蟋蟀庵便り

山野草、旅、昆虫、日常のつれづれなどに関するミニエッセイ。

高原の初夏~その2

2014年04月27日 | 季節の便り・花篇

 2週間前には目を凝らして探した新芽の滴が、一気に萌え上がっていた。やはり此処まで来たら外すわけにはいかない男池の散策路。黒岳(1586m)の登山口、「あそくじゅう国立公園」の一角、由布院庄内町阿蘇野川の源流のひとつ、標高850mの水源からは一日2万トンという湧水が溢れ下る。名水百選に選ばれ、湧水の畔にはクレソンの群落が拡がる。
 野の花の花時は短い。あれほど咲き誇っていたアズマイチゲやユキワリイチゲは既に跡形もなく消えていた。木立の根方に、小人のボタンのようなヤマルリソウ、冬の夜のラーメン屋台のチャルメラのようなチャルメルソウ、ハルトラノオが僅かに残り、新緑の下で淡い青紫色のヤマエンゴサクが今を盛りと咲いていた。マムシグサがいくつも立ち、誰に踏まれたのかホソバノアマナが倒れ伏していた。バイケイソウが丈を伸ばし、キツネノカミソリが一段と盛んに繁っている。原生林の新緑の木立は、溜息が出るほど初々しく美しかった。

 早々に車を出し、湯平経由湯布院に向かう。
 女性誌が火を着けたブームで開発が進み、由布院の街中は平日の今日も場末の原宿のような観光客の雑踏である。町興しを失敗した一例だろう、かつての鄙びた温泉地の風情は失われ、もう歩く気にもなれない。道を逸れて山肌を5分ほど登った行き止まり近くに潜む、木漏れ日レストランM。そのネーミングの由来となった髭のマスターが、溢れるような笑顔で迎えてくれた。
 石焼パンとピザの窯を若い女棟梁が築いていたときに来て以来だから、およそ2年振りである。此処には街中のざわめきはなく、木立に包まれてクラシック音楽だけが流れる静寂がある。マスターと奥様と娘さん、家族だけで営むその温もりに浸りたくて、時には山歩きの折りに泊めていただくこともある。最後の客を送り出した後アルコールランプの仄かな灯りの中で泡盛の古酒を飲みながら、マスターを交えて夜の耽るのを忘れたこともある。
 待望の石窯焼きのピザに舌鼓を打った。自家製の厚いベーコンをふんだんに刻み込み、焼き塩を振りかけて食べるオリジナルのヨーグルト味のピザは絶品だった。
 束の間のランチで溜まり始めた軽い疲れを癒し、今回の山旅の終わりを飾ることを期待して車に戻った。

 由布院盆地を抜け、やまなみハイウエーを由布岳登山道方面に向かい、狭霧台(680m)を越えて間もなく、離合も難しいほどの細い雨乞林道に急角度で回り込む。右下には由布院盆地が怖いほどの深さで沈み、登ってきた九十九折りの車道が山肌を刻む。数分登ると、倉木山(1160m)の中腹の小さな谷間の斜面に、見事なお花畑が広がっていた。2台停めたらいっぱいになる小さな空き地に車を置いて、小道を辿る。
 斜面一面にひと握りずつのエヒメアヤメが群れ咲き、風に揺れていた。圧巻だった。その間に見付けた、バイカイカリソウの小さなランタン!蹲り、10センチの距離からマクロのファインダーに捉えた姿の、なんという可憐さ。夢中になってシャッターを切り続けた。
 谷に降りると、イチリンソウが群れ咲き、五弁の花びらに桜花状の切込みを入れて小さな雄蕊を振り立てるワダソウが揺れる。愛好家の女性たちが狭い林道に車を連ねてやってきた。谷筋に響く嬌声がちょっとうるさい。

 瞬く間に時が過ぎた。楽しい時間は、いつも駆け足である。その惜しむ時間が、旅の醍醐味でもあるのだろう。旅の最後を飾った山野草の競演に名残りを惜しみつつ、由布院ICから大分道に乗り、夕日に向かって家路についた。
                (2014年4月:写真:ヤマルリソウ)

高原の初夏~その1

2014年04月27日 | 季節の便り・花篇

 まだ枯れ草が残る山肌で、小指の爪ほどの白いランタンが初夏の風に揺れていた。身を屈めて目を凝らさないと見付からないほど小さく可憐な山野草の中でも、ひときわ心惹かれるバイカイカリソウ(梅花碇草)である。周りには、丈が低く小振りなエヒメアヤメとイチリンソウの群落。二日間の山野草探訪の旅が、眩しいほどの日差しの中で終わろうとしていた。

 山仲間のN夫妻と4人、久し振りの高原ドライブだった。お互いに夫々身体に障りが出て、なかなか実現しなかった4人の山野草巡りである。
 九重(ここのえ)ICで大分道を降り、萌え立つ新緑に染まりながら、十三曲りの羊腸を飯田高原に駆け上がり、崩平山(1288m)の中腹にあるE山荘を訪ねた。留守宅を守るご主人の手作りのケーキと珈琲をいただきながら、持参したサンドイッチでランチを摂る。
 野趣に満ちた広大な敷地の中は、いつ来ても山野草溢れる山庭である。この日も、ヤマシャクヤク、ニリンソウ、ヤマルリソウ、ヒトリシズカ、クマガイソウなどが迎えてくれた。初めて見る北米原産の黄花カタクリにカメラを向ける傍らの梢で、ヤマガラがしきりに囀る。ご主人に餌付けされてすっかり慣れきっているものの、やはり私たちはまだ警戒の対象らしい。
 テラスから木立の間に見はるかす九重連山が、雲一つない青空の下で今日も癒しの風景を繰り広げてくれた。

 長者原から湯坪温泉に下る。途中、いつも一面のキスミレの絨毯を見せてくれる山肌は、4週間続いた週末の雨で野焼きが遅れ、まだ枯れ草に覆われたままだった。今週末も雨の予報である。既にクヌギも芽を吹き始めているというのに、野焼きはいつになったら出来るのだろう。焼かないと山が荒れる。いつもなら真っ黒な地肌を見せる泉水山の山肌も、まだ枯れ草色のままである。
 車道の脇の僅かな隙間に、待ちきれなくなったキスミレの群生があった。野焼きの煤を浴びていない見事な黄色が、午後の日差しに眩しかった。爪ほどに小さく美しいスミレなのに、写真に撮って人に見せると、いつもパンジーと間違えられてしまうのが悔しい。やはり野の花は写真や鉢植えではなく、野に置いてこそ美しさが輝く。一面の群生も悪くはないが、目を凝らして探し、たった一輪の花を見付けた時の感動の方が遥かに大きいように思う。

 泉水山(1447m)と湧蓋山(1500m)の谷合い、玖珠川の小さなせせらぎに沿って数多くの民宿が並ぶ鄙びた温泉地・湯坪、その一番奥まった畑地の間の斜面にひっそりと建つ馴染みの民宿K館。芝が敷き詰められた山庭の真ん中に新芽萌える欅の大木が立ち、和洋さまざまな花が一面に咲き誇っている。その中に混じる山野草を探して、カメラ片手に蹲り、這いずり回る楽しみな時間が待っていた。
 イカリソウ、ヒゴイカリソウ、キスミレ、イチリンソウ、ニホンサクラソウ、ジロボウエンゴサク。玄関に続く取り付きの道端の木陰に、咲き終わったカタクリと黄花カタクリ、キケマンが隠れている。
 芝生の上にシートを拡げ、持参したワインを抜く。宮崎地鶏の焼き鳥とチーズを肴に、青空をバックに新緑の欅の梢を見上げながら、他愛ない会話を楽しんで時が過ぎた。温泉に浸った後、「此処まで来れるほど、元気になったね!」と、お互いの健康をいたわり確かめながら、夕暮れの迫る食堂で長い長い歓談の夕飯が続いた。

 夜空には、既にオリオン座も冬の大三角もない。季節は紛れもなく初夏に向かっているのに、870mの山宿の夜は、まだ毛布にくるまるほどの冷え込みだった。限りない静寂の中に、夜が更けていった。
               (2014年4月:写真:バイカイカリソウ)

風に舞う

2014年04月15日 | 季節の便り・虫篇

 朝の最低気温6.5度、午後の最高気温24.7度!

 18.2度の落差に、どう対応していいのか……戸惑う身体に鞭打つように、レンズ2本とカメラを担いで89段の階段を上がって、博物館脇の散策路に出た。汗ばむ程度を通り越して、此処まで辿るだけで全身汗みずくである。新緑に薫る風が、たまらなく心地よい。

 二つの目的があった。昨日、特別展「近衛家の国宝」開会式を抜け出して、四阿の傍の木陰に2週間振りで再びタテハモドキを見付けた。もう迷蝶ではなく、紛れもなく此処に生息圏を拡げていることをカメラで確認すること。そして、そろそろ「野うさぎの広場」に続く散策路に、ハルリンドウが咲く頃である……その予感を確かめること。
 翅のある蝶を追うには、接写機能付き300ミリの望遠が要る。ハルリンドウを撮るには、マクロレンズが要る。カメラを担ぎ、交換レンズとペットボトルの水をポーチに収めて提げると、その重みが首と肩にズッシリと來る。しかし、期待が大きいから、その重みさえも苦にならない。
 すっかりお馴染みになったハンミョウの七色の煌めきに導かれながら四阿の辺りに歩み寄ったとき、一匹の白い蝶が風に舞った。あの素早い飛翔はモンシロチョウではない。俄かに高まる鼓動を抑えながら、痛めた膝を庇いつつ足早に追った。
 飛ぶ飛ぶ、あのか細い身体で、どうしてこんなに長い時間飛び続けることが出来るのだろう。ひたすら行きつ戻りつ、木道と湿地の中の小道を小走りに追い続けた。10分ほど追っただろうか、ようやく葉末に翅を休めたところで、立て続けにシャッターを落とした。昨年10月に出会って以来のイシガケチョウだった。おぼろ昆布のような羽紋が可愛い。
 丁度半年前のあの日、予期しない邂逅にカメラもなく、ケイタイのカメラ(スマホでなく、いまだにこだわりのガラケイである。呵呵)では如何ともしがたく、涙を呑んでブログの写真はネットから借用した。漸く自分でカメラに捉えた、貴重な1枚だった。

 「野うさぎの広場」と、そこに続く木漏れ日の小道は、足の踏み場に迷うほどのハルリンドウの群生だった。昨日の雨で一斉に咲き始めたのだろう、満開はまだこれからである。来週辺りの見頃に期待して、倒木に腰を下ろして喉の渇きを癒しながら、新緑の風に吹かれてひと休みした。いつもながら、この小さな広場の木漏れ日の陰影には、ほのぼのと心が癒される。
 戻る道端で、湿地に生い茂るセリを摘んだ。2匹のイシガケチョウが縺れ飛び、キチョウがその2匹に戯れかかる。ベンチの脇で、綺麗なミヤマカワトンボとおぼしい姿をカメラにおさめ、ハンミョウの輝きも写し撮って、キチョウとヤマトシジミもとらえることが出来た。タテハモドキには出会えなかったが、よしとしよう。
 傍らの雨水調整池に生息する希少種のベニイトトンボも、間もなく真紅の目玉を煌めかせながら飛び始めることだろう。その池で、ひと番いの鴨がお尻を垂直に立てて餌を探っていた。滑稽で、少し恥ずかしく、微笑ましい営みである。

 3時間、存分に風に舞う蝶と戯れ、初夏の緑を胸いっぱいに吸って、足腰に浸みはじめた疲れを宥めながら帰途に就いた。すっかり上手になったウグイスが、澄み切った囀りを落とす。ノアザミが咲き、キンポウゲが輝き、山藤が咲き始める季節である。クスノキの新芽が、こんもりとブロッコリーのような盛り上がりを見せ、これからこの散策路は、急ぎ足で夏に向かってに走り始める。
               (2014年4月;写真:葉末に休憩うイシガケチョウ)
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春と初夏…せめぎ合う季節

2014年04月11日 | 季節の便り・花篇

 深い木立の向こうから、啄木鳥のドラミングが聞こえてくる。目を近付ければ、枝先に可愛い新芽が吹き零れているが、景色はまだ冬枯れの気配が残っていた。散策路の傍らのベンチにピクニック・シートを拡げ、コンビニのお握りと浅漬けの漬物のお弁当を開いた。駐車場脇の売店で求めた鴨のつくね焼きの串だけが、ささやかなおかずである。
 大分県飯田(はんだ)高原・長者原を過ぎてやまなみハイウエーを数分東に走り、牧場・エルランチョグランデから南に折れる。崩平(くえんひら)山を左にしばらく下ると、羊腸の山道の畔の男池(おいけ)、太宰府の自宅からおよそ2時間足らずで、この山野草の宝庫に辿り着く。

 「快気祝いを兼ねて、呼子にイカの活き作り食べに行こうか?」
 そんな話からネットで宿探しをしているうちに、熊本県小国町万願寺温泉の近くに、秘湯・扇温泉を見付けてしまった。離れの和洋室、部屋付きの檜風呂と露天岩風呂がついて、お米のお土産がつくという。宿の風情に魅せられて、イカの活き作りが吹き飛んだ。
 まっすぐ走れば2時間、お昼を食べてから走り出せば十分なのに、このところの初夏を思わせる陽気に、ふと閃くものがあって9時過ぎに家を走り出た。

 大分道を走る車窓から見る山並は少し春霞に包まれて、濃淡せめぎあう緑の色模様は、もう春というより初夏の様相である。玖珠ICで降りて、いつもの四季彩ロードを駆けあがる。泉水山の裾を巻く斜面は、例年より遅れた野焼きでまだ枯れ草に覆われ、黒い焼跡を黄色の絨毯で覆うキスミレを見るには、まだ十日ほど早い。
 九重連山の外れの黒岳の麓に、豊かな湧水を溢れさせて流れ下る辺りの木立。その下に咲く数々の山野草の姿に魅せられて、もう14年ほどになる。初めて山仲間夫妻に連れられて出逢った山野草は、実に40種を超えていた。それ以来四季折々に訪れては、接写レンズを嚙ませたカメラを片手に地面に這いつくばってきたが、その中で稀にしか出会えない、私にとっては幻の花があった。気まぐれな早春の陽気で、僅かな差で咲いていなかったり咲き終わっていたり……そんな毎年が続いていた。これまでに出逢ったのは、僅か2度だけである。

 男池の散策路に取りついてすぐに、アズマイチゲを見付けた。かつては群生していた白い花だが、その後姿が少なくなり、私が見たのは12年前の一輪に尽きていた。又復活したのだろうか、ここかしこに数輪ずつのアズマイチゲが爽やかに花開いて木漏れ日を浴びていた。小さなハルトラノオも咲いている。家内がシロバナネコノメソウを見付けた。これは、幻に出会えるかも……そんな期待を抑えながら、取り敢えずお弁当にした。
 遠くから啄木鳥のドラミングが転がってくる。木立の中を囀りながら飛び回るシジュウカラ。小鳥の声が幾種類も降ってくるが、残念ながら声で聴き分けられるほどの知識がない。

 食べ終わって、渓流沿いに少し下ったところに、あった!少し盛りを過ぎてはいたが、紛れもなくユキワリイチゲ(雪割一花)だった。淡いピンクに黄色の蕊と薄緑色の花芯、清楚にして控えめな華やかさを漂わせ、木漏れ日が似合う春の花である。
 期待を膨らませながら、緩やかな登山道……というより、樹林を縫う散策路を「かくし水」の方に辿った。あちこちに緑を生い茂らせるのは、キツネノカミソリとバイケイソウ。ユキザサはやっと葉を広げ始めたばかりで、花時にはまだまだ遠い。よくも名付けたと感心するヤブレガサ(破れ傘)が、ご愛嬌の傘のような葉を様々な角度で開き始めていた。
 10分ほど辿ったところで、あそこに一輪、此処に一輪、幻のユキワリイチゲが迎えてくれた。あの頃の群生ではない。年毎に、山野草の広がりは姿を変える。目の隅でやっとととらえる疎らな一輪一輪だからこそ、出会った時の喜びは大きいのだろう。
 帰りの散策路の外れ近くで、咲き残ったショウジョウバカマが淡い紫の花穂を振って見送ってくれた。

 満ち足りて、長者原から牧の戸峠を越えて、黒川温泉を経て万願寺に向かった。山間はまだ桜の真っ盛り。年々短くなる春と秋、それだけにこの季節のせめぎ合いには、時を読む難しさと楽しさがある。
 
 ひと晩中掛け流しの湯音に包まれながら、贅沢な秘湯の夜を眠った。
             (2014年4月:写真:ユキワリイチゲ)