蟋蟀庵便り

山野草、旅、昆虫、日常のつれづれなどに関するミニエッセイ。

縺れ飛ぶ

2022年04月06日 | 季節の便り・花篇

 枯葉の上に一人用のピクニックシートを拡げ、脚を伸ばして寝っ転がった。見上げた空は春色、数本の木々が青空を突き刺す中に、花吹雪を舞わせる桜が1本、散る花びらを額に受けながら、目を閉じて木漏れ日の優しい眩しさを瞼に受けた。時折葉先を揺する春風に乗って、シジュウカラやヤマガラの囀りが運ばれてくる。真っ盛りの春にも、早くも初夏への滅びの気配があった。今年の季節の走りは気紛れである。季節を狂ったように右往左往させるのも、結局は人間のなせる業が原因だろう。
 値上げの春である。庶民には音を上げる春、全ての元凶は狂ったロシアにある。ウクライナの国旗は、麦畑と青空を表すという。覿面、小麦の価格が高騰、ロシアへの経済制裁で原油価格が高騰、この二つで、自給率の乏しい日本は忽ち息切れし始めた。値上げの範囲は、日々拡大を続ける。将来に夢を持てない若者は、益々乏しい夢を摘み取られていく。そんな不穏な世情に、新型コロナが第7波に向かってグラフの鎌首を擡げようとしている。
 言いたくない!書きたくない!!とぼやきながら、ついつい目を逸らせない自分に疲れて、青空の中を歩き始めた。カミさんは親しい友人とランチ&ショッピングに出掛けた。貴重な憂さ晴らしである。

 切り株に坐って、昨日の夕飯の残りの散らし寿司を食べた。博多では3月3日ではなく4月3日に雛祭りをする。遠い昔々に雛だったカミさんが、久しぶりに散らし寿司を作った。2合の寿司が二日分になる年寄り夫婦である。今夜、カミさんは頂き物の釣りたての鰤を煮付けて食べるから白飯にして、多分残った一人分のチラシ寿司は、昼に続いて私が処分することになるだろう。

 観世音寺のハルリンドウが、私を秘密基地「野うさぎの広場」に駆り立てた。10日前、観世音寺に見つけた翌日、期待を込めて急ぎ足で訪れた広場には、一輪の花の姿もなかった。毎年、足の踏み場に困るほど群れ咲く広場である。もう終わったのか、まだなのかと迷いながら1週間が過ぎた。3日前に再び観世音寺を訪れ、20輪ほどのハルリンドウを這い蹲って撮った。
 期待半分諦め半分で、再び広場を訪ねることにした。古いカメラで使い慣れた50ミリのマクロに接写レンズを噛ませ、接続用のリングに付けた新しいミラーレスカメラがずっしりと肩に重い。

 良かった!小さなハルリンドウが、僅かながら5輪ほど花開いていた!!昼時を過ぎていたが、飯より写真が先と、例によって枯葉の上に這い蹲った。枯葉色の広場に、散り落ちた桜の花びらに交じって、真っ青なハルリンドウが笑っていた。これこそ、春色だった。僅か5輪!しかし、少ないが故に、一層愛しく思われるのだ。

 目の前の楓の若葉に、イシガケチョウがとまっていた。近くに好みのイヌビワでもあるのか、この九州国立博物館周辺や裏山にはイシガケチョウが多い。ボランティアをやっていた22年前から6年間、初めて博物館裏の湿地で水を吸っているこの蝶に出会って以来、すっかりお馴染みになった。まるでおぼろ昆布のような文様が「石崖蝶」のネーミングとなった。飛翔が速い蝶だが、とまる時は殆んど羽を拡げたままだから、接写機能付き望遠レンズがあればいい寫眞が撮れる。
 その1頭にもう1頭が縺れた。縺れ合いながら、広場中を飛び回る。それを目で追いながら、ちらし寿司を口に運ぶ。虫キチ・蝶大好きの私にとって、至福の時間だった。蝶たちにも待ち望んだ恋の季節だった。地表すれすれに飛び回るたった1頭のキチョウが、なんだか可哀想になるほど、縺れ合う2頭のイシガケチョウは楽しそうだった。

 微睡みかけたところに、スッと冷たい風が吹いた。春の日差しは暖かくても、吹く風にはまだ冬の残渣がある。シートを畳んでショルダーに納め、ストックを突いて帰路に就いた。今日のストックは枯れ枝のマイ・ストックではなく、たくさんの山道を歩いて来た本物の山用のLEKIのストックである。いろいろな山の想い出がいっぱい詰まったストックの握りには、熊の姿とYOSEMITEという文字が刻印されている。

 辿る山道に、イノシシの狼藉は一段と凄まじかった。イノシシも懸命に生きているのだ。「頑張れよ!」と声を掛けたくなる午後だった。
              (2022年4月:写真:「野うさぎの広場」のハルリンドウ)

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