蟋蟀庵便り

山野草、旅、昆虫、日常のつれづれなどに関するミニエッセイ。

絢爛への序曲

2006年03月26日 | 季節の便り・花篇

 タキシードを小粋に着こなしたシジュウカラが、梢の先から澄み切った囀りを転がしてくる。啓蟄からもうかなりの時が過ぎたというのに、気持ちの中の春の訪れは遅かった。
 雪の中のソシンロウバイに始まった今年の花の宴は、やがてバイカオウレンに受け渡され、小さな鉢に咲いたハルトラノオ、みっしり花穂を連ねるキブシへと繋がっていった。エイザンスミレがピンクがかった紫の花を付け、庭石の陰ではミスミソウ(雪割草)が数輪、そしてシジュウカラの声に誘われたように、コチャルメルソウが不思議なラッパを立てた。ヒメニリンソウの鉢をいつの間にか奪い、4本の茎に20余りの花を纏わせている。馥郁と沈丁花が匂い、身の丈ほどに伸びたユキヤナギは、径2メートルほどの純白の滝となって春の日差しに輝いている。松の向こうにレンギョウの黄色が眩しい。妹からもらった大鉢のムスカリも、今年は30本あまりが美しく咲いた。追っかけて、今朝イカリソウが咲き、牡丹とクサボケとシボリスミレが蕾を付けた。固かったツクシシャクナゲの蕾も、心なし膨らんだように見える。小さな嘴のような白い小花を咲かせるヒメウズが、したたかに幾つもの鉢に勢力を拡げている。目立たない野草なのだが、何故か気に入ってほしいままにさせている。
 こうして、厳しかった冬将軍を追いやった春の足取りは、めまぐるしいほどに速い。いつもの散策路で、1ヶ月半遅れたオオイヌノフグリを道端に見付けたのはつい先頃のことなのに、気が付いたら蟋蟀庵の庭先は俄かに春が溢れ始めていた。春はまだ序曲、これから夏を経て秋に至るまで、我が陋屋も絢爛の花の季節が続く。
 家内のインターネット仲間から、「久住でユキワリチゲの大群落を発見!」と知らせてくる。もうそんな季節なのだ。前後して、大分に長く転勤していた長崎時代の若い部下から「この春、福岡に戻ります」というメールが届いた。「大分でのラスト登山に、仲間と牧の戸から久住、中岳に入ります」と。大変な読書家の彼は、毎年松が取れる頃、前年に読んだ膨大な本の所感を律儀に送ってくる。暫くは対抗して年間110冊ほど読む本の感想などを返信していたが、限りなく広がる彼の読書への感性に遂に脱帽。今は年間40本ほど観る映画の話をすることで、彼の矛先をかわしている。嬉しい敗北である。活字離れが加速する昨今、こんな友人の存在を確かめるのは何よりもの慰めである。
 ダイナミックな季節の移ろいに翻弄されながら、例年になくリズムに乗れない体調を持て余していた。子供会の歓送迎会バーベキューに誘われたのはそんな時だった。160名の高齢者に対し、19名の小学生は地域の宝物。チラホラ咲き始めた桜の下、無邪気に澄みきった目を輝かせる子供達に囲まれながら、いつしか癒されていた。
 ここにも人生の絢爛への序曲があった。
        (2006年3月:写真:オオイヌノフグリ)