芽吹きを控えたイロハカエデの傍らで、盆栽を庭に下ろした紅梅が1メートルほどに育ち、美しい花をつけた。酷寒の2月がやがて逝く。先週までの寒波に縮こまった背筋を伸ばしながら、うららかな早春の日差しを浴びた。晴れ上がった空は僅かに白くヴェールを掛け、春霞を思わせるような気だるい気配を漂わせている。
九州国立博物館環境ボランティア2年目の集大成として、博物館科学課や交流課、二つのNPO法人の協力と指導を仰ぎながら、私達の活動を紹介する「みどりの広報」(Green report from Museum volunteer)を作った。私達第2期に課せられた「IPM活動の対外発信」のひとつとして、10人の仲間達とチャレンジしたA4版カラー刷り8ページのパンフレットである。
「大規模な化学薬品燻蒸をやらずに、文化財はもとより、人と環境に配慮したあらゆる有効な防除手段を合理的総合的に組み合わせて、害虫を入れない、増やさない、カビを発生させないように日常管理する」というIPM(Integrated Pest Management)「総合的有害生物管理」の理念と具体的な活動を、一般の人たちに分かり易く紹介する広報誌だが、それはとりもなおさず私自身の環境ボランティア活動の集大成でもあった。編集会議に半年近く掛けて、その最後の色校を昨日終え、1週間後の27日の納品までに漕ぎつけた。
風に漂う紅梅白梅のかすかな香りを楽しみながら家の大掃除をし、シーツを剥がして洗濯し、バンクーバー冬季オリンピックのカーリングを楽しみ……年金生活者の月曜日が長閑に過ぎていく。
ひと息入れて降り立った庭の片隅に、思いがけない訪問者を見つけた。「え?まだ2月だよ!」日差しの温かさに惑わされたのか、生まれたばかりのように傷ひとつなく玉虫色に輝くハンミョウがいた!あの敏捷な飛翔はなく、まだたどたどしい足取りで紅梅の陰のブロック塀を登っていった。写真は、塀の上にひょっこりと顔を覗かせた瞬間の美しく可憐なショットである。
ハンミョウ……子供心には「道しるべ」や「道教え」という名前が印象にある。どのシーンも真夏の記憶である。夏の日盛りの道で、歩いていく先へ先へ導くように小さな飛翔を重ねるハンミョウは、紛れもなく道を教えていた。捕虫網で捉えて指に挟むと、独特の甘い香りがした。
真夏の苛烈な日差しこそ似つかわしいハンミョウを、早春のこの時期に見かけたことを喜んでいいのか……間違いなくやってくる寒の戻りに、どうやって耐えていくのか……戸惑ううちに、ようやく身体が暖まったのか、少しぎこちないながらも春風に乗って道に飛び出していった。輝く一閃の虹色が飛んだ。
山から下りてきたシジュウカラが、しきりに「ツツピン、ツツピン」と澄み切った声を弾かせている。降るような落花に散々気を揉ませた八朔は、採り入れてみれば154個と記録を一気に倍増した。黄金色の実をみっしりと着けた八朔の木と、その傍らの満開のソシンロウバイが、道行く町内の人たちを暫く楽しませていが、採り入れを終え、花時も終えて、後を追うように、塀際の紅梅と蹲の傍らに立つ白梅が花時を迎えた。先日歩いた道端には、オオイヌノフグリが今年も春の先駆けの青い空のかけらを敷きつめていた。
「春になったら起こしてくれ」……冬の間の寝るときの常套句とも、ようやくサヨナラ出来そうだ。
(2010年2月:写真:慌て者のハンミョウ)
追記(後日談)
2月28日、九博の「文化財保存交流セミナー」の講義「甲虫の話―甲虫の面白さ―」受講の際、昆虫学者の今西正一先生にお訊ねする機会を得た。島原出身の先生は、「九州の甲虫なら9割は同定出来る」と自負される甲虫の権威者である。光の反射による構造色、食性による分類、膜状骨(Tentorium)と雄の交尾器による類縁関係の分析、特に九州の地形的構造史に言及しての分化線による生物地理の考察など、実に新鮮で魅力的なお話だった。
ハンミョウは、秋に蛹として地中に羽化直前の状態で眠りにはいるという。だから、早春でも暖かい日が続くと、すぐに羽化して出てくるケースがあるのだそうだ。納得!
因みに、日本全土で同定されている昆虫は、甲虫だけでも12,609種、全体では4万種弱、未確認・未発見の分を含めると、10万種近いかもしれないという。しかし、同定が進む前に、それではメシが食えない分類学者の方が絶滅するかもしれないと、半ば真顔で冗談をおっしゃっていた。かつて、食えないために九大農学部昆虫学教室への憧れを捨てて、就職に無難な法学部を選んだ経験を持つ我が身にとっては、いささか切ない言葉であった。