蟋蟀庵便り

山野草、旅、昆虫、日常のつれづれなどに関するミニエッセイ。

春まだ浅く…

2006年04月11日 | 季節の便り・花篇

 長湯温泉の朝は、まだ少し拙いウグイスの鳴き声で明けた。「炭酸水素塩泉」のお湯で焚いた朝ご飯は少し色が付き、仄かな塩気ともちもちした食感が絶妙だった。朝湯に火照る額の汗を拭きながらお替わりを重ねる私達に、宿の女将が食べ残したご飯をおにぎりにして持たせてくれた。嬉しい心配りである。
 長湯温泉を裏に抜け、山あいの道を湯の平に向けて走り、途中左に折れて行くと僅か20分ほどで男池(おいけ)に出る。今回は山歩きは自粛と決めていたが、ここまで来て大好きな散策路を素通りする訳にはいかない。山は早春とはいえども、きっと咲いている花があるはず…そんな期待で100円を払って、いつもの散策路にはいった。
昨年の豪雨の被害だろうか、橋が落ち新しい道が造られていた。木屑のチップを突き固めた遊歩道はまだ白々として、冬枯れの木立に浮き上がって見える。自然の姿に人の手が入ると、どこかしら破壊の気配が漂う。しかし、きっと時が解決してくれることだろう。
 かくし水への散策路の入口で、いきなり宏子さんがアズマイチゲを見付けた、いつも先を越されるのは悔しいが、こればかりはキャリアが違う。かつてこの辺りにはアズマイチゲの群落があったという。その頃は駐車場も店もなく、黒岳や平治岳に登る人達だけが知る、秘められた山野草の宝庫だった。名が売れ、訪れる人が増え、自然は喪われていく。心ない花盗人の蹂躙の痕跡は、訪れるたびに心を痛ませる。
 枯れた下草の中でたった1輪咲いていた真っ白なアズマイチゲは清楚だった。シジュウカラの囀りに心を洗いながら、ゆっくりと山道を辿った。キツネノカミソリの緑が映え、バイケイソウの緑がそれに競う。小さな小花の房を一面に拡げるのはハルトラノオの群生だった。早春の先駆けの花である。
 その中に、「見付けた!」…私にとってここを珠玉の道にしてくれたユキワリイチゲが数輪、ピンクの花びらを一杯に開いて、春の日差しを謳っていた。キツツキのドラミングが転がってくる。名も知らない小鳥が下枝をくぐる。少し肌寒い風が吹き抜ける木立に芽生えは乏しく、景色はまだ冬枯れの中にあったが、2週間も過ぎれば一斉に木々が萌え、ここは幻想的なまでに美しい木立の佇まい見せてくれることだろう。ユキザサやツクバネソウの蕾も固く、やがてかくし水が近づく辺りに林立するヤマシャクヤクも、まだ固い蕾を育てる過程にあった。ヤブレガサがつぼめた傘を並べてやたらに可愛い。標高が上がるにつれてユキワリイチゲは半ば閉じた花しか見せなくなった。折から陰り始めた日差しのせいもあるのだろう。サバノオが岩陰で幾つか地味な花を開き始めていた。
 樹林にシートを敷いておにぎりを食べた。いつもなら魔法のように冷えたビールが現れる正昭さんの荷物も、今日は自粛してお茶とミカンしか出てこない。それでも気分は満たされ、山の気を存分に吸って、4人の時は限りなく豊かだった。まだ浅いけれども、山は間違いなく春への足取りを進めていた。
          (2006年4月:写真:アズマイチゲ)

銀の真珠に包まれて

2006年04月11日 | 季節の便り・旅篇

 それは不思議な体験だった。標高500メートルを越える山あいに吹く風は、まだ冬の刃の鋭さを残していた。震えながら飛び込んだ畑の中の露天風呂は32度のぬるま湯である。ひたすら鼻の下まで身を沈め、じっと耐える。10分程過ぎると、いつの間にか全身隙間なく小さな無数の泡で包み込まれていた。柔らかな日差しを浴びて、水中で揺らぎ輝く泡は銀色。全身に真珠の粒をまぶしたような自らの裸身は一種SFっぽく、時のたつのを忘れて見入っていた。

 雷鳴を伴う夜来の風雨が過ぎるのを待って、午後高速に乗った。玖珠インターで降りて四季彩ロードを駆け上がり、湯坪を抜ける頃から濃密な霧が山道を包んだ。速度を控えながら走り抜ける道の両山肌はしっかりと焼かれ、間もなくこの斜面はキスミレの群落と林立するワラビに覆われる。木立の芽吹きはまだ浅く、山の春は少し遅れ気味のようだった。
 九重連山の山容は総て霧の底、硫黄の匂いを車窓に嗅ぎながら長者原から牧の戸を越え、下った瀬の本から豊後竹田方面に折れる。北斜面の濃霧が嘘のように、連山の南斜面は綺麗に晴れ上がり、早春の日差しがうららかだった。久住町から左に折れ、山あいの道を暫く走ると、長湯温泉である。芹川の小さな流れ沿いに、幾つかの宿が点在する。与謝野晶子・鉄幹初め、多くの文人墨客が訪れて歌碑を残す著名な湯の里でありながら、アクセスの不便さが幸いして、今も鄙びた湯治場の面影を残す静かな温泉である。
 春山の散策シーズンを前に、身体の不調が続いた。原因不明の腹痛が2週間取れず、MRI、胃カメラ、エコーと検査を重ね、体重が4キロ落ちた。結局原因が分からないままに痛みが消え復調したものの、どこかスッキリせず、気分転換に湯治に赴くことになった。申し合わせたように、いつもの山仲間の正昭さんも術後の静養期間にあり、山歩きをしない温泉行きで意気投合したのだった。
 長湯温泉・Y荘。7000坪の敷地に、僅か7つの客室。しかもこの日は板前でもあるご主人の都合で、私達夫婦ふた組の独り占めという贅沢が待っていた。酸味と塩分を含む少し錆色の露天風呂に心ゆくまで浸かったあと、関西で修業したというご主人が見事な懐石料理でもてなしてくれた。女将の飾り気ない素朴な客あしらいも心地よい。
 ここの湯の特質は「炭酸水素塩泉」という炭酸ガスを豊富に含んだ珍しいお湯質にあり、しかも「源泉掛け流し」。その極め付きはドイツの2カ所以外、世界に3つしかないという「天然炭酸泉」である。文豪・大佛次郎が名付けて「ラムネ温泉」という。
 翌朝、宿を発って芹川沿いまで下り、その「ラムネ温泉」を訪ねた。屋根に松の木を植えた不思議な建物である。昨夜の「炭酸水素塩泉」の1.7倍という高濃度の炭酸ガスが、私達を「アマゾンの半魚人」に変身させてくれる。これは病みつきになる温泉である。近くには四方開放されたおおらかな露天風呂もある。衆人環視の中でこの湯に入るのはかなりの勇気が要る。だから「女性は無料」という粋な計らい…しかし、さすがに昼間はいる人は稀…だそうな。さもあらんと笑いながら、いで湯の里を後にした。
   (2006年4月:写真:長湯温泉・Y荘・露天風呂)