蟋蟀庵便り

山野草、旅、昆虫、日常のつれづれなどに関するミニエッセイ。

夏の忘れ物

2009年10月12日 | つれづれに

 雲ひとつない秋晴れに、少し厳しさを残した日差しが眩しく降り注ぐ。人声も途絶えた穏やかな団地の昼下がり、まだ色づかない八朔の実をおよそ50個と数えた目線の下、南天の葉裏に空蝉が秋風に吹かれていた。40年近い時を経た団地の庭で、今は毎年数十匹のセミが羽化して抜け殻を残していく。孫達が来るたびに、見付けだしては玄関の下駄箱の上に並べて帰るのだが、夏の忘れ物のように、たった一個の潜み隠れる空蝉だった。
 地中に7年、羽化して1週間、ひたすら待ち続ける短いようで長いセミの一生だが、春から秋に掛けて、時にかしましく、時に懐かしく、時に哀しく鳴き続けたセミの声は、もうすっかり途絶えてしまった。
 
 「歴史資料館の駐車場で見つけました。羽にほかの虫をとまらせたような珍しい蛾ですが、何と言う名前でしょう?」と、九州国立博物館環境ボランティアの仲間から写メールが届いた。早速インターネットで検索しようとして、空しく挫折した。日本で見られる蝶は、手元の図鑑では246種、これに対して蛾の種類は多いと知ってはいたが、インターネットに示された図鑑によれば、何と合計 80科 6021種!検索用の写真だけで1万枚を超えていた。1ページ50枚の写真をめくり続けると200回となる。さすがに、その根気はない。50回ほどの検索で、あえなくギブアップ。それにしても、昆虫界は凄まじい。人口一人当たり4億という個体数も頷けると、妙に納得しながら秋の夜長の検索を諦めたのだった。

 昨夏、玄関先のハナミズキに異常発生したイラガの幼虫。万人に忌み嫌われる毒蛾なのだが、カメラに収めてそのあまりにも繊細緻密な造形と色彩に感動したことは以前書いた。以来、博物館通いの書類ケースのポケットには、そのイラガの写真がいつも納めてある。「虫は苦手!」という仲間がいたら、早速その写真を披露して「よく観ないから、好きになれないんだよ!」と教育的指導を施してほくそ笑んでいる。博物館の職員にも、仕事柄虫に接しているうちに、知識が増すごとに愛着を感じ始めた人がいる。嫌いなものから目を逸らすと、ますますそのものを疎ましく思ってしまう。もう一歩踏み出して見詰める……そこの踏み切りが出来れば、世界はもっともっと広がり、自然の豊かさが身体に滲みこんで来る筈なのに……。「あなたは、嫌いな虫はいないんですか?」と訊かれて考え込んだ。「ウーン、さすがにゴキブリは殺しますね」と。

 旅立ちまで4日、スーツケースのパッキングを終えて、その隙間に埋める土産物を考える。前回はケースの3割がお土産で埋まり、娘のコンドミニアムの床に山積みして4人で大爆笑した。あれもこれもと少しずつのつもりが、いつの間にかスーツケースをズッシリと重くする。親心を測る重量である。そのくせ、大事なものを詰め忘れたりもする。2年振りの娘宅訪問に、舞い上がり、惑いながら、こうして今日も暮れていく。

 日差しの下を、5センチほどのトカゲの子供が横切った。この夏、キアゲハの幼虫や蛹を貪った親から生まれた子かもしれないと、ふと思う。陋屋の庭で繰り広げられる食物連鎖の闘いである。それも又よし。大自然の掟に棹差す愚かさはもう要らない。

 晩秋から初冬のカリフォルニア。2年前のカタリナ島の海にダイブした時の16度の水温の冷たさが肌に蘇る。それを打ち消すように、メキシコ・ロスカボスの真夏の海の暖かさも蘇ってくる。夕映えの海面に飛んだウシバナトビエイや、視界を埋め尽くしたギンガメアジの群舞、戯れ遊ぶシー・ライオン(カリフォルニア・アシカ)の夢でも見ながら、秋の昼下がりの午睡を楽しむことにしよう。
           (2009年10月:写真:葉末の抜け殻)

旅立ちの秋

2009年10月09日 | つれづれに

 秋が駆け足で走り抜けていく。2年振りに知多半島に上陸した大型台風が日本列島を貪り去って、俄かに風が冷たくなった。緑の葉陰には、もうサザンカの蕾がピンクに膨らみ、その傍らで開花を待つように、ハナアブが見事なホバリングを見せている。早朝の鈍い曇り空が重い。

 旅立ちが1週間後に迫った。「Orange County:California」と「Yosemite」のステッカーを貼ったスーツケースを2年振りに納戸から取り出し、パッキングの準備を始めた。旅慣れた気安さが、さほどの緊張もなく49日間の旅空の衣類や身の回り品などを揃えていく。昨年の座間味以来のダイビングに備え、マスク、スノーケル、ブーツ、フィン、グローブを棚から取り出した。ザックにストック、トレッキング・シューズ……旅支度が淡々と進んでいく。
 先年、ブライス・キャニオンのトレッキングの際に求めた写真集を引っ張り出し、ユタ州ザイオン国立公園のエンジェルス・ランディング(天使が舞い降りる山・1765m)の写真を確かめた。娘が高所恐怖症の我が身も省みずに、私の為に計画してくれている断崖絶壁の山登りである。山というより、岩塊というべき凄まじい山姿である。

 「え、49日?縁起でもない!キリよく50日にすればよかった」などと思いながら、「まあ、いいや。49日(シジュウクニチ)は忌明けだから…」と独りよがりに思ったりもする。他愛もない縁起担ぎである。
 USドルへの換金も済んだ。1ドルの小額でも、むしろカードが信用されるお国柄だが、メキシカンの店やメキシコでの遊びやタクシーなど、ドルの現金が必要な場合もある。娘からのお土産の注文も揃えた。太っ腹に必要な金は惜しまない一方、決して無駄遣いはしない娘だから、注文もささやかなものである。長い異国暮らしが、自衛の意識をしっかりと身体に滲みこませた。まして大不況のアメリカの中でも、財政破綻の辛苦を舐めているカリフォルニアである。3軒の持ち家の管理に腐心しながら、堅実な毎日を送っている。シュワルツェネガー知事も、ハリウッドのアクション・スター時代とは様変わりした懸命な行政を戦っているらしい。
 国際運転免許証も取った。季節性インフルエンザの予防接種も済ませた。チケット類も全て入手した。長い留守に備えて山野草の鉢も全て日陰の地面に埋め込んだ。迫り来る冬将軍から逃れるような旅立ちである。当日の朝、車のバッテリーを外し、セキュリティを掛ければ、蟋蟀庵は暫し晩秋の静寂に沈み込む。

 もう終わったと思った月下美人が15個ものイガイガの蕾をつけた。旅立ちに間に合うかどうか、微妙なタイミングである。長い茎に幾つもの花を並べたシロバナホトトギスが今盛りである。線香花火のような蕾をつけ始めたイトラッキョウは間に合わないだろう。花時が長いから、帰り着いた頃もまだ花を残してくれているかもしれない。その頃には、緑濃いままの八朔も黄色く色づき始めているに違いない。……愛着深い庭への思いは残る。

 ブラジルに「サウダージ」という言葉がある。「幸福な思い出に抱く郷愁」……昨日、アメリカのテレビ・ドラマの中で知った。この歳、この旅立ちに、何となく心に残る言葉だった。
             (2009年10月:写真:Engels Landing)