蟋蟀庵便り

山野草、旅、昆虫、日常のつれづれなどに関するミニエッセイ。

常世神、降臨!

2020年07月29日 | 季節の便り・虫篇

 いつも遅れてやってくる子だった。
 降りしきる雨に心まで濡れそぼつような、鬱陶しい梅雨空が続いた。九州から東北まで、日本中を覆いつくした梅雨末期の豪雨禍は、今日も東北各地を汚泥にまみれさせている。こんな目に遭ったら、私たちのこの年ではもう立ち上がれないだろう。

 コロナの拡大が止まらない。太宰府でも6人目が発症、前日の40代会社員の奥さんの40代女性公務員。公務員?まさか市役所?!……曖昧な情報が、かえってあらぬ推測を生んでしまう。とうとう日常生活圏まで侵入してきた。
 無策というより愚策を繰り返す政府は、また役立たずの布マスク8000万枚を100億の税金を掛けて、欲しがってもいない介護施設などに配ると言い出した。GoToトラベルは、予想通りGoToトラブルに陥り、観光業者からも、「さしたる効果なし」と酷評されている。ニカイだかスガだか、観光族議員が金をもらって先導したキャンペーンという噂もあるが、アベが巣ごもりして表に出なくなった。すべてを閣僚や国民に丸投げして、記者会見も1ヶ月以上やってない。自主性を喪い、もうニカイやスガの言いなりになってるような印象がある。「巣ごもりによる逃げ恥作戦」と、野党は揶揄する。
 もう、やる気をなくしたのかもしれない。オリンピックと憲法改正を成し遂げた総理として歴史に名を残したかったのだろうが、、もうその可能性は希薄になった。アベノミクスもさしたる成果なく、虚言・隠蔽・改竄を重ねたモリ・カケ・サクラ、相次ぐ閣僚の不祥事にも任命責任を取ること一度もなく、結局「アベノマスク」という汚名だけが歴史に刻まれるのだろう。
 「責任を痛感しています」と言えば、責任を取ったことになると思っているのだとしたら、何という頭の悪さ、国語力の無さ!

 いやいや、今日書きたかったのは、そんなアホらしいことじゃなかった。
 
 春、二つのプランターに植えた10株のパセリに、漸くキアゲハの初齢幼虫が11頭も誕生した。梅雨明けを明日に控えた朝である。
 キアゲハ(黄揚羽・黄鳳蝶)、三齢までは鳥の糞に似せた保護色をしているが、四齢幼虫では白地に黄色と黒の斑点を散らした警戒色の模様になる。最も美しいのは、黄緑に黒の縞模様を走らせた美しい五齢幼虫である。黒い縞には、橙色の斑点が散る。
 これからおよそ1か月、美しい蝶になって夏空に羽搏く日まで、楽しい観察の日々が続く。心配なのは、11頭の大所帯を賄う食糧難である。また、夜陰に紛れてご近所の人参畑にこっそり移民させることになるかもしれない。

 キアゲハも含めたアゲハチョウ(揚羽蝶・鳳蝶)には、実はスピリチュアル(霊的)な意味があると知った。
 蝶が卵→幼虫→蛹→成虫と完全変態する姿は、復活・死と再生・変化の象徴であったという。そして、魂を運ぶ生き物であり、肉体から離れた魂があの世へと飛んでいく姿と信じられた。
 古代から信仰の対象として、「日本書紀」にも記されているという。飛鳥時代の皇極天皇(第35代天皇、女帝、在位642~645年)の時代、富士川付近で大生部多(おおうべのおお)が「常世神の虫を祭ると貧しいものは富を得る、老人は若返る」と言って人々に広め、都や地方でも大流行したことがあったという。
 常世の虫(とこよのむし)とも呼ばれた。常世とは死者の魂が集まる国、神々の住む不老不死の理想郷であり、その神の国からやってきたありがたい虫が常世虫(揚羽蝶・鳳蝶)だという。
 降臨した11頭の常世虫の子、政治屋の「〇〇チルドレン」と、何という尊さの違いだろう!

 蝉の羽化は、63匹で終わりとなり、蟋蟀庵に、愈々本格的な夏がやって来た♪♪♪
                            (2020年7月:写真:キアゲハ初齢幼虫)

夏への宴~その2

2020年07月17日 | 季節の便り・虫篇

 蟋蟀庵恒例の、夏の宴は更に続いた。薄明の中に鳴く声に目覚め、黄昏れで鳴く声に夕餉を摂る……「カナカナカナ♪」と鳴くヒグラシの少し哀しげな声は、蝉の中では一番心に染みる。
 もう、クマゼミも「ワーシワシワシ♪」と姦しく鳴き立て、アブラゼミも「ジリジリジリ♪」と暑熱を掻き立てている。「チイチイチイ♪」と鳴くニイニイゼミは、まだ確かめていない。あと1か月もすれば、慌て者のツツクボウシが、「オーシツクツク!」と、秋の前髪を引っ張り始めることだろう。

 3日前から、庭の八朔の枝先で、蝉の羽化が始まった。昨年より9日遅い始まりだったが、昨夜までで既に9匹が誕生した。多い年は、ひと夏で100匹を超えた年もあったのだが、さて今年はどこまで数を伸ばすのだろう?
 時には10匹近くが一斉に羽化したり、一つの枝先に3匹が重なるように下がることもある。同時進行形で、いろいろなステップを見せてくれた夜もあった。
 我が家の羽化は、クマゼミが殆どである。八朔の根っこの樹液は、クマゼミが好むのだろうか?早い時期はヒグラシ、そして低い草陰でたまにニイニイゼミの土まみれの空蝉を見付けることがある。

 昨夜、8輪の月下美人の饗宴に酔う傍らで、時々部屋を離れて庭に出て、八朔の樹の下に立った。1匹のクマゼミが羽化しようとしていた。毎年のことながら、カメラを構えて刻々と姿を変える誕生劇を撮り続ける。目線より少し低い葉蔭でドラマが続いていた。脚立を持ち出し、海中電灯で確かめながらドラマを追う。

 使い慣れた一眼レフの調子が悪く、なかなかシャッターが落ちない。カミさんの小型カメラとスマホのカメラまで抱えて、月下美人とクマゼミの間を出たり入ったり……のけ反って殻を抜け出し、徐々に翅を伸ばし、翅脈を綺麗なグリーンに染めるまでを見守っているうちに、日が変わっていた。
 夜明けには、柔らかい翅もしっかりと固くなり、褐色にグリーンを走らせた精悍なクマゼミが、伴侶を求めて大空に飛び立っていく。

 蝉は歌っているのではない。すべてが、種を維持するための命の営みなのだ。鳴けない雌は、オスの鳴き声を求めて、より種族維持に相応しい雄にすり寄って交尾する。虫たちには喜怒哀楽はないし、恋もない。だから、その純粋なひたむきさに惹かれる。
 発情期を失った人類は年中発情し、生殖の営みを快楽に変えてしまった。そして大繁殖を可能にして、文明を発展させた。しかし、その陰で失っていったものも多い。戦争と疫病という調整機能も弱くなった。いまや人類は、地球環境にとって最悪の害獣になってしまった。今回の新型コロナウイルスは、自然界からの警告であり、あるいは怒りの鉄槌なのかもしれない。
 その一方で、草食男子の蔓延や独身謳歌の風潮は、種としての生殖機能の弱体化であり、日本民族という種の滅亡への兆しでもある。

 「我も老いたり、カメラも老いたり!」
 カミさんは、「アベの10万で買い替えたら?」と言ってくれるが、我が家のアベの20万は、ずいぶんいろいろと使って、多分もう足が出ている。騙し騙し、年老いたカメラと付き合って、これから当分八朔の下に立ち続けることだろう。立つのは慣れているし、何度立ち会っても、この命誕生のドラマは心をときめかせてくれる。
 ひとつ不思議なことがある。こうして長い間八朔の下に佇み続けても、藪蚊に刺されることがないのだ。何故だうろ?

 コロナ感染は、首都圏や関西を中心に拡大し続けている。そんな中で「Go Toトラベル」というキャンペーンが始まろうとしている。コロナ撲滅と経済の両立、そんなことが果たして可能なのだろうか?アメリカ、ブラジル、インドなど拡大加速の中で、観光業者にはありがたい政策だろうが、周辺の一般家庭では不安材料でしかない。東京発着は対象外という姑息な手段で、「Go Toトラベル」が「Go Toトラブル」に陥るのではないか?
 ……そんな不安な世情をよそに、自然界は間違いなく季節を刻んでいく。それを見つめ続けることは、大きな癒しでもあるのだ。
 蟋蟀庵の夏の宴は、今始まったばかりである。
                            (2020年7月:写真:クマゼミの羽化)

夏への宴~その1

2020年07月17日 | 季節の便り・花篇

 そろそろ梅雨明けの時期なのに、晴れるでもなく降るでもなく、どんよりと重い日々が続く。買い物や病院などで少し身体が軽くなった宵だった。昨夜の1輪に続き、8輪もの月下美人が一斉に花開いた。日本中、ほぼ同じ日に花を咲かせるクローンだが、我が家の2鉢は45年の歴史を重ねるうちに、株分けして差しあげたご近所さんでは、2~3日微妙なずれが生じている。もう1鉢は、カリフォルニアの次女の家から持ち帰った葉から育て、やはり数日のずれがある。
 次女がご近所に分けた株は、よほど環境がいいのか、身の丈迄育ち、二日間にわたり20輪近くが毎晩咲いたという。霜の心配がないカリフォルニアだから、地植えし大きく育てたらしい。我が家では、冬は広縁にあげ、春秋は日当たりのいい庭先、真夏は葉が日焼けしないように梅の木の陰に移動させる。抱え上げるのに苦労する重さだから、これ以上鉢を大きくはしたくない。

 とげとげの小さな蕾が次第に大きくなり、やがて徐々に頭をもたげて鋭角にそそり立つ。膨らみ始めて数日、漸く開花の夜を迎えた。8時頃からおちょぼ口を開き始め、9時半頃に半ば開いた辺りから、一気に香りを放ち始める。甘く濃厚な芳香は、一輪でも部屋を満たすほどなのに、今夜は8輪!あまりの濃厚さに、戸を開けて網戸にした。10時半過ぎから最高の見頃を迎える。重なる花びらの奥で雄蕊が伸び、下から包み込むようにたくさんの雄蕊が立つ。
 絢爛豪華でありながら、気品溢れる清楚さには、いつも言葉を失う。これから10月頃迄、幾度か花の宴を繰り広げてくれるだろう。我が家の、夏の宴の始まりだった。

 ひと夜限りの儚い花である。儚いが故に、明日か今宵かと、心をときめかせながら待つ日々は楽しい。一夜明ければ、すっかりうなだれて昨夜の絢爛さはない。しかし、そこからもう一つの楽しみがある。花をさっと湯通しして刻み、甘酢をかけて啜ると、とろみとシャキシャキ感が絶妙の食感なのだ。酒の肴に、箸休めに、花の宴の余韻を楽しませてくれる。
 そのまま冷凍して、冬場の鍋料理に入れると、これまた絶品!!

 45年前、赴任先の沖縄・豊見城の社宅の庭にあった月下美人の葉を2枚を父に送った。父が育てて咲かせ、ご近所を招いて花見の宴も重ねた。当時はまだ珍しく、テレビや新聞にニュースになるほど珍重される花だった。古くから日本に普及していた株は、メキシコの熱帯雨林地帯を原産地とするサボテン科クジャクサボテン属の常緑多肉植物である。原産地からそのまま導入された原種だが、絶滅の惧れのある野生動植物の種の国際取引に関する条約(通称: ワシントン条約)の附属書IIの適用対象となっている。
 原産地から導入され、台湾を経由して長崎に上陸して全国に株を増やしていった。たった1つの株から挿し木や株分けで増やされた同一クローンである。だから、全国ほぼ同じ夜に咲く。テレビで特集して実況した夜に、やはり我が家でも咲いていた。

 父が逝き、母が9年守り、やがて病で手が及ばなくなり、殆ど枯れかかっていた株から数枚の葉を捥ぎとって復活させ、私が引き継いだ。我が家から株分けされていった鉢は、もう5軒ほどになるだろうか?我が家の歴史とともに、45年間も夏の夜を飾ってきた花である。だから、この時期になると、いつも同じようなことを書いてしまう。

 咲き誇る姿に見惚れ、今年も何枚も写真を撮り、気が付いたら日付が変わっていた。満ち足りた深い眠りが待っていた。
                             (2020年7月:写真:月下美人)

ささやかなハレの日

2020年07月15日 | つれづれに

 もう64年の昔になる。高校2年の、多分冬休みの頃だった。親友と二人、暗く冷たい空の下にバスを乗り継ぎ、福岡県朝倉郡の小石原村の陶工を訪ねた。今では東峰村に併合され、焼き物以外に小石原という名前が登場することは少なくなった。近年、豪雨水害に叩きのめされた地域である。 
 鬼籍に入ってもう28年になるが、後に小石原焼の第一人者となり、バーナード・リーチとも親交があった太田熊雄さんが、まだ若い陶工だった頃である。夕暮れ近く、ほの暗い木立の中で、小川の流れを借りて陶土を砕く唐臼が、ゴトンゴトンと地を這うように響いていた。ひと晩泊めていただき、轆轤を蹴った。

 無口な陶工だったが、「好きなもの持って行きな!」と許されて、いくつかの作品をいただいた。棚に置かれた作品の中に、どうしても目を離せない1品があった。殆ど黒に近い褐色に水色の釉薬を落とした、書道用の小さな水差しだった。しかし、「これは自慢の作品だからやれない!」と断られた。ひと晩お願いを続けてもダメで、殆ど諦めかけていた。
 翌朝どうしても諦めきれずに、工房を辞す前にもう一度頼んでみた。「そんなに気に入ったのなら持ってけ!」

 以来、我が家の宝物として、飾り戸棚に鎮座し続けている。有田焼のような華麗な磁器よりも、土臭い陶器……特に小石原焼きが好きになったのは、この夜以来のことだった。我が家の戸棚は、独特の跳びかんな模様の小石原焼の器で満ちている。
 旅や仕事の序でに立ち寄った陶器の窯元で、幾つもの陶器を求めてきた。岡山の備前焼の灰被りの壺は、玄関の主座を独占し続けているし、太宰府の陶器店で偶然見つけた太田熊雄さんサイン入りの遺品のぐい飲みは、毎晩食卓に君臨している。(因みに、ぐい飲みのコレクションが趣味だが、晩酌はこれ1杯が限度という下戸である)

 磁器の中で唯一気になりながら訪れる機会を逸していたのが、長崎の波佐見焼だった。慶長3年(1598年)、時の大村藩主が連れ帰った朝鮮の陶工に登り窯を焼かせたことに始まり、有田のような高嶺の花の高級磁器ではなく、庶民生活に密着した丈夫な日用品として発展してきた。かつては全国の生活雑貨のシェア3割以上を占めていたこともある。
 初めは青磁中心だったものが、砥石や配電用の碍子で有名な天草の石を導入することで白磁の美しい白が主流となった。「磁器は高い」という従来の常識を覆し、庶民に普及した。オランダ商人が徳利状の瓶を作らせ、日本酒や醤油を輸出していた歴史もある。給食用強化磁器食器「ワレニッカ(割れ難い)」、が町内小中学校の給食用食器として開発されたりもしている。

 コロナ禍で、各地の窯開き民陶祭が中止になった。有田焼も小石原焼も唐津焼も小鹿田焼も波佐見焼も……おそらく、全国の民陶祭が行われていないのだろう。それぞれが、各地で持ち回りの即売会を開催している。
 博多座の隣り、リバレインで波佐見焼の即売会があると知って、カミさんを乗せて半年振りに都市高に駆け上がった。我が家から20分、地下3階に車を置いて、川端通でランチ。カミさん「は和定食膳」、私は」「マグロの鉄火丼膳」。「山のぼせ」で溢れる時節なのに、博多祇園山笠も来年に延期になって、川端通も人通りは少ない。今年は、博多に本当の夏は来ない。

 お気に入りにだった沖縄の壺屋焼の茶碗に罅が入って、もう買い替えの時期だった。3割引き、5割引きという民陶祭価格で買って戻って、早速夕餉に使ったら、何とも手触り・使い心地がいい!欠けている急須と醤油差しも買い替えようと、翌日再び都市高に乗った。応対のいい女性店員の勧めに従って5分で即決!今日のランチは、二人共名古屋風「鰻のひつまぶし丼定食」。どちらの店も、コロナ対策は万全だった。他人が作ってくれたものを食べる……カミさんにとっては、実に「佳き日」であった。

 脱・コロナ籠りの二日間は、ささやかなハレの日となった。
                            (2020年7月:写真:波佐見焼の器)

梅雨、黄昏、花開く

2020年07月05日 | 季節の便り・花篇

  日没間近に降り始めた雨の中を、黄昏を呼び寄せるようにヒグラシが鳴き始めた。少し哀しげな声が、次第に雨音に紛れていく。

 7月2日に、クマゼミの初鳴きも聴いた。昨年より6日早い。我が家の八朔に空蝉が鈴なりになるのも、もう間もなくだろう。
 チビっ子のくせにウシガエルのように重い声で鳴くハルゼミ、姦しいまでに豪快なクマゼミ、油照りの暑熱を煽るアブラゼミ、少し苛立たしいようなニイニイゼミ、薄明や黄昏の中で哀愁を漂わせヒグラシ、秋風の気配を呼び寄せるツクツクボウシ……それぞれに季節の役割を担った蝉の声は、やはり日本の風物詩だろう。
 熊本で激しい豪雨が荒れ狂った。梅雨末期の水害の季節である。暴れ川・球磨川が、人吉から八代にかけて何か所も氾濫し、既に死者行方不明者が50人近い。何度も走ったあの道が、あの橋が濁流に流されていく。身近なだけに、その映像は衝撃的だった。
 現役時代、7月と12月に毎年訪れていた坂本村の電器屋さんには、天井に小舟が吊るされていた。川幅が狭くなる中流域は、上流で大雨が降れば溢れるしかない。それが生活の中に染み込んでいた。しかし、今年の雨は常識を超える。線状降水帯は、手の付けられない暴れん坊となった。温暖化が更に加速し、「かつてない」気象が「当たり前」になってきている。

 梅雨の末期の激しい雨を、博多辺りでは「ハゲ雨」という。語源を知りたくてネットで引いたら、唯一の情報として、昔カミさんが書いた「”ハゲ雨”って?間もなく梅雨明け。2014-07-19  日々の中で」というブログが出てきて笑ってしまった。やはりこの地方特有の言い回しで、ネット情報にさえ出てこない。向こう1週間のハゲ雨が、北部九州の梅雨の山場となる。
 来年に延期された博多祇園山笠、「山笠のあるけん、博多たい!」というキャッチフレーズを懐かしみながら、カミさんは今年唯一の飾り山を観に、友人の車で櫛田神社に出掛けていった。人形師・中村信喬父子が飾る山にも、コロナ撃退の願いが込められている。

 例のしたり顔で、アベが「対策本部設置」を謳い上げる。お前さん、その前に取るべき責任が幾つも幾つもあるんじゃないか?!「私の責任です」と口では殊勝なことを言いながら、ただの一度も責任を取ったことがない。その鉄面皮振りに呆れることにも、もう疲れ果てた。奴は、どこかで人間としての神経が切れているのだろう。これを「人でなし!」という。

 安全だった避難場所も、今年は新型コロナウイルスの不安が付きまとう。鹿児島でも夜の街に集団感染が爆発した。二次感染を思わせる首都圏の感染者増にも、いつまでも歯止めがかからない。夜の街……例えばホストクラブの検査が進んでも、客となった女性は多分名を伏せて巷に潜んでしまっているだろう。症状の出ない感染者がじわじわと広がり、やがて高齢者に感染させて重篤患者が増え始める……不気味な足音が、「怪談牡丹灯篭」のお露の下駄の音のように、「カラ~ンコロ~ン」と聞こえてくる。
 今日の都知事選を控えて、都知事の打つ手も中途半端だし、政府の動きも歯切れが悪い。経済優先=選挙対策=利権・金権という、いつもの絵が見えてくる。「人命は二の次」というのが、日本の政治家の価値観なのだ。その限りでは日本も、中国やロシア、アメリカと堂々と肩を並べて見劣りがしない害獣。
 夜8時、開票と同時に、現職の「当選確実!」が出た。1分と経たない瞬間である。毎度のことながら、「出口調査」で呆気なく結果が見えてしまうこの開票速報の仕組みは面白くないし、ハラハラドキドキのときめきすら感じる暇がないのは、妙に寂しい。
 さて、これで東京都の感染対策が強気に変わるのだろうか?早速新都知事が、「人に焦点を当てた都政」とぶち上げる。さあ、わざとらしい丁寧語は要らないから、その辣腕を見せていただこう。コロナ禍の中で、人の道を踏まえた政治を果たして為しうるか、お手並み拝見といこう!

 昨夜、黄昏を待って夕顔が見事に咲いた。蔓の伸びが悪く、ハズレかと思っていたのに、40センチほどしか伸びていないなかで、大輪の花を開いた。自然界は測り知れない。人間も大自然の一つの構成要素に過ぎない。そのことを理解する謙虚さがない限り、地球にとっては人類も絶滅すべき害獣として存在するに過ぎなくなるだろう。
 3つの鉢の月下美人に、14個のトゲトゲの蕾が着いた。2週間ほど後には、我が家は絢爛の花と芳香に包まれる。45年前の沖縄にルーツを持つ月下美人が、世代を重ねて今年も花の宴を催してくれる。
 自然は決して滅びない。
                                  (2020年7月:写真:夕顔)