鈍色の空の重さが、ズシンと背中に落ちかかるような夕暮れだった。雨の足音が近付いてくる。
梅雨真っ盛り。沖縄・糸満のハーリー鐘が鳴って沖縄の梅雨は明けたが、北部九州はこれからが本番である。明日は大雨の予報に、ちょっと行き過ぎのように思われるサッカー・ワールドカップの狂乱を醒めた目で見ながら、ポーランド戦を観る気もなく、今夜は早寝と決めた。
ファンにとっては心外だろうが、選手達の反則期待のわざとらしい大袈裟なパフォーマンスや、サポーターのマナーに顰蹙して以来、プロのサッカーは見ない。高校時代までは、ラグビーに次いで好きなスポーツだったのに……走ることが好きで、短距離と走り幅跳びに没頭していた中学時代、体育の時間のサッカーも得意種目のひとつだった。そんな60年以上昔の想いに耽るのも、加齢の為せるわざだろうか。
蕾を着けはじめた月下美人の葉の上で、今年もアマガエルが目を半眼に閉じて瞑想に耽っていた。去年と同じアマガエルだろうか、余程お気に入りらしく、日差しを避けて葉を移動しながら、此処を定位置と定めて夕暮れには戻ってくる。雨が近付くと、その湿りを敏感に嗅ぎ取ってキコキコと鳴きはじめる。1匹が2匹となり、多い時は3匹が呼応する。季節のBGMである。
4鉢の月下美人うち、3鉢に蕾が着いた。そのうちのひと鉢は、はるばるカリフォルニアの娘の家から一枚の葉を運んで来たものである。もう7年目だろうか、少しばかり時差を見せながら一昨年頃から咲き始めた。残りの3鉢は、43年前に沖縄から持ち込んだ月下美人が、既に何世代も重ねて今に続く鉢である。それは同時に、亡き父の形見でもある。
沖縄・豊見城に住んだ家の庭にあったものから、2枚の葉を父に届けた。父が丹精込めて咲かせた。当時は珍しい花で、知らせれば放送局や新聞社が取材に来てもおかしくない時代だった。ご近所を招いて、花を披露するのが常だった。
南米産が台湾から持ち込まれ、全国に広がった。ある意味でクローンだから、不思議なことにほぼ全国同じ日に花が咲く。
35年前に父が亡くなって母が受け継ぎ、やがて母も逝って私が引き継ぐことになった。以来26年目になる。ご近所にも2鉢が嫁入りしているが、そろそろ次の世代を考える時が来た。いつも世話になっているY農園の奥様にひと鉢を託すことにして、蕾が育つのを見守っている。形見分け?いやいや、まだまだ早いだろう。
夕暮れを待っていたように、石穴稲荷の杜からヒグラシの声が風に乗って届いた。待っていた初鳴きである。去年は7月7日だったから、9日も早いことになる。そろそろ我が家の庭のセミの誕生も始まることだろう。期待を込めて8時過ぎに八朔の辺りを探してみたが、今夜の誕生はなかった。明日は豪雨、もう暫く地の下でおとなしく待っていた方がいい。
キンモクセイの葉陰には昨年の空蝉が二つ、厳しい木枯らしにも耐えてまだしっかりとしがみついている。何となく心楽しく、浮き立つ思いだった。鬱陶しいこの季節、ともすれば気持ちも凹みがちだが、こんなささやかな季節の便りが届くと、少し元気をもらえる。
梅雨の語源……この時期は梅の実が熟する頃であることからという説や、湿度が高く黴が生えやすいことから黴雨(ばいう)と呼ばれ、これが同じ音の「梅雨」に転じたという説……黴雨という説に軍配を上げたい、そんな気分の毎日が続いている。
夜半、激しい雷雨が来た。雨をものともせずに夕顔が開き、オキナワスズメウリが蔓を延ばし始め、種を差し上げたら苗になって帰ってきたフウセンカズラもしっかりと根付いて、植え替えた5株のパセリもキアゲハの訪れを待っている。
こうして、我が家の夏の準備は整った。
(2018年6月:写真:アマガエルの瞑想)