蟋蟀庵便り

山野草、旅、昆虫、日常のつれづれなどに関するミニエッセイ。

古都、幻想

2013年09月22日 | つれづれに

 観世音寺の深い木立の向こうに、木々に刻まれながらオレンジ色の立待月が昇った。足元に広がる灯し火の列を、楽しそうな声を伴いながら子供たちの影がよぎっていく。

 33度近い乾いた残暑に消耗したエネルギーを佐賀牛のステーキで補って、診察時間を過ぎた行きつけのクリニックの駐車場に車を置き、夜の散策に出た。
 「<古都の光>観に行く?行くならビール飲まないけど?」そんな夫婦の会話から、久し振りの夕飯後の散策となった。
 「第8回 太宰府 古都の光――むかしの光、いまの光」その第1部は、「大宰府政庁、観世音寺、戒壇院、水城跡」を1万個の灯明で繋ぎ、幻想の世界を繰り広げる。第2部の「九州国立博物館、太宰府天満宮、門前町周辺」は何度も歩いたが、観世音寺界隈の「古都の光」は初めての訪問だった。
 市役所前から県道76号線沿いの灯明は、行きかう車のヘッドライトと街路灯に阻まれて薄暗く儚い風情だが、右に折れて観世音寺の参道にはいった途端、一気に幽玄の光の川となった。天を覆う深い木立の間の参道を辿り、500円の提灯を提げてライトアップされた観世音寺の石段を上がった。振り向けば、灯明で描かれた「光」の文字と、五輪マークの下に「2020」の年号が浮かび上がる。

 人の顔も仄かにしか窺えない薄明かりの中で、思いがけない出会いがあった。家内の声と私の白髪頭で気が付いたという。この町内に住むYさんである。
 不思議な縁が縺れるように繋がる友人…そもそもは37年前、沖縄に赴任するに際して、留守宅を社宅として同僚に託した、その彼の義姉。区長時代に、ある子供の心臓移植手術を支援する活動で我が家に訪ねて来られて再会。九州博物館環境ボランティア活動で、NPO法人文化財保存活用支援センターで文化財の清掃を担当されていた彼女と三度目の邂逅。この頃までは、会えばご挨拶するだけのお付き合いだった。
 家内の親しい知人たちと幾人もの縁があって、家内が主宰する「たまには歌舞伎を観よう会」の会員に参加されて、一気に我が家とのご縁が深まった。300坪の畑で丹精込めて育てたナス、キュウリ、トマト、タマネギ、ピーマン、ウリ、イチジク、更に自家製の梅干し、奈良漬、味噌と、次々にいただくありがたい友人となった。
 そして、家内の恩人でもある。梅雨時の家内の入院中、不味い病院食で回復しない食欲を救ってくれたのが、届けていただいた瑞々しいトマトとキュウリの差し入れだった。

 観世音寺から、裏の日吉神社(Yさんご夫妻は、ここの氏子でもある)に足を伸ばした。薄闇の中で市長と副市長と擦れ違い、挨拶を交わす。素朴な鳥居の下を細い参道が伸び、その向こうに70段ほどの急な石段が本殿に続く。暗闇の中に連なる灯明の列が、一段と幻想的な佇まいである。色とりどりの光のページェントが流行りだが、やはり蝋燭だけの暖かな燈火の列の方が優しさがあっていい。 

 Yさんの畑まで案内していただき、その後大宰府政庁まで、二つの提灯と月明かりに足元を照らされながら辿る道筋、家内とYさんのお喋りが弾んだ。
あちこちから「……ちゃん」と、Yさんに声が掛かる。町から此処の旧家に嫁ぎ、子育てしながら舅姑に仕え、慣れない畑仕事やしきたりを覚え、町内や氏子の付き合いに馴染んで名前で呼ばれるまでには、きっと大変なご苦労もあっただろうに、すっかり地域に溶け込んだ姿が見事なまでに自然体だった。
 京城(ソウル)に生まれ、平壌(ピョンヤン)、大阪(豊中)、再び京城、終戦で引き揚げて神奈川(足柄上郡山北町)、福岡(箱崎、桝木屋、伊崎浦、平和町)、結婚して名古屋、福岡(太宰府)、沖縄(豊見城)、福岡(太宰府)、長崎(諫早)、福岡(太宰府)、広島と転々として、リタイア後、漸くここ太宰府を終(つい)の棲家とした。そんな流れ者の私にとって、由緒ある土地にしっかりと根を下ろして溶け込んでいる姿は、もう手の届かない世界である。

 政庁跡に天の川のように流れ拡がる光の幻想に浸り、高く昇った立待月の月明かりの下を、3人で家路についた。少し涼しくなった夜風が、汗に濡れた肌に心地よかった。
 彼岸過ぎれば、いよいよ本格的な秋の深まりである。
               (2013年9月:写真:日吉神社参道の幻想)

逝く夏に寄せて

2013年09月07日 | つれづれに

 非情なまでに暴虐とも言いたい炎熱の日々を重ね続けた猛暑が、1週間の豪雨のあと、呆気ないほどに潔く秋にその座を譲った。朝の水シャワーがもう肌に冷たい。
 
 今年初めて訪れたオハグロトンボが、犬走り添いに家を巻いて垣根のラカンマキの上に過ぎた。潤った木々の緑が一段と鮮やかになった。その木立の間に、朝露を宿した蜘蛛の巣が美しい幾何学模様を繰り延べた。

   わが背子が 来べき宵なり ささがにの
         蜘蛛のふるまひ かねてしるしも 
             (衣通姫の、一人ゐて帝を恋ひたてまつりて)

 衣通姫(そとほりひめ)は、第19代允恭天皇に召された女性で、その肌の美しさが衣を通して表れるほどであったことから、そう呼ばれたという。
 「愛しい人がおいでになる筈の今宵です。さながらその訪れを予告するように、蜘蛛の振る舞いが著しくなりました。」 

 いつも身近にいる蜘蛛。
 時に、顔にしつこく絡む蜘蛛の巣を払いながら辿る朝の山道。
 餌があるとも思えないのに、部屋の片隅や壁を跳び歩いているハエトリグモ。
 夕餉の食卓に糸を引いて下がってくる小蜘蛛。
 払っても払っても、一夜にして見事にネットを広げるド派手な女郎蜘蛛。
 庭石の側面に長い袋を提げるフクログモ。

 「…去年の秋、江上の破屋に蜘の古巣をはらひて、やゝ年も暮、春立てる霞の空に白川の関こえんと…」芭蕉は「奥の細道」への漂泊の旅に出た。

 ネイティブ・アメリカンのオジブワ族は、「悪夢は蜘蛛の巣の網目に引っかかって夜明けと共に消え去り、良い夢だけが網目から羽を伝わって降りてきて、眠っている人のもとに入る」として、ドリーム・キャッチャーというお守りを作った。円形の蜘蛛の巣をかたどり、インディアン・ジュエリーと鳥の羽をあしらい、枕元に下げておくと悪い夢を見ないという。繰り返し訪れるアメリカの喜ばれるお土産は、このドリーム・キャッチャーと、同じくホピ族の精霊・ココぺり(豊穣と子宝の神)に定着した。

 白露を迎え、もう朝の蝉の声も途絶えた。1週間の雨で逞しく生い茂り始めた雑草を、心地よい早朝の風の中で掻き採った。今日も傍らでハンミョウが色鮮やかに飛び遊んでいる。もうこの庭で何世代を重ねたのだろう。
 プランターのパセリを旺盛に蚕食しながら、6頭のキアゲハの幼虫が元気に育っている。

 気が付けば、庭の片隅のあちこちに白い彼岸花の芽が一夜で立ち始めていた。畦道に咲く真っ赤な彼岸花の群落は、遠目には美しい秋の風物詩だが、近くに見ると些か毒々しい。気持ちの片隅に、墓地で咲くこの花の記憶が強烈に残るせいでもあろう。やはり、白い……というより、やや生成りがかった優しい花穂が木陰に咲く風情がいい。

 哀れ蚊の痛烈な痒みに耐えながら、スッキリ綺麗になった庭を眺めて、爽やかな秋風に身体を染めていた。

 ひっそりと、雨が来た。
                   (2013年9月:写真:木立の中の芸術)