蟋蟀庵便り

山野草、旅、昆虫、日常のつれづれなどに関するミニエッセイ。

宴(うたげ)への序曲

2018年04月28日 | 季節の便り・虫篇

 初夏の日差しを眩しく照り返す庭先を、小さな虹が跳ねた。
「お帰り、やっと目覚めたんだね!」
 ここ数年、わが家の庭で世代交代を繰り返すハンミョウの一匹である。小さな虫たちを貪る獰猛な肉食ハンターだが、その身体は虹のように美しい。歩く先へ先へと小刻みに飛び、昔から「ミチオシエ」あるいは「ミチシルベ」という異名で親しまれてきた。夏の先駆けの使者だが、数年前の2月の小春日に、越冬から目覚めて、塀の上で日向ぼっこをしていたことがあった。どこの世界にも、こんな慌て者がいる。
 我が家の庭を食卓とするお馴染みさんでもある。遠からず、二匹目が帰って来ることだろう。しかし、この小さな庭で、何処に道を教えようというのだろう。

 コロ付きの庭仕事の椅子を持ち出し、痛む股関節を労わりながら庭いじりを始めた。八朔の下の半日陰のプランターに、パセリを5株植える……これは、やがて飛んでくるキアゲハの食卓である。時たま、わが家の料理に少し分けてもらうこともある。
 庭のあちこちに散らばった20株ほどのスミレを、ひとつのプランターに移し植えた……これはツマグロヒョウモンの食卓。みっしりと蕾を着けた八朔の若葉には、既にアゲハチョウが卵を産みにやって来ている。
 午前中、1時間半の気功の帰り道、公民館脇を舞うアサギマダラを見た。そろそろ、南から北への壮大な渡りが始まったのだろう。

 日当たりの異なる3つのプランターに、オキナワスズメウリの種を蒔いた。気温が25度を超える日が続かないと、この芽は出ない。早く蒔き過ぎるのか、毎年3週間ほど待たされるのが常である。夕顔を4株、朝顔を2株、ラカンマキに這うカラスウリも、そろそろ芽生え始める頃だろう……これらは、蝶たちではなく人間様の趣味である。
 我が家の庭は、どちらかと言うと虫たちの優先席である。

 楓の下の庭石は、私専用のシルバーシート、実生から育てた楓も、15年ほどの間にすっかり大きくなり、その葉陰のシルバーシートに座って真夏の日差しを遮りながら、裏庭から吹く風に肌を弄らせる……4月に、太宰府でも観測史上初の30度を記録した今年の夏は、いったいどれほど苛烈な暑さが待っているのだろう。

 裏庭のキンモクセイの葉陰に、クマゼミの抜け殻が2つ、冬の木枯らしに耐えてしっかりとしがみついている。あと3ヶ月もすれば、後輩たちが続々と八朔の枝で羽化を始める。目を瞠る命の宴(うたげ)、去年は104匹に留まったが、さて今年はどれほどの誕生が見られることだろう。
 きっと今年も毎晩カメラを担いで、藪蚊に苛まれるのも厭わず、八朔の下に2時間以上立ち続けることだろう。夏の夜更け、木陰の闇に怪しげに佇む白髪の翁……これは、もう真夏の夜の怪談かもしれない。
 しかし、何度見ても、あの命誕生の瞬間に立ち会う高揚感は、何物にも代え難いのだ。

 加齢で順応力が鈍くなった身体が、懸命に季節を追いかけている。昼間は24度という日差しに汗ばむのに、朝晩の風はまだまだ冷たく、寒がりの我が家は、暖房カーペットやガスストーブをまだ片付けられないでいる。

 次女がアメリカに帰る間際に、「桜尽くしの旅」に感謝して、二つのブックマークをプレゼントしてくれた。
 繊細なチョウとトンボが奏でる序曲が、「命の宴」を待ちわびる私を、溢れるほどのときめきで包み込んでくれた。
           (2018年4月:写真:二つのブックマーク)

初夏、奔る

2018年04月27日 | つれづれに

 夜の帳がしっかりと大地に沈みこむ頃、石穴稲荷の杜で「ゴロスケ、ホッホ!」フクロウが鳴いた。もう、人も車も通らない住宅地の夜更けである。
 春から夏へと、気温が乱高下する季節の狭間を縫い綴るように、夜の闇を一層沈ませるフクロウの声が睡魔を誘う。

 久し振りにカミさんが横浜の長女のもとに旅立った。「歌舞伎座で、仁左衛門の『絵本合法衢』(立場の太平次)を観たい!」……一人分残っていたマイレージを使って、その日は汗ばむほどの初夏の青空に向かって飛んで行った。1週間の独身貴族……いやいや、もう独居老人と言う方が納まりがいい。鍋一杯の豚汁を作り置いてくれて、私は朝食用にお得意のミネストローネを煮込んで、これを食べ尽くすまで飽食することになる。
 毎朝毎晩の30分のストレッチ、週2回のリハビリ・マッサージという、何とも情けない留守居役だが、昼は日差しの中で「一筆啓上仕り候!」と軽快に囀るホオジロ、「ツツピン、ツツピン!」と電線から鳴き声を落とすシジュウカラ、そして夜は「ゴロスケ、ホッホ!」と闇を沈ませるフクロウの声を聴きながら、訪れる人もなく、電話も掛かって来ない静かな毎日が過ぎて行った。

 晴天の後に、春の嵐が来た。淡いピンクが青空に映えていた満開のハナミズキが、一日にして散り尽くした。翌日、雨が上がるのを待って玄関周りや道路を覆う花びらを掃いた。文字通り、落花狼藉の態である。横歩きしながら箒を使うこの姿勢が、実は痛めた股関節には些かつらい。しかし、美しい花を愛でた後の掃き掃除は決して嫌いではない。早春の蝋梅もキブシも、咲き終わった後の掃き掃除を日課にしながら、季節の移ろいを噛みしめている自分がいる。庭の片隅に散り重なる紅葉を掃く楽しさもある。
 町内に2本のソメイヨシノの古木がある。天を覆うように満開の花を拡げて、高齢団地もひとしきり華やかさを取り戻すのだが、かつて区長をやっていた頃、住民の一人から「葉桜となった木に毛虫が下がるのが嫌だから、切ってほしい」と訴えられた。
 勿論、却下した。楽しむだけ楽しんで、それはないだろう。「毛虫が住む自然が残っていることを、むしろ喜んでください」……苦笑いしながらも解ってくれたその人も、もう鬼籍に入って此処にはいない。

 去年は裏作で2個しか実を着けなかった八朔に、驚くほどたくさんの蕾が着いた。今年は豊作が期待出来そうだと、ひそかにほくそ笑んでいる。勿論、自然摘花でかなりの蕾が落ちる。咲いた花は、ミツバチやマルハナバチに授粉されても、また多くの花が自然に散っていく。そして、ようやく青い実を育て始めるのだが、そこでも今度は自然摘果という試練が待っている。しかし、自然は優しい。年寄り二人が楽しむに余りあるほどの実りを、きっと齎してくれることだろう。

 新緑を見たくて、一人ドライブに出た。九州道から大分道に乗り継ぎ、日田ICで降りて、久々のファームロード日田からファームロードWAITAに駆け上がった。瑞々しい新緑が眩しい。野性に還ってこの新緑の中を転げまわり、身体中を緑に染めたいと思った。
 曲折と急なアップダウンを繰り返し、走り屋がこよなく愛する道である。平日のこの日も、一台のスポーツカーが追い上げて来た。逆らわずに路肩に寄って道を譲り、お馴染みの貸切露天風呂「豊礼の湯」に車を停めて、50分で1200円という掛け流しの露天風呂の至福に酔った。本音は九重高原を歩きたかったのだが、股関節痛でリハビリ中の身である。一人歩きに一抹の不安もあって、今日はおとなしく温泉リハビリに甘んじることにした。
 淡い翡翠色の濁り湯に浸りながら、美しい稜線を見せる涌蓋山の懐に抱かれて時が止まった。

 帰り着いた我が家の庭に、タツナミソウが幾つもの白波を立てていた。今年の季節は乱調の上に、いつになく韋駄天走りである。
                (2018年4月:写真:零れるような八朔の蕾)

春を駆ける

2018年04月12日 | 季節の便り・旅篇

 小さな実を育て始めた白梅の下を、ユウマダラエダシャクが儚く舞った。
 「え?こんな時期に!」
 「梅雨の蛾」である。梅雨間近になると、この尺取蛾が舞い始める。まだ4月初めなのに、晩冬と初夏……汗をかいたり霜に震え上がったり、傍若無人に右往左往する異常な季節……今年の春は、まるでこの国の宰相のように、好き勝手に厚顔無恥な振る舞いを続けて顧みることがない。

 風呂場の片隅や洗面台の傍らに、ふと抜け毛が落ちていて、淋しさを醸し出す。アメリカに住む次女が、二十数年振りに日本の桜が観たいと帰ってきた。開花予想に合わせてスケジュールを組んだのに、1週間季節を先取りして桜が満開を迎えた。珍しく晴天続きの半月あまり、もうこれ以上の桜はないというほど桜尽くしを満喫して帰って行った。その翌日から、また雨と戻り寒波が来た。運の強い娘である。

 糸島半島・二宮神社、閏神社、産宮神社、櫻井神社を巡り、船越漁港の牡蠣小屋で焼き牡蠣や蛤、帆立貝を、お腹がはち切れるほど食べることから、欲張りな駆け回りが始まった。
 京都に新幹線で走った。開花予想日だった筈なのに、迎えてくれたのは満開の枝垂れ桜だった。高校の修学旅行がスキーだったために、次女は京都を全く知らない。最も混雑するこの時期の京都である。無駄なくベタな京都を巡るために、観光タクシーを二日間チャーターした。これは正解だった。アジア・欧米の観光客が溢れる雑踏の中、効率よくコースを組んでくれて、三日間で回った神社仏閣は16!個人で回ったら、おそらくこの半分も回れなかっただろう。
 その上、観光客が来ない穴場の静かな寺院なども案内してくれた。

 清水寺から始まった旅だった。カミさんと私は、半世紀前の静かな京都を知っている。だから、想い出を壊しそうで、現在の京都には躊躇いがあったのだった。清水の坂で人波をかき分け……建仁寺、三十三間堂、方広寺、豊国神社、辰巳大明神。鴨川も白川も高瀬川も、まさに爛漫の枝垂れ桜並木だった。
 一夜目の宿を、八坂神社脇の昔ながらの和風旅館に取り、駆け足の旅の疲れを取ろうと大浴場に行ったら、周りは全てお喋り好きなイタリア人!日本人は誰もいない。隅っこに小さくなって湯を楽しんで出たら、エレベーターから現れたのが芸妓さんと舞妓さんの3人連れ!「こんばんわ」と声を交わし、舞妓さんが開けて待ってくれていたエレベーターで部屋に戻った。思いがけない出会いに舞い上がって、舞妓さんの顔を思い出すことが出来なかった。(因みに、カミさんと娘は舞妓さんに出会うことはなかった。)
 股関節を労わって休む私を置いて、カミさんと娘は夜の祇園の散策に出かけた。古い町並みが風情を醸す花見小路やねねの道を歩き、高台寺のプロジェクション・マッピングで光の幻想を楽しんだという。
 
 朝の八坂神社から円山公園は、目を瞠るほど見事な枝垂れ桜の満開だった。知恩院、天龍寺……野々宮、祇王寺、落柿舎、そして化野の念仏寺へと続く昔一番好きだった嵯峨野の竹林で愕然、何という雑踏だろう!擦れ違うのも難しいほどの人混みの間を、車まで入ってくる。微塵に砕かれた想い出の重さに耐えかねて、ほうほうのていで逃げ出した。
 金閣寺、今宮神社。最後に寄ってくれたガイドお勧めの泉湧寺・雲龍院の静寂は、これこそかつての京都だった。写経する人を除いては、誰一人観光客がいない古刹の沈黙に浸った。

 最終日、京都駅近くのホテルで前日の8500歩の歩きに痛む股関節に、私は部屋で休養。カミさんと娘は東寺、東福寺、智積院を回って……慌ただしいながら、全く無駄のない3日間の京都だった。

 翌日、満開のソメイヨシノの並木が連なる御笠川沿いを歩き、太宰府政庁跡で花吹雪を浴びながらお握りを食べ、居酒屋での河豚のフルコース、嬉野温泉での露天風呂三昧、博多座の市川海老蔵公演……びっしり詰め込んだスケジュールを韋駄天で駆け回り、お土産に膨らんだ23キロのスーツケース二つと、5キロのキャリーバッグにリュックを担いで、娘は名残りを惜しみながらカリフォルニアに帰って行った。
 またいつ会えるかわからない遠国である。落としていった抜け毛が、淋しさを齎す所以である。

 かつて次女が住んだジョージア州アトランタの市の花・ハナミズキが一斉に開いた。淡いピンクが五月のような青空に映える。春を通り越して初夏真っ盛りの風情である。
                   (2018年4月:写真:円山公園の枝垂れ桜)