2週間前には目を凝らして探した新芽の滴が、一気に萌え上がっていた。やはり此処まで来たら外すわけにはいかない男池の散策路。黒岳(1586m)の登山口、「あそくじゅう国立公園」の一角、由布院庄内町阿蘇野川の源流のひとつ、標高850mの水源からは一日2万トンという湧水が溢れ下る。名水百選に選ばれ、湧水の畔にはクレソンの群落が拡がる。
野の花の花時は短い。あれほど咲き誇っていたアズマイチゲやユキワリイチゲは既に跡形もなく消えていた。木立の根方に、小人のボタンのようなヤマルリソウ、冬の夜のラーメン屋台のチャルメラのようなチャルメルソウ、ハルトラノオが僅かに残り、新緑の下で淡い青紫色のヤマエンゴサクが今を盛りと咲いていた。マムシグサがいくつも立ち、誰に踏まれたのかホソバノアマナが倒れ伏していた。バイケイソウが丈を伸ばし、キツネノカミソリが一段と盛んに繁っている。原生林の新緑の木立は、溜息が出るほど初々しく美しかった。
早々に車を出し、湯平経由湯布院に向かう。
女性誌が火を着けたブームで開発が進み、由布院の街中は平日の今日も場末の原宿のような観光客の雑踏である。町興しを失敗した一例だろう、かつての鄙びた温泉地の風情は失われ、もう歩く気にもなれない。道を逸れて山肌を5分ほど登った行き止まり近くに潜む、木漏れ日レストランM。そのネーミングの由来となった髭のマスターが、溢れるような笑顔で迎えてくれた。
石焼パンとピザの窯を若い女棟梁が築いていたときに来て以来だから、およそ2年振りである。此処には街中のざわめきはなく、木立に包まれてクラシック音楽だけが流れる静寂がある。マスターと奥様と娘さん、家族だけで営むその温もりに浸りたくて、時には山歩きの折りに泊めていただくこともある。最後の客を送り出した後アルコールランプの仄かな灯りの中で泡盛の古酒を飲みながら、マスターを交えて夜の耽るのを忘れたこともある。
待望の石窯焼きのピザに舌鼓を打った。自家製の厚いベーコンをふんだんに刻み込み、焼き塩を振りかけて食べるオリジナルのヨーグルト味のピザは絶品だった。
束の間のランチで溜まり始めた軽い疲れを癒し、今回の山旅の終わりを飾ることを期待して車に戻った。
由布院盆地を抜け、やまなみハイウエーを由布岳登山道方面に向かい、狭霧台(680m)を越えて間もなく、離合も難しいほどの細い雨乞林道に急角度で回り込む。右下には由布院盆地が怖いほどの深さで沈み、登ってきた九十九折りの車道が山肌を刻む。数分登ると、倉木山(1160m)の中腹の小さな谷間の斜面に、見事なお花畑が広がっていた。2台停めたらいっぱいになる小さな空き地に車を置いて、小道を辿る。
斜面一面にひと握りずつのエヒメアヤメが群れ咲き、風に揺れていた。圧巻だった。その間に見付けた、バイカイカリソウの小さなランタン!蹲り、10センチの距離からマクロのファインダーに捉えた姿の、なんという可憐さ。夢中になってシャッターを切り続けた。
谷に降りると、イチリンソウが群れ咲き、五弁の花びらに桜花状の切込みを入れて小さな雄蕊を振り立てるワダソウが揺れる。愛好家の女性たちが狭い林道に車を連ねてやってきた。谷筋に響く嬌声がちょっとうるさい。
瞬く間に時が過ぎた。楽しい時間は、いつも駆け足である。その惜しむ時間が、旅の醍醐味でもあるのだろう。旅の最後を飾った山野草の競演に名残りを惜しみつつ、由布院ICから大分道に乗り、夕日に向かって家路についた。
(2014年4月:写真:ヤマルリソウ)