蟋蟀庵便り

山野草、旅、昆虫、日常のつれづれなどに関するミニエッセイ。

潮風に吹かれて

2016年04月24日 | 季節の便り・旅篇

 背中に届く微かなエンジンの振動を子守唄に、夢も見ずに眠った。携帯の圏外の洋上、緊急地震速報も鳴ることはない。11階リド・デッキの「リドカフェ&リドガーデン」で洋食ビュッフェの朝食を摂る頃、黒潮の海は青く晴れ上がった。9時、高知県足摺岬を掠めて、ひたすら東上する「飛鳥Ⅱ」の寛ぎの一日が始まった。
 朝一番のお楽しみはビンゴゲーム、強かった筈のビンゴ運にこのところ見放され、この日もリーチに届くのがやっとだった。

 所々ウサギが飛ぶ海はそれなりの波があるのだろうが、全長241m、12層のデッキを重ね、フィン・スタピライザーの横揺れ防止装置が着いた「飛鳥Ⅱ」に、気になる揺れは感じない。436室872人を収容する船内は、地震の影響でキャンセルもあったらしく、人混みを感じさせないゆとりがあった。
 12階スカイ・デッキのプールの水が時折激しく波立ち、泳いでいる親子を芋の子のように前後左右に揺さぶっているところを見ると、それなりの揺れがあるのだろう。
 文庫本を片手に、潮風に吹かれながらプールサイドのデッキチェアで日差しを浴びる。喉が乾けばパームコートでソファーに身を委ねると、すぐに白人のウエイトレスがドリンクの注文を取りに来る。アルコール以外は、飲み放題食べ放題である。空腹を感じる間もなく食べ、ほろ酔いを重ねながら船内で遊びまわった。
 土産物を物色し、牛タン定食のお昼を摂り、ライブラリーで本を借り、バルコニー付きの部屋で休み、17時に今日のドレス・コード「インフォーマル」に着替える。上着とネクタイと靴に気を配るだけの気安さである。長いクルーズでは、タキシードかダークスーツにイブニングドレスという「フォーマル」の夜があり、アラスカクルーズの時は、手持ちの黒の礼服に白のドレスシャツとシルバーのベスト、蝶ネクタイを誂えた。残念ながらその一夜だけで、その後使われたことはない。

 ちょっとお洒落な気分に浸り、「パームコート」でワインを飲みながら、5人の白人によるコンボのジャズを楽しんだ。
 小腹が空いたところで、リド・デッキの「海彦」で軽く鮨をつまむ。
 ギャラクシー・のラウンジ今日のショーは「ロスト・イン・タイム」、手品とフュージョンの45分である。そのあと、ディナーの席に案内されて気が付くと、なんと77番テーブル!私の喜寿をテーブルが祝ってくれた!……と思うことにした。

 和歌山沖を過ぎる頃から、少し身体に感じる揺れが出始めた。その揺れは東京湾に近づく朝まで続いた。夜更けまで騒ぐ隣室の女性客に辛抱たまらず、24時に壁を叩いて、ようやく眠りに就いた。

 青空に聳える横浜ベイブリッジを潜り、9時下船。短いけれども盛りだくさんの「脱・日常」を楽しんだクルーズが終わった。
 港に家内の従弟が出迎えてくれた。名曲「メリー・ジェーン」で一世を風靡した「つのだひろ」さんのバンドでドラムを叩き、海外を含めた「飛鳥Ⅱ」クルーズのステージで度々一緒に演奏している常連である。仕事の合間に半日横浜を走ってくれて、お茶をし、数年振りに私のお気に入りの「ハングリータイガー」でハンバーグのランチを摂った。
 山下公園前のニューグランドホテルにチェックイン、その足で明治座まで送ってもらい、「新春花形歌舞伎」夜の部を観た。勘九郎、七之助、菊之助が全て初役で臨む舞台だった。

 翌日は横浜に住む長女が婿を伴なって朝食に付き合ってくれて、そのまま一緒に明治座昼の部を観て、羽田まで送ってくれた。(歌舞伎は家内の独壇場の世界である。いずれ家内のブログで詳細が書かれることだろう。)

 「ちょっと飛鳥Ⅱに乗って、歌舞伎を観てくる」……さりげなく、実はちょっぴり自慢げに友人に話して旅立った3泊の旅だった。空弁を買って夜間飛行、帰り着いた太宰府でいきなり小さな余震が来た。
 ……一気に「日常」が還ってきた。。
                  (2016年4月:写真:インフォーマル・ナイト)

GEORGIA ON MY MIND

2016年04月24日 | 季節の便り・旅篇

 時たま揺れる大地をあとに、少し後ろめたさを引き摺る船旅だった。玄海沖で壮麗な夕焼け雲に見入りながら、ウエルカムドリンクのスパークリング・ワインにほろほろと酔い、しつこく纏いつく「日常」から逃れようとしていた。

 昨年5月23日に結婚50周年を迎えて以来、もう幾度目の「金婚式セレモニー」だろう。「金婚式記念」を冠に被せ、ちょっと豪華な佐賀牛ステーキ・ランチで祝い、立山黒部アルペンルートを旅し、南阿蘇の隠れ宿で露天風呂三昧に浸り、大分県姫島のキツネ踊りでお盆を迎え、九州交響楽団のコンサートに酔い、日南海岸・都井岬・生駒高原を走り、その掉尾を飾る「飛鳥Ⅱで行く春の博多・横浜クルーズ」を計画して……熊本大地震が襲ったのは、その旅立ちまであと数日という時だった。太宰府でも震度5の前震に続き、震度5強の地震がもたらす家鳴り震動が深夜の眠りを奪った。
 今朝(4月24日)の時点で、既に850回の余震を重ね、終わりの見えない不安の中で、熊本―阿蘇―大分と九州を横断する広い地域の多くの人たちが、厳しい日々を強いられている。

 こんな時に不謹慎ではないかという後ろめたさを感じながらも、そんな日常を暫し逃れたいという気持ちが勝って、すでに払い込み済みだったクルーズを決行したのだった。
 もう25年ほど前になるだろうか、当時アトランタで仕事していた次女が招待してくれた「マイアミ・バハマ3泊4日のカリブ海クルーズ」で、初めて豪華な船旅の味を知った。15年ほど前に、126,000トンの当時世界最大クラスの「ダイヤモンド・プリンセス号で行くアラスカ10日間クルーズ」で、最高の贅沢を知った。
 二度の経験に比べれば、50,142トンの「飛鳥Ⅱ」のふた晩と1日のクルーズという、本当にささやかな船旅だが、長崎支店長をしていた25年前に初代「飛鳥」完成披露に招かれ、その絢爛豪華な船内の雰囲気に圧倒されて以来、憧れの「飛鳥」だった。

 その朝一番に太宰府市役所に走り、熊本大地震救援義捐金を投じたのが、却って後ろめたさを煽った。15時に乗船し、9階シーブリーズ・デッキのデラックス・バルコニー付きの部屋を確かめ、11階リド・デッキの「パームコート」のウエルカムドリンクで気持ちを旅モードに切り替えた。クルーズに付きものの避難訓練のあと、7階プロムナード・デッキに集まり、生バンドが流れるSail Away Partyで踊りながらテープを投げて、17時に箱崎埠頭を離岸、博多湾を出て玄海灘を東に向かった。
 ……「脱・日常」を願う船出だった。

 今夜のドレス・コードはカジュアル、ラフなジャケットと綿パンで「ギャラクシー・ラウンジ」でのミュージカル映画のプロダクション・ショーを楽しんだ後、遅めのディナーを6階プラザ・デッキの「フォーシーズンズ・ダイニングルーム」で摂った。給仕するのは殆どフィリピンやタイ、北欧の人たちである。歯切れ良いマナーで日本語を操りながら、心のこもったもてなしをしてくれる。飛鳥での厳しい修行を積んで本国に帰ると、高給を約束された接客業に就けるという。
 心地よいひと時だった。

 22時近く、関門橋の下を抜けた。潮流に逆らいながら滑らかに豊後水道を南下する「飛鳥Ⅱ」は揺れもなく、快適な夜が更けていった。しかし、クルーズの楽しみはまだ終わらない。
 6階プラザ・デッキの「マリナーズ・クラブ」で、綺麗なブルーのカクテル「ASUKA」を啜りながら、ピアノ演奏に聴き入った。白人女性のピアニストが「リクエスト、アリマスカ?」と訊いてくる。ふと、既視感が蘇る。そうだ、カリブ海クルーズの夜だった。
 あの夜、次女が見せたお洒落な振る舞いを思いだし、家内がバーテンに彼女の好みを訊いて赤ワインをプレゼントした。そして、リクエストした曲は「GEORGIA ON MY MIND」、あのカリブ海の洋上でリクエストしたのも、まさにこの曲だった。
 ……「脱・日常」の妙味が此処にあった。
                   (2016年4月:写真:玄海灘の夕焼け)

花、急ぐ

2016年04月13日 | 季節の便り・花篇

 竹林の奥から、弾むようにウグイスの声が転がってきた。「ホ~~、ホケキョ♪」とすっかり歌い慣れた見事な囀りに、時折「ホホホホ、ケキョ、ケキョ、ケキョ♪」と戯れるのは、何かを訴えているのだろうか。散り敷いた落ち葉や枯れ枝が、踏みしめる脚を柔らかく押し返してくる。人気ない林道は、今朝も独り占めの空間だった。

 花の命は短い。束の間の花時を逃すと、1年間悔いを残すことになる。
 雨が近いという予報を聞いて、朝食もそこそこに後片付けもせずに、カメラを担いで家を出た。雲間から漏れる日差しは儚く、朝風の冷たさに急いでウインドブレーカーの襟を立てる。新入生らしい女子大生が、きょろきょろしながら学園への道を急いでいた。
 「特別展・始皇帝と大兵馬俑」開催中の九州国立博物館のエントランスを抜け、いつもの散策路にはいる。木道の傍らの湿原は一面スギナに覆われ、冬場イノシシに掘り返されていたのり面も、柔らかな春の草に覆われていた。春になると、イノシシはいったい何処に餌場を求めるのだろう。楽しみにしていたセリはイノシシに荒らされて、すっかり姿を消してしまっていた。
 100余段の急な階段を登り詰め、車道から「野うさぎの広場」への林道に折れる。此処が、静寂の散策路への入り口である。

 孟宗竹の裏に立てかけていた枯れ枝の「マイ杖」を取り、落ち葉を踏んで緩やかなアップダウンの山道を辿ると、やがて「ハルリンドウの小径」と名付けた辺りに辿り着く。スミレがひっそりと咲き散る道端に、今年もハルリンドウが落ち葉の陰から花穂を立てて咲いていた。いつもは足の踏み場に困るほど林道の上にまで咲き誇るのに、乱高下する気温にためらっているのか、数本が半ば蕾を従えながら咲くだけだった。
 カメラに収めて、杖を片手に急坂の落ち葉に足を取られながら「野うさぎの広場」に登りあがった。
 此処は、空が開けた陽だまりの空間である。柔らかな日差しを浴びながら、身の丈5センチ足らずのハルリンドウが、あちこちに散らばっていた。枯葉に覆われた中で、青紫の小さな筒状の花冠が鮮やかに輝いている。小さな花だから、気付かずに通り過ぎる人も多い。しかし、蹲り腹這いになって目を凝らすと、花弁の中には目を瞠るように美しい紋様が描かれているのが分かる。
 人の営みが自然を破壊し、多くの生き物達を絶滅に追いやっている今、自然との適正な距離をおく謙虚さが大切だが、時に思い切って身を寄せると、限りなく優しい姿を見せてくれるのも大自然である。
 花時は短い。ここ1週間の日差しを人知れず謳歌して、やがてこの広場は草に覆われていく。いつもの指定席の倒木に腰かけ、風に乗ってくるシジュウカラやウグイスの声に癒されていた。

 先駆けの雨が奔った。カメラをウインドブレーカーの中に抱え込み、林道を戻った。膝に前科ある身に、慌てることは禁物である。なに、濡れても風が吹いても、ヘアーが乱れることはないGIカットの白髪頭である。タオルでひと拭いすれば済む。
 湿地の傍らで、もつれ飛ぶ2頭のスジグロシロチョウを見た。遠くからでは翅脈の黒い筋が判別しにくいから、モンシロチョウと見紛うことが多いが、仄暗い林縁の湿った環境は、モンシロチョウでなくスジグロシロチョウの世界である。
 我が家から片道20分で届く「野うさぎの広場」である。都会人には味わえない恵まれた大自然に包まれて、「蟋蟀庵ご隠居」の有閑の日々がある。
 往復5700歩……一昨日の山野草探訪は、273キロ走って、男池で歩いた歩数は僅か2800歩でしかない。しかし、今も太ももからふくらはぎに残る心地よい気怠さは、花に満たされ、新緑に癒され、露天風呂の濁り湯に抱かれた、かけがえのない充実感である。

 庭のツワブキの葉陰に、アマドコロが小さな鐘を並べた。タツナミソウも白い涛を立て始めて、わが家の庭も春たけなわである。
                 (2016年4月:写真:ハルリンドウ)

春の至福

2016年04月12日 | 季節の便り・花篇

 車から降り立った途端、吹き募る寒風に思わずたじろいだ。北国では冬将軍が後ずさって雪という予報が出ていたが、まさか此処までその吐息の余波が及ぶとは思っていなかった。無駄で元々と、念のために積み込んでいた薄手のトレーナーを着込み、ベストを羽織り、さらに山歩きのザックの中に常備しているウインドブレーカーに袖を通した。
 ストックを伸ばし、途中のサービスエリアに新設されたコンビニで買いこんだ握り飯とお茶をザックに納め、60ミリのマクロと52ミリのクローズアップレンズを嚙ませた一眼レフを肩に下げて男池(おいけ)に向かった。

 すっかり毎年の恒例となったこの時期の山野草探訪ドライブ、今日は足首を痛めて静養中の家内を家に残し、日帰りの「孤老一人旅」である。お目当ては、大分県九重連山の裾に拡がる飯田高原、その西から北東に屏風を立てる泉水山の山肌を、絨毯を敷き詰めたように咲くキスミレだった。
 走り慣れた大分道を玖珠ICで降り、四季彩ロードを駆けあがった。お昼には晴れる筈の空は重く曇り、時折霧雨が車窓を濡らす。次第に広がる野焼きされた山肌が、期待を膨らませた
 しかし、いつも群生する山肌に黄色い色彩は一点もなく、ただ黒々とした斜面が続くばかりだった。咲いた痕跡もないという事は、まだ遅れているのだろうか?昨年、週末ごとの雨に祟られて焼かれなかった山肌、今年も野焼きが遅れたのだろうか?期待を裏切られ、一輪の気配もないキスミレに落胆しながら、一気に男池に向かったのだった。

 100円の入山料を払って、男池への道を辿る。日差しはまだ戻らず、木漏れ日のない新緑は淋しい。木陰の枯葉は、まだ冬の名残さえ残していた。時折アズマイチゲを見かける辺りも花の姿はなく、アマナが開かない花弁を垂れているだけだった。
 しかし、山は優しい。群生するキツネノカミソリを左に見ながら、すっくと濃い紫色の鎌首をもたげたマムシグサが番人のように立つ曲がり角を左に折れると、いつもの場所で真っ先に迎えてくれたのはヤマルリソウの群落だった。5弁の淡い瑠璃色の花びらが黒い土手土の枯葉の間にいくつもいくつも開いていた。まるで、小人たちの上着のボタンにしたいような可憐な花姿である。
 木立を縫うように歩き進める中に、次々と山野草たちが姿を現し始めた。白い穂を立てるハルトラノオ、無造作に散らばるムラサキケマン、そして、あったあった、淡い青紫のヤマエンゴサク!唇の形をした花冠は、ジロボウエンゴサクやムラサキケマン、キケマンなどと共に、私のお気に入りの花のひとつである。
 シロバナネコノメソウがあった。鐘形を押し開いたような白い花びらに、真っ赤な雄蕊がちりばめられて、思わず目を凝らして見詰めてしまう。そんな時、多分私は密かに微笑んでいるのだろう。傍らに、チャルメラを細い茎に並べたチャルメルソウが立っている。これこそ、その気で目を凝らさないと見落としてしまう地味な花である。しかし、小さな花の形は、ほかに類を見ない奇妙で不思議な佇まいである。

 巨大な岩を幾本もの根で抱え込んだ古木の傍らから、倒木の下をくぐって黒岳登山コースに向かう。エイザンスミレが咲く。ユキザサが蕾の穂を垂れる。ヤブレガサとバイケイソウが、お互いの縄張りを守るように別々に群れる。
 しかし、木漏れ日のない新芽の林は、いつもの輝きを喪って鉛色の空が趣を殺してしまっていた。しばらく辿ったが、密かに期待していたユキワリイチゲの姿はなく、諦めて男池に戻った。最後の坂道のかたわたらの土手に、2輪のシロバナエンレイソウが、3枚の葉に囲まれてひっそりと咲いていた。膝をついてカメラに収めたその膝元に、探していた黄色のネコノメソウが群れていた。まさしく「有終の美」だった。

 キスミレにこそ会えなかったが、懐かしい小さな山野草たちに迎えられて満ち足り、車の中でようやく切れた雲間から漏れる春の日差しに温もりながら、ほくほくとお握りを食べた。
 長者原、牧の戸峠、瀬の本と走り抜け、黒川温泉を過ぎて「ファームロードWAITA」を一気に駆け下れば、そこは立ち寄り温泉「豊礼の湯」。1200円を弾んで貸切露天風呂に浸り、湧蓋山のなだらかな稜線を見ながら陶酔の淵に沈んだ。
 掛け流しの濁り湯に癒され、至福の時間がゆっくりと流れて行った。

 273キロの山野草探訪ドライブを終えると、私の心身にようやく春がくる。
                  (2016年4月:写真;ネコノメソウ)