2018年が逝く……。
股関節の痛みからリハビリを始めて丁度1年、8月1日の人口股関節置換手術から5ヶ月。漸く「筋力、作動域共に、ゴール・レベル」というお墨付きを頂いた。
リハビリをあと2回残したところで、突然、肩、首、右腕に激しい痛みが出た。右腕が抜けるように痛く重く、切り捨てたいほどに怠い。整形外科に駆け込んだ。事情を話すと、「原因は首ですね」と4枚のレントゲン撮られた。頸椎に2か所、僅かに狭くなっているところがあり、それで神経を刺激しているんだろうという。「当分首の牽引を続けましょう」ーー6キロの負荷をかけて、15秒ずつ10分間牽引する。痛み止めの薬と、塗り薬をもらって帰った。
二日ほど繰り返したが痛みは治まらず、しかも毎日痛みの位置が移動するのが不思議だった。1度目の牽引で、背中と肩の痛みが消え、右首筋に移動、2度目の牽引で首の痛みが消え、耳殻が痛みだした。痛みが移動するという事は、牽引が効いているということなのだろうか?
薬の作用で軽い吐き気が続いた。処方を替えてもらおうと、再び医師の診断を受けた。たまたま頸椎や脊髄のオーソリティの医師が居てくれて、再度レントゲン写真を精査してくれた。「綺麗な頸椎ですよ。これでそんな痛みが出る筈ないんだけどなぁ。それも右だけに痛みが出るのは……」暫く首を傾げた後「右手が抜けるほどに怠くないですか?ちょっと上半身裸になってみて下さい」
気付かなかった、右肩から腕、胸にかけて赤い発疹が!
「ヘルペスですか!」何で発疹に気付かなかったのだろう。何がストレスになったのだろう?
「頸椎の治療は必要ありません。ヘルペスの治療をしましょう」
「皮膚科に行って点滴ですか?」
「ここまで発疹が出たら、点滴はあまり効果がありません。飲み薬で、対応できますから大丈夫です」
抗ウイルス剤と神経ブロックの痛み止めを服用することになった。ヘルペスとわかった途端に、右胸の刺すような痛みが耐え難いほどに強くなった。聞きしに勝る痛さだった。出産を知らない男は、痛みに弱い。カミさんの再三再四の手術の痛みを、改めて思いやった。
しかし、薬を服用し始めた夜から、嘘のように痛みが消えた。右腕の怠さもない。それでも、時折右胸をスズメバチが刺す。「うっ!」と呻いて、息をのむ瞬間がある。強い薬だから、眠気やふら付きが出る。翌日、気を付けて運転しながら、最後のリハビリに臨み、担当の理学療法士から「長い間お付き合いいただいて、ありがとうございました」と逆に礼を言われ、恐縮する。1年間のお礼を言って辞した。
その午後、38度9分の高熱が出た。夜には37度5分まで下がったが、ヘルペスのウイルスと、抗ウイルス剤が熾烈に戦っているのだろうか。二日目の午後も、38.8度まで上がった。
これほどの高熱は、もう20数年振りだろうか?熱にい弱い私である。天井が回り、起き上がれず、食事ものどを通らず、布団の中で呻吟するのが常だった。ところが、そんな高熱にもかかわらず、普通に動けるのが不思議だった。食事も残さずに食べることができる。これは、何よりもの救いだった。
ヘルペスと判明する前に、迎春の買い物は済ませていたから、何とか文字通りの「寝正月」の準備に差し障りはない。
カミさんが笑う。「最近、お互いの裸を見ることなんてないから、発疹に気付かなかったのね」私自身、前日はいったお風呂でも、鏡の前でパジャマに着替えた時も気付かなかった。勿論、自分の裸をしげしげと見るナルシストではない。
しかし、病院の正月休み前に分かってよかった!歳を取ると、いろいろ出てくる。自覚して気を付けようと思っても、その限度は自分ではなかなか判断がつかないものだ。80歳間近のツケが、ここにきてやって来た。
新聞のコラムで「ウイズ・エイジング(with aging)」という言葉を知った。老いに抗って若返りを目指すのが「アンチ・エイジング(anti aging)」。老いを否定的に捉えず、自然のままに受け入れ、年相応に生きるのが「ウイズ・エイジング」。……納得出来る言葉だった。
大晦日まであと3日、八十路の扉を叩くまで23日、思いがけず慌ただしい師走の騒動だった。粗大ごみと化したわが身をもてあまし、一人で頑張るカミさんに詫びながら、本格的「寝正月」がやってくる。
キーボードを叩くのも、正直つらい。これをもって、今年の「蟋蟀庵便り」の「打ち納め」としよう。大切な「納め」は、ほぼ終わった。当面、ヘルペスとの戦いに専念する。
気温の乱調に戸惑ったのか、蝋梅が1ヶ月も早く狂い咲いた。
(2018年12月:写真:狂い咲く蝋梅)