵子30尾が300円!アラカブ3尾が200円!
 こんなに安いと、6千円の地域クーポンが使いこなせない。地酒「太閤」や、壱岐の麦焼酎などを土産に買って、漸く使い果たした。

 呼子大橋を渡って加部島に寄り、「風の見える丘」公園で景色を愛でた。此処の駐車場でいつも甘夏を売っていた無口なお婆ちゃんは、まだお元気だろうか?ひと籠買うと、おまけを4個ほど乗せてくれた。

 二見ヶ浦で脱・海鮮とピザのランチを摂り、帰り着いたのは2時半。丁度24時間の飽食の旅だった。
 舌先に残る伊勢エビやアワビの甘い余韻を思い出しながら、快晴の秋旅を終えた。
                    (2020年10月:写真:二見ヶ浦・糸島)
  

木漏れ日の小宇宙

2020年10月19日 | つれづれに

 町内の高台に建つ筑紫女学園大学、その急傾斜ののり面に、ススキやセイタカアワダチソウが風に揺れていた。その向こう、幾つもの雲の塊を浮かべる秋空は、眩しいほどの紺碧だった。その鮮やかな色のコントラストが美しくて、カメラを向けた。
 繁殖力が強く、嫌われ者のセイタカアワダチソウだが、ひところに比べ少なくなったような気がする。
 明治末期に切り花用に北米から導入されて帰化した外来種だが、戦後米軍の輸入物資に付いてきて、一気に全国に広がった。一時は花粉症の一因とまで濡れ衣を着せられたが、虫媒花だから花粉の量は多くはない。今では汚名こそ返上しているが、あまり好まれる花ではないようだ。
 アレパシーという含有物質が、競合するススキなど周囲の植物の成長を妨げて大繁殖するが、面白いことにこの物質は自分自身の種子まで成長を抑制する。謂わば、自壊作用により、再びススキに座を譲ったり、また繁殖したり、栄枯盛衰を繰り返す面白い草らしい。

 およそ5か月振りに、秘密基地「野うさぎの広場」に向かって歩き始めた私を真っ先に迎えてくれたのが、この青空とセイタカアワダチソウとの美しいコントラストだった。
 玄関先に見事に花を咲き並べるシュウメイギクにカメラを向けたりしながら隣の住宅団地を抜け、階段を上れば九州国立博物館。たった一匹のツクツクボウシがひたむきに鳴き立て、博物館の総ガラス張りの壁を弾いていた。
 この時期、もう受け入れてくれるも雌いないだろう。鳴き疲れて、やがて空しく絶える命を思うと、この時期の蝉の声は切ない。
 ミチオシエ(ハンミョウ)に導かれて、博物館裏の雨水調整池を巡る散策路「囁きの小径」を辿る。かつて、環境ボランティアをやっていた時、この池をビオトープにしようと提案したが、受け入れられないままに終わった。
 イノシシは相変わらずの乱暴狼藉、湿地をぬたばにして、いたる所を掘り返している。よしよし、野生の逆襲、がんばれ!

 裂帛のモズの声が空気を切る。晩秋仕様に換えた肌着を濡らす汗を感じながら、人っ子一人いない山道に入った。日頃から訪れる人の少ない散策路は、倒木や枯れ木に覆われ、無残なまでに荒れていた。マイストックの枯れ枝を拾い、道に落ちた枯れ枝を脇に払い除けながら歩くのも、いつもの通りである。
 巨大化したジョロウグモが、不気味に彩られた腹を膨らませて巣を張り、油断すると顔に被さってくる。これだけでかくなると、張られた糸もびっくりするほど強靭である。家を出て20分ほどで、秘密基地「野うさぎの広場」への最後の登りに掛かった。
 
 広場も雑草や枯れ枝に覆われ、マイベンチと定めた切り株も繁った草叢の中にあった。ショルダーをおろし、烏龍茶で喉を潤す。木漏れ日の下を風が抜け、額の汗に火照った熱を運び去っていく。
 4月、ハルリンドウが一面に咲いていた辺りに、イガイガのヤシャブシが幾つも転がり、その近くには食い荒らされた栗のイガが散らばっていた。此処は野生の広場、野うさぎよりも、近年は「猪の広場」である。野生の中で、人もまた野性に還る。

 ジーパンにイノコヅチをびっしり張り付かせながら帰途に就いた。「囁きの小径」に下りる。四阿の近くの遊歩道で、木漏れ日を浴びる一本の木に似せた橋桁があった。その桁に這い上がる蔓性の草の葉が、ひっそりと秋を演出していた。ほの暗い中でそこだけ木漏れ日が辺り、妙に心惹かれる小宇宙だった。

 博物館の土手でススキを40本ほど刈って、カミさんへの土産にした。カマキリの卵塊を探して枝を切るつもりで持ってきた剪定鋏だったが、まだ花や葉が茂って探しにくい。もう少し、冬枯れが進むのを待つことにしよう。
 刈り取って来たススキと、先日友人が山ほど届けてくれたコスモスが、紹興酒と泡盛の甕に豪華な秋を盛り上げた。
 秋たけなわの昼下がりだった。
                     (2020年10月:写真:木漏れ日の小宇宙)



這い蹲る秋

2020年10月06日 | つれづれに

 ピリッと身が引き締まる朝だった。13度、もう「寒い!」と感じてもおかしくない朝の冷え込みである。昼間の27度と比べ、14度もの温度差が、季節の変わり目にオタオタしている身体を引き締める。
 太もも、お尻、腰、背中、両腕に凝り(筋肉痛が)出始めていた。若い頃にはすぐに出ていたのに、今では1日遅れでやってくる。今夕辺りが一番ひどくなりそうだ。

 我が家をぐるりと一周して、11個の雨水溜枡が並んでいる。ずっと気に掛かっていた作業に、思い切って取り掛かった。
 二つのスリットに手を潜らせて重いコンクリートの蓋を持ち上げると、すっかり土砂に埋もれた溜枡が現れた。築33年、庭と玄関脇の2個以外は、ずっと放置したままである。ダンボールを敷いて両膝を突き、左手で上半身を支えて、スコップで土砂を掬い上げる。隙間から這いこんだ木の根草の根を叩き切りながら掬う。隣の溜枡と繋がる土管の中まで入り込んだ根っこや土砂を掻き出す。多いところではショウケ(竹笊。円形や方形の竹笊でなく、一方向が開いた箕を、子供の頃からショウケと言っていた。落ち葉を掃き入れるショウケは、最近プラスチック製である)2~3杯もの土砂が入り込んでいた。これほどの庭土が、33年間で雨と共に溜枡に流れ込み、庭が痩せていたことになる。
 這い蹲って2時間、ミシミシ軋む腰や脚を摩りながら、掬い上げた土砂を日差しに曝した。乾きあがったら庭に戻そう。これでもう、生きている間は大丈夫だろう。

 食べ尽くされて茎だけになっていたエイザンスミレが逞しく復活し、そこに3頭のツマグロヒョウモンの幼虫が育っていた。蛹になって冬を越すのだろう。

 8か月振りに、博多座に文楽を観に出掛けた。コロナ対策は万全である。入り口で発熱チェック、手指の消毒、チケットのもぎり自分でやって箱に入れる。座席は一人おきで半数、10分毎に全館換気するから絶えず空気の流れを感じ、少し肌寒い。係員は全員マスクとフェースガード、会場内の飲食は禁止という厳しい防御策が取られていた。売店も少なく、お弁当も席で食べられないから僅かしか並んでいない。
 いつもの劇場風情とは全く異質だったが、それでも8か月振りのナマの舞台は楽しかった。初日の昼の部、二日目(千秋楽)の夜の部を観た(二日間昼夜4回の公演である)。昼は2時間35分、夜は2時時間10分、そのうち1時間と、45分は休憩だから、観劇時間は長くない。
「壺坂観音霊験記」でお里を遣った人間国宝・吉田和生、「傾城恋飛脚・新口村の段」で孫右衛門を遣った吉田玉男と竹本千歳太夫の義太夫語りを楽しんだ。2年振りの文楽だった。

 通学路の階段脇の木立から、たくさんのクヌギドングリが落ちていた。いくつかを拾い取ってきて、玄関のトトロ群像の前に並べた。
 リタイア間もなく、市の文化ふれあい館の催しで、ドングリでトトロを作る企画があった。山を歩いていろいろなドングリを拾い、サインペンと待ち針を使ってトトロや猫バスなどを作る。暫くハマって、枝に並ばせたり、ブランコに乗せたりして楽しんでいた。丸っこいクヌギドングリは猫バスに、面長のマテバシイはトトロに姿を変える。

 栗もドングリの仲間、友人が愛媛産の栗を使った栗ご飯を炊いて来てくれた。「2パックもあるから、二日分だね!」と言いながら食べ始めたら箸が止まらなくなり、2パック目にまで進んでしまった。
 嗚呼、また去年のジーパンがきつくなる!

 そろそろ「野うさぎの広場」に続く散策路を歩こう。この時期、山道を歩くと、足の裏でプチプチとドングリが弾ける。ナラやシイやカシやクヌギ、山は様々なドングリの実りの季節である。
 カミさんのフェースブックに、友人から久住高原・長者原たではら湿原や竜胆の写真が送って来た。
 ムムム………である。
                          (2020年10月:写真:トトロと櫟ドングリ)