軽やかなキツツキのドラミングが次第に近づいてくる。瑞々しい新緑の林の奥、枯れ草にシートを敷いて、火照った身体を緑の風に弄らせていた。時折雲が切れて、柔らかな日差しが枯葉の上に木漏れ日を落とす。シジュウカラやホトトギスの囀りが一層の静寂を演出して、久住・飯田高原・長者原自然研究路道半ばの至福の昼下がりだった。コンビニお握りと漬物だけのささやかな昼餉が、三ツ星レストランの豪華なランチよりも遥かに美味しく感じられる。
1年振りの高原一人走りだった。カミさんが、好きな歌舞伎を観に数年振りに一人で上京した。七世尾上梅幸二十三回忌、十七世市村羽左衛門十七回忌「團菊祭五月大歌舞伎」、まだ躊躇うのを一歩前向きに押し出すために「マイレージが一人分残ってるから、思い切って行っておいで」と送り出した。1泊2日、幸い夜の部で親しい歌舞伎仲間と合流する。気配りが行き届く仲間だから、きっとエスコートしてくれて、夜遅くまで歌舞伎談義が弾むことだろう。
空港に送り、手荷物検査場にはいるところまで確かめて帰り、やり残していた仏間の障子4面を張り替えた。肩と腰の心地よい凝りに爆睡。
翌朝、9時にザックと愛用のLEKIのトレッキング・ポール、カメラと交換レンズ、何故かバスタオルを積んで走り出た。筑紫野ICから九州道、鳥栖JCTから大分道に乗り玖珠ICに走る。一般道に降りて馴染みのコンビニに寄り、梅握りと日高昆布握り、浅漬けの漬物、お茶を買う。もう恒例になった立ち寄りだが、レジ二人がちゃんと日本語を話す金髪の西洋人だったのは驚きだった。大学もないこんな田舎町なのに……。
四季彩ロードを一気に駆け上がり、ふと気になって泉水山の裾の小さな路肩の窪地に車を停めた。4月半ばには、一面黄色の絨毯を敷き詰めたようになるキスミレの群生地である。この時期、さすがにもう無理だろうと思いながら斜面を登ると、あちらこちら野焼きの跡も薄れつつある中に、思いもかけずキスミレが咲き残っていた!諦めていたのに、自然からの贈り物……「待っていてくれたんだネ!」
膝が黒くなるのも厭わずに、蹲ってシャッターを落とした。ワラビも立っていたが、これは採り始めると際限がない。敢えて背を向けて車に戻った。泉水山の裾を抜けて右折すると、眼前に三俣山、硫黄山、星生山の稜線が、のし掛かるようにせり上がってくる。この辺りで空いっぱいに雲が広がって、初夏の日差しが消えた。この山は、この時期やはり紺碧の青空がよく似合う。
長者原ビジターセンター脇の駐車場に車を置き、タデ原湿原の木道に立った。一周2.5キロの自然研究路の入り口、硫黄臭のする小川に掛かる橋の袂には、まだ山藤がたわわに花穂を残していた。木道に原色の一団がいる。こんな所にまで、新品のトレッキングポールを持ちカラーサングラスを掛けたアジア人、その姦しさに辟易しながら、逃げるように木道を進んだ。
ハルリンドウの群落がある、ニホンサクラソウの可憐な花がある、キンポウゲが群れ咲く。樹林にはいる手前の草陰に、チゴユリが隠れるようにうな垂れていた。ミツバツチグリの黄色も可憐だった。また這いつくばってカメラを向ける。
樹林の遊歩道にはいると人影もなくなり、人声も聞こえなくなった。少し木立の深みに身を隠して、握り飯のお昼を食べることにした。BGMは小鳥の囀りとキツツキのドラミング。「タラララララララ!」というアップテンポなリズムに、食欲も弾む。食べ終わり、シートに横たわって新緑の森林浴をほしいままにしながら、至福の陶酔に浸っていた。
木立の中の木道を辿り終って車に戻り、牧の戸峠を越え、瀬の本から黒川温泉に下り、いつものようにファームロードWAITAを駆け降りる。熊本地震以来で心配していたが、立ち寄り露天風呂「豊礼の湯」は変わりなくそこにあった。1年前、やはり一人走りで男池(おいけ)の山野草を訪ね歩いた後に此処に寄って、その2日後に熊本を激震が襲ったのだった。
1200円で50分間掛け流の贅沢を独り占めし、目の前の湧蓋山のなだらかな稜線を見ながら湯に沈んだ。ここ数日酷使した腰や腕や脚に、ねっとりとまつわりつく白濁の湯に、ふう~ッと満ち足りた吐息をつきながら癒されていた。
走行距離257キロ。その夜帰ってきたカミさんの飛行機がANA267便。あと10キロ走ってくれば符牒が合ったのに、惜しかった!免許証返納の先延ばしに自信を持った、お気楽なシニアドライバーの拘りである。
(2017年5月:写真:タデ原湿原の山野草と自然研究路の木漏れ日)