蟋蟀庵便り

山野草、旅、昆虫、日常のつれづれなどに関するミニエッセイ。

猷(みち)を修(おさ)むと名に負ふも…

2017年07月19日 | 季節の便り・虫篇

 豪雨の傷跡を癒す間もなく、時折激しい雨が大地を叩く。梅雨明けに取り残された北部九州は、今日も苛烈な日差しと重苦しい暗雲がせめぎ合って、絡みつくような湿気に辟易する一日だった。

 気の緩み……というより、耐力の限界を超えたのか、お腹を痛めてツラい3日を送っている。巷は3連休の中日、気怠い割りには落ちない食欲をいいことに、2人前のパスタを作ってカミさんと6:4で分けて食べ、満腹の午後のうたた寝。3時のおやつに頂き物の冷えたスイカを4切れも食べて、一瞬「お腹が冷えたかな?」と思った。……これが予感だったのだろう。
 1時間Tシャツを絞るほど汗を流して庭の草取りをして、濡れた身体のままに冷房の効いた部屋を出たり入ったりして、ヒグラシが鳴きたてる黄昏を迎えた。ここで俄かに腹痛がきた。夕飯も殆ど口に出来ないままにダウン、2時間おきにトイレに駆け込む苦難の一夜が明けて、かかりつけのホームドクターのもとに走ろうと思ったら……そうだ、今日は「海の日」!
 お腹に来た夏風邪なのか、単なる腹下しなのかわからないままに、市販の整腸剤で37.6度の発熱の一日をひたすら耐える羽目になった。
 翌日病院で点滴を受け、抗菌剤と整腸剤をもらってやっと人心地を少し取り戻した。そんな状態でも、やっぱり八朔の下でセミの抜け殻を数えている自分が滑稽でもあり……。

 今年85匹目を数えた足元に、一筋の虹が飛んだ。我が家の住人のハンミョウが2匹、追いかけっこをするように庭を飛び交っていた。もう何年も我が家の庭で世代交代を繰り返しているのだろう、秋風が立つまで終日庭先で戯れ合っている。通称ミチオシエ、私の散歩道では、必ず九州国立博物館裏の散策路で待ち構えていて、数歩先を導いてくれる。
 アブラコウモリ、ハンミョウ、セミの集団、ツマグロヒョウモン、キアゲハ、アナバチ、カリウドバチ、コガネグモ、アマガエル、カナヘビ、トカゲ……我が陋屋にはふさわしい住民たちである。時には蛇もやってくる。
 「この庭を雑木林にしたい!」と考え始めたのはいつごろからだろう?勿論、父の形見に純和風で築いた庭だから叶うはずもないのだが、わざとユキノシタやヤブコウジ、ドクダミ、ミズヒキソウ、ムラサキケマンなどが繁茂するままに放置し、今年は猫じゃらし(エノコログサ)まで一叢繁らせて楽しんでいる……「蟋蟀庵」の名前にふさわしく、コオロギたちも居心地がいいに違いない……などと独りよがりに納得している。藪蚊が苦手なカミさんは、決して庭仕事には手を出さない。
 さて、ハンミョウは、老いの道をどこに導いてくれるのだろう?
      猷を修むと名に負ふも やがて至誠の一筋ぞ
      ああ剛健の気を張りて 質朴の風きたへつつ
      向上の路進み行き 吾等が使命を果たしてん

 わが母校の館歌(校歌とは言わない)3番である。猷(道)をどこまで修めたか、どんな使命を果たしたのか、それは自ら評価することではないし、余生でその道を深める欲もない。穏やかに、緩やかに、足元を見ながら、躓かないように、のんびりと歩いて……そのうちに我が家に帰る道も忘れて徘徊……いやいや、それだけは願い下げにしたい。
 ハンミョウよ、もうしばらく我が行く道を導いておくれ。

 夜10時、エアコンの室外機が唸る闇に、3匹のセミの幼虫が背中を割っていた。よくよく八朔の樹が好きなのだろう、95%がこの枝先で命を誕生させている。
 薬が効いてきた。今夜は朝まで爆睡できそうな気配である。

 今年の夏は長くなりそうだ。
                  (2017年7月:写真:庭で遊ぶハンミョウ)

夏空への飛翔

2017年07月16日 | 季節の便り・虫篇

 夕方、俄かに暗雲が空を覆い雷鳴が轟いた。
 黄昏と勘違いしたのか、わが家に棲みつくイエコウモリ(アブラコウモリ)が庭を縦横に切り裂いて飛んだ。日本で唯一、人間の家屋にのみ棲みつく蝙蝠である。子供の頃、夕暮れの空にぼろをぶちまけたように群れ飛んでいた姿は、今はもう見ることも叶わない。最近の住宅は軒下に隙間がない。だからコウモリもスズメも棲家を失って、急速に姿を消し始めている。
 ミノムシと同様に、イエコウモウリを見ることは、今では奇跡に近い。雄で3年、雌で5年(やっぱり雌の方が長生きする!)という寿命からすれば、わが家の軒裏に住むのは雌なのだろうか。2匹で飛んでいる姿は見たことがない。伴侶はいるのだろうか?と、いつもの心配をしながら目まぐるしい飛翔を目で追っていた。

 結局、期待した夕立が来ることはなく、蒸し暑い夜になった。毎晩8時ごろから11時過ぎまで、マクロを嚙ませたカメラを首に提げ、八朔の樹の下に懐中電灯を照らしに通う私の日課が始まった。この季節、ブログもセミだらけになる。
 今夜は絢爛、切り取った一つの画面に4匹の羽化の姿が写し込まれた。それぞれ羽化の過程は異なるが、静かに命誕生の刻一刻を過ごしていた。今夜は雨も風もなく、全てが明日の朝の大空への飛翔を果たすことだろう。酔狂ともとられるこの道楽、「羽化する姿なんて気持ち悪い!セミは声だけ聴いていればいい」というのが一般的な反応だろうが、時たま通りかかる子供たちに見せると、目を輝かせて見入ってくれる。「このまま素直に成長してくれればいいな」と思いながら、虫ジジイはホクホクと子供たちに蝉の一生を語ったりする。

 13日、博多座観劇のついでに、博多祇園山笠の「集団山見せ」を観た。締め込み姿に法被を着た「山のぼせ」の男衆たちの太ももとお尻が眩しく輝く季節である。贔屓目ではなく、日本で一番勇壮で男らしい夏祭だと思っているが、お爺ちゃんに手を引かれた小さな子供が、一丁前に締め込んで可愛いお尻を振りながら走っている姿は、何とも微笑ましい。
 「オイサ、オイサ!」の掛け声が、博多の街に夏を呼び込んでいく。
 「山のぼせ」の男の祭だが、実はそれを支えているのは「ごりょんさん」と呼ばれる女衆である。博多の男は、女がいるからこそ威張っていられる。

 人情喜劇「うらいでか」。浜木綿子、井上純、加藤茶の手慣れた演技とアドリブが楽しかったが、男にとってはいささか居心地が悪い舞台でもあった。中古(ちゅうぶる)となった亭主が50万で売られ、それを資金にしてカミさんは実業家としてのし上がっていく。父が居なくなった娘が、淋しさに父を買い戻そうと貯金箱を持ってくる。「501円ある。お父さんなら、これで買い戻せるよね」……身につまされる言葉である。
 手を叩いて大笑いする女性たちをよそに、中古どころか古物になってしまって、タダでも引き取り手がない我が身の草臥れた細めの太ももを撫でながら、苦笑いする観劇となった。

 梅雨明け宣言もないのに、苛烈な真夏が来た。昨日15日、未明の4時59分の一番太鼓を合図に博多の街を次々と「追い山」が走り抜けた日、太宰府は35.7度の猛暑日になった。
 この夜、13匹のセミが誕生、7月2日以来合計62匹。
 昼間の
   「ワーシワシワシワシ!」(クマゼミ)
   「ジリジリジリジリ!」(アブラゼミ)
 明け方と夕方の
   「カナカナカナカナ!」(ヒグラシ)
 庭は姦しいセミ達の競演である。蟋蟀庵・八朔産院の繁忙は、まだ道半ばである。
                       (2017年7月:写真:セミの集団羽化)

雨、無情!

2017年07月12日 | 季節の便り・虫篇

 夜半、激しい雨が軒を叩いた。うつつに浅い眠りの中で雨音を聴きながら、心に掛かる不安を感じていた。

 梅雨半ばに北部九州を襲った豪雨は、朝倉市、東峰村、日田市を流木と泥土で覆い尽くし、既に死者25人、行方不明22人。JR久大線の鉄橋が落ち、復旧には3年かかるという。連日、新聞やテレビが伝える惨状に言葉がない。
 娘や孫達と通い慣れた「小石原焼き」の陶芸の里も道路はずたずたに寸断され、破壊された窯元が幾つもある。筑紫野から朝倉市に向かう通称「サンパチロク」の386号線・朝倉街道も、果物の里・杷木への道を寸断され、原鶴温泉への道も断ち切られた。原鶴、由布院、別府などの温泉もキャンセルが相次ぎ、熊本地震の被害からようやく立ち直りつつある観光地を再び試練が襲っている。

 既に1週間、断続する雨の中で、自衛隊や消防団により必死の復旧・救援活動が続けられているが、依然1400人近い避難者が不安な日々を送っている。
 梅雨はまだ終わっていない。堆積した倒木や泥土、緩んだ地盤……梅雨末期の豪雨が再び襲ったとき、被災地はいったいどうなるのだろう?自然の猛威の前には、人はあまりにも無力である。

 一強の驕りをほしいままにしてお手盛り政策を重ね、安易に愚かな大臣を任命して失言と醜態をさらして支持率を急落させ、追及を恐れて外遊に逃げたみっともない宰相が、今日被災地を見舞うという。来なくていい、お前さんの視察など屁のツッパリにもならない。また、仲良しの土木屋に復旧工事を回せと、「忖度」を強いるぐらいが関の山だろう。

 人ばかりでなく、小さな生き物たちにも例年にない異常が生じている。7月10日現在の蝉の羽化数は、一昨年8匹(最終7月30日で128匹)、昨年68匹(最終7月26で115匹)、今年は11匹。最終的に何匹になるのだろう?気まぐれな自然の営みである。
 昨夜も雨の中を10匹が羽化したが、雨に叩かれて3匹が羽化の途中で地面に落ち、無情にも蟻に曳かれていた。今年、既に5匹目の犠牲である。これほどの犠牲は今までになかった。

 この写真に見るように、背中が割れて大きく仰け反るように身を乗り出し、起きあがって殻に前足で掴まろうとする時が、不安定な姿勢になる最も危険な瞬間である。そこを雨に叩かれて落下すれば、もう羽が延びることもなく、地面を這いずりながら、やがて群がる蟻の餌となってしまう。
 何も雨降りの夜に出てこなくてもいいのに、と思う。6年も7年も地中で過ごし、ようやく羽化の時を迎えたというのに……時が満ちれば躊躇うことなく地上に向かう本能、蝉の体内時計に雨を予測する機能はないのだろうか。
 亡骸は蟻に曳かれて、次の蟻の命に繋がっていく……そう自分を慰めながらも、やはりまだ足掻きながら蟻に群がられている無残な姿を見るのはつらかった。

 薄日が差し始めた朝の湿った空気の中で、さりげなく朝顔が咲いていた。傍らには昨夜大輪の花を咲かせた夕顔が2輪萎んでいる。
 湿度81%の空気が肌にねっとりと纏わりつき、今日もシンドイ一日になりそうだ。
                   (2017年7月:写真:羽化の危険な瞬間)

アブラ1号

2017年07月06日 | 季節の便り・虫篇

 いきなりガラ携がけたたましい警報を鳴らした。「大雨特別警報」である。何事かと思った。梅雨前線に暖かく湿った空気が流れ込み、次々に積乱雲を発生させる「線上降雨帯」という耳慣れない言葉が耳に飛び込んでくる。わが町太宰府のすぐ南、朝倉市、久留米市、日田市などで記録的豪雨をもたらしているという。お気に入りの「飛び鉋」の陶器を買いに通う小石原(東峰村)は、道路寸断して孤立状態という。
 利根川(坂東太郎)・吉野川(四国三郎)とともに日本三大暴れ川のひとつ、といわれる九州地方最大の河川・筑後川(筑紫次郎)が危ない。隣りの筑紫野市も「大雨特別警報」の対象となった。
 しかし…しかしである。太宰府は時たま小雨が降るばかりで、吹く風もそよ風。次々に惨禍が拡がるニュースをよそに、ほんの数キロの差で一線を引いたように、太宰府以北の福岡地区は平穏無事だった。

 緊迫感をどこ吹く風というように、のどかに3輪の月下美人が咲いた。沖縄から持ち帰って40年余の鉢から2輪、カリフォルニアの二女の家から一枚の葉を持ち帰って育てた5年目の鉢で1輪、月下美人にも微妙な時差ボケが残るのか、色と咲く時間を少しずらしながら、馥郁とした香りを部屋中に広げていった。あと2輪は明日の夜になる。30近い蕾から自然摘花を経て、結局生き残ったのは5輪だけだった。

 一夜明けた午後、アブラゼミの初鳴きを聴いた。ニイニイゼミの7月2日に4日遅れ、そして去年より3日早い7月6日の初鳴きだった。声の近さに、ハッと思い当たって八朔の葉先を覗いた。あったあった、雨に濡れた葉先にしがみつく一個の空蝉、声の主は此処で誕生した今年のアブラ1号だった。
 昨年、6月29日にいち早く初鳴きしたヒグラシは、まだ声が届いてこない。

 空蝉の側の枝に、ちょっと厄介なお客がいた。黒地に白い斑点を散らしたゴマダラカミキリである。見た目は小粋な奴だが、庭木にとっては厄介な害虫で、葉や若い枝の瑞々しい幹をかじっているうちはいいが、交尾を終えたメスは生木の樹皮を大顎で傷つけて産卵し、幼虫は生木の材部を食害し成長、やがて幹の内部を下って、根株の内部を食い荒らす。食い荒らされると直径1cm~2cmほどの坑道ができ、木の強度が弱くなって折れやすくなり、成長不良に陥って枯死することもある。柑橘類が特に好まれるから、八朔にとっては好ましくないお客なのだ。
 亡くなった父も、出入りの植木屋さんも「すぐ殺せ!」という厄介者だが、それを殺せないのが「昆虫少年のなれの果て」の悲しさ(自分では優しさと思っているのだが)、ご近所の空き家の庭に持って行って放してやった。
 昔、父に「殺せ!」といわれて殺せずに叱られたカミさんが、懐かしそうにその日のことを話している。
 ブログを書く途中、もう一度見に行ったら、また1匹いる!さっき放した奴が早々と帰って来たのか、こころなし小振りに見えるから別の1匹なのか……またまた空家に運んで行く羽目になった。

 慌て者のニイニイゼミ(♂)は数日懸命に鳴き続けていたが、伴侶が見付からないまま雨の中に短い生涯を終えたのか、もう声を聴くことが出来ない。何年も地中で過ごし(アブラゼミは6年といわれる)、羽化してからは呆気なく生涯を終える。78年生きてきた我が身が、ふと愛おしく思える季節である。
 今日の文学講座で、印象的な言葉があった。「人間と動物の違いは、人間だけがイマジネーション(想像)を持つことが出来る。動物は、生きて行くための最低限の行動しかとらない。食欲然り、性欲然り。動物は発情期のみの交尾しかしない。いわば過剰なその部分が、人間の人間たる所以である」と。
 
 その過剰な食欲にそそのかされて「美味しいものを食べたい!」と、講座仲間と和懐石のお昼を食べて帰ってきた。
 うん、やっぱり人間の方がいい。
                (2017年7月:写真:今年のアブラゼミ1号の抜け殻)

<追記> 夕方、八朔の根方にもう一つの抜け殻を見つけた。こちらがアブラ1号だったのかもしれない。そしてもう一つ、羽化の途中で雨に叩き落されたのだろうか、背中が半ば割れて蟻に群がられている幼虫の亡骸があった。時として、自然は非情でもある。
  

夏の足音

2017年07月02日 | つれづれに

 渡りの途中だったのだろうか、数日、石穴稲荷の杜で「キョロロロロロ♪」と尻下がりの綺麗な囀りを聴かせていたアカショウビンが北に旅立った。もう15年ほど昔、「古事記」の故郷を訪ねる旅の途中、霧島高原で聴いた。翡翠色のカワセミ、地味なヤマセミ、そして赤褐色の羽毛に真っ赤な嘴を持ったアカショウビン…いずれも森林に棲みつくカワセミの仲間である。飛んだ時に腰の水色がよく目立つというが、まだその姿を見たことはない。それに、この太宰府で聴いたのは初めてだった。

 雨の匂いが濃くなり、庭のアマガエルが静かになった。もう雨呼びをしなくてもいいということだろう。
 時折日差しがこぼれる下を日田に走った。週末の大分道も、観光端境期の今は車も少なく、小一時間で日田市民会館(パトリア日田)に着いた。開館10周年記念に催された「坂東玉三郎舞踊公演」、1008席をほぼ満席にする二日間公園の初日である。
 冬の酷寒、夏の酷暑…県内最低と最高でニュースに登場することの多い気候が育んだ日田杉や檜をふんだんに使った美しい大ホール「やまびこ」だった。

 ちょっと寄り道して「道の駅」で野菜を買い込み、帰り着いた太宰府は34.2度!7月の声を待っていたように、駆け足で夏が走り込んで来た。今年の足音は、一段と荒々しい。まだまだ夏はこれからが本番というのに……(溜息)。

 一夜明けた今朝、今年初めて玄関先でニイニイセミが羽化し、強い日差しの中で初鳴きを聴かせてくれた。昨年は6月29日にヒグラシが羽化し、初鳴きを聴かせてくれた。今年は、まだヒグラシの声が聴こえてこない。その年ごとの微妙な天候が、こんな変化を見せてくれる。
 今年も懐中電灯を手に、八朔の下で羽化を数える季節がやって来た。毎朝回収していた抜け殻(空蝉)を、今年は回収せずに枝に残してみようと思う。100匹を越す抜け殻が八朔に鈴生りになる……これを気持ち悪いと感じるか、楽しいと感じるか、人それぞれでいい。
 いずれにしろ、今年の八朔は裏作、実は皆無に近い。ひと夏、この1本の八朔は、セミ達の誕生の褥、そしてアゲハチョウやクロアゲハを育てる揺り籠となる。

 東京都議選の速報が始まった。都民ファーストの大勝と自民党の過去最低を下回る大敗。当然の結果だろう。傲慢不遜な宰相のもとに集った愚かな大臣たちが、自らの足を引っ張って自滅したに過ぎない。
 彼らに走り迫る夏の足音は、最早荒々しささえ過ぎて、まるで大鉈を振りかざして殴り込むような勢いである。しかし、それを悔いて身を改める期待は、もう彼らに持つべくもない。怒りが諦めに代わった時、人はどう行動すればいいのだろう。

 藤井聡太四段の連勝記録が、今夜29勝で途切れた。此処にも波乱がある。それもいい。若者は、挫折の度に更に強くなる。一強が過ぎたら、ろくなことはない。それは、国会が反面教師として毎日見せつけてくれている。
 その政界と違うのは、将棋界には藤井君に対抗できる強力なライバルが何人もいるということ……見え透いた嘘や強弁が入り込む余地がない真剣な切磋琢磨が、きっとまた私達に楽しい夢を見せてくれることだろう。

 さて八朔の下に、夏の足音を聴きに行ってみよう。
              (2017年7月:写真:アカショウビン ネットから借用)