蟋蟀庵便り

山野草、旅、昆虫、日常のつれづれなどに関するミニエッセイ。

冬の禊……春を寿ぐ

2015年03月19日 | 季節の便り・旅篇

 僅か300mlの冷酒を分け合って、ホロホロになる二人である。どこか身体の底に、年末以来の疲れが澱んでいるのだろう、リタイアした14年前のレベルまで体重が落ち、意識して過食を心がけながらも、なかなか理想体重57.7キロまで戻らない。あと2.5キロ、2キロと、妙に焦りがある。

 モニター料金で3割引きの、武雄温泉「京都屋」の宿が当たった。自宅から高速で1時間余り、僅か80キロ足らずの温泉なのに、嬉野温泉の陰に隠れて、これまで一度も行ったことがなかった。
 近頃必須条件としている「アジア系の団体客が入っていないこと」を確かめて予約を入れ、4月中旬並みの暖かい雨の中を走った。来週は、多摩美に合格した孫の祝と、久し振りの歌舞伎座昼夜観劇に上京する。長女が南房総への旅を組み込んで、楽しみを膨らませてくれる。その前に、重かった冬の禊を温泉の温もりで済ませ、春を寿いで気分を変えよう……そんな思いで高速長崎道に乗った。
 「大正ロマンの館」という名に恥じないクラシックな佇まいだった。「とろりとろとろの温泉は、1300年前から湧き続ける美肌の名湯。露天風呂と、壁まで桧造りの贅沢な内湯で化粧水のような温泉にとっぷりと浸る」と謳う湯質が肌に嬉しい。少し熱めの大浴場と、降り続く雨にぬるめられた露天風呂をこころゆくまで満喫した。若楠ポークのしゃぶしゃぶをメインにした会席の後、満腹の体重は56キロまで戻っていた。

 ロビーに並べられた骨董品の数々の中で、圧巻は幾つものオルゴールだった。朝食後、喫茶室で大型の蓄音機でSPレコードとオルゴールを聴きながら、水出し珈琲の香りに癒された。
 温泉街の奥には、竜宮城を思わせるような国の重要文化財「武雄楼門」の朱塗りが輝き、その奥には今は使われていないが、立ったままで入るという古く珍しい温泉場が資料館として残されている。大勢が同時に入れるように、わざと立ち湯にしたという。途中で会った同年輩の男性に声を掛けられた。聞けば、わざわざ嬉野から度々温泉に入りに来ているという。この佇まい、なるほどと頷ける気がした。
 温泉街の入り口に、手作り革製品の専門店があった。その場で名前を焼きいれてくれるサービスが珍しくて、ついついハンドバッグ、財布などに散財してしまう。今度来るときには、お気に入りのアメリカン・イーグルのバックルに合う、ジーパン用のベルトを作ってもらうことを約束して店を出た。

 家内が「此処まで来たら、どうしても寄りたいところがある」という。2013年、武雄市の樋渡啓祐市長の英断で全面改装、民間のC・C・C(カルチャー・コンビニエンス・クラブ)に委託し、スターバックスと蔦屋書店を併設して話題になった「武雄市図書館」である。開館時間は9時から21時で、休館日もない。緩くカーブを描きながら2階の天井まで立ち上がった書棚に圧倒された。なんという贅沢な読書空間だろう!言葉を失うほど素晴らしかった。「此処に住みたい!」と家内が叫ぶ。借り出した本は、市内随所に設けられたポストに返せばいいというのも斬新である。館内を一巡し、窓際で外の景色を見ながら、スターバックスのカプチーノとサンドイッチでランチと洒落た。

 少し歩くと、武雄神社がある。69段の石段を上がって参詣し、200mほど山道を辿ったところに、樹齢3000年、国内で7番目に古いという「武雄の大楠」がある。樹高30m、幹周り20m、枝張りは東西30m・南北33mという巨木だが、その大きさよりも、威嚇するようなごつごつとした幹の質感と、根方に穿たれた不気味な穴に存在感があった。穴の奥に広がる空間は12畳の広さがあるという。
 途中の梅の木にエナガが遊び、竹林の奥からシジュウカラやウグイスの囀りが転がってくる。

 新しい発見の多い旅だった。これで冬の禊は終わった。春を寿ぎ、もう一度前を向こうと心に期しながら、戻った日差しの中を家路についた。
                      (2015年3月:写真:武雄の大楠)

三寒四温

2015年03月15日 | 季節の便り・花篇

 生え始めた雑草を屈みこんで毟りながら、軽やかに空を弾くシジュウカラの囀りを聴いていた。メジロの訪れも間遠になり、ヒヨドリだけが姦しく二つ割りの八朔を啄みに来る。
 通りがかりのご夫婦が塀際のキブシの花房を見上げて立ち止まり、「もうすぐですね。楽しみにしています。ロウバイの香りも楽しませていただきました」と声掛けてくれた。
 枯れ落ちる蝋梅、今を盛りの紅梅、その傍らで今年も葡萄のような花房をびっしりとつけたキブシは、やがて一斉に花開く頃を迎えた。乱高下する気温に振り回されながら、「三寒四温」という四字熟語の響きを楽しみながら、啓蟄を過ぎた春日に浸っていた。

 気功を始めて、もう10年の余になる。講師を招いて始めた同好会だったが、やがて講師が介護の仕事に転じて一旦沙汰やみになっていたのを、先輩と二人で習い覚えた幾つかの功法を継承し、それぞれが持ち寄ったストレッチを絡ませながら、毎週土曜日に同好会を続けている。
 1時間半の最後は「香功(シャンゴン)」で仕上げる。14種の動作をそれぞれ36回ずつ繰り返す15分足らずの功法だが、お喋りを交えながら8人の仲間と過ごす時間の締め括りとして、心地よく心身を和ませてくれる。
 肌の艶、うるおい、肩凝り、背中痛、胃腸を整え、呼吸器系を鍛え、鼻の疾患にも効くという効能書きがある。「香功(シャンゴン)」という名前の由来は、この功をしているとよい香りがしてくるという不思議な現象による。「気のせい?勿論気功ですから、気のせいです」という解説も楽しい。基本的に腕だけを動かす功法だから、誰にでも出来るし、それだけで全身に気血が巡り、自然に入静して雑念が消えていき、心身のバランスが整えられていく。ポイントは笑顔、穏やかに微笑み、お喋りしながらでもいいというおおらかな気功である。

 ①自然体で立ち、遠くを見る感じで始まる14種とは、②拉気(ラーチー:気を引っ張る)③金龍擺尾(キンリュウハイビ:龍が尾を振る)④玉鳳点頭(ギョクホウテントウ:鳳凰のおじぎ)⑤仏塔瓢香:ブットウヒョウコウ:広がる香り)⑥菩薩撫琴:ボサツブキン:菩薩が琴を弾く)⑦鉢魚双分:ハツギョソウブン:両手鉢を持つ)⑧風擺荷葉(フウハイカヨウ:風に揺れる蓮の葉)⑨左転乾坤(サテンケンコン:天地が左に回る)⑩右転乾坤(ウテンケンコン:天地が右に回る)⑪揺櫓渡海(ヨウロトカイ:櫓を漕いで海を渡る)⑫法輪常転(ホウリンジョウテン:時は流れる)⑬達磨蕩舟(ダルマトウシュウ:達磨の舟が揺れる)⑭仏風貫耳(ブップウカンジ:風の音を聴く)⑮燿眼仏光(ヨウガンブッポウ:仏の光を見る)⑯普渡衆生(フドシュジョウ:みんなで向こう岸へ渡る)⑰童子拝仏(ドウジハイブツ:子供の心で手を合わせる)⑱収功(シュウコウ:両手を降ろし、ゆっくり鼻から息を吸いながら空拳を肩の高さまで上げ、口から息を吐きながらゆっくり空拳を降ろして指を伸ばす。数回繰り返して、両や顔をマッサージし、軽く顔や頭、腕、脚を叩いて終わる)
 四字の漢字で並べると、それぞれの功の動きに意味づけが見えてくる。

 多分、気功の合間にちりばめられるメンバーの他愛無い会話や笑いが、この会の一番の効用だろう。月1000円の会費は、公民館の空調費を賄って余りあり、時たま皆でお食事会に遠出する。「春になったら、玄海の活き作りを食べに行こう」と話がまとまって、この日の会を閉じた。
 野うさぎの広場、竜胆の小道、芽吹きの自然探究路、桜並木の川沿い……心と身体が待ち受けるだけでなく、胃袋までが待ちわびる春である。

 庭の鉢の中で、いつの間にか一輪のミスミソウが開いていた。キンポウゲ科の多年草であり、雪の下でも常緑であることからユキワリソウ(雪割草)の名でも知られる花である。日が昇ると開き、暮れると花弁を閉じて眠る。自然のメカニズムが与えた、優しい佇まいである。
                     (2015年3月:写真:ミスミソウ)


断・捨・離

2015年03月02日 | つれづれに


 数百冊の本を処分した。読書家にとって、愛読した本を手放すほど切ないことはない。

 2階の寝室の一角を書斎に仕立て、天井まで届く本棚を作り付けた。3段に詰め込んでも溢れはじめた本の重みで家が微かに傾いだのだろうか、壁紙に縦に裂け目が出来、床にビー玉を置くと、ゆっくりと片隅に転がっていく。
 10年ほど前に、BOOK OFFに2000冊ほどを引き取ってもらったのに、再びこの有様である。そろそろ諦めよう、もう改めて読み返す時間もなくなった。
 中学時代から秘蔵し愛読していた大杉栄訳の「ファーブル昆虫記」にも別れを告げた。昔風の古本屋が姿を消し、こんな貴重な本でも、色褪せて古びたものはBOOK OFFでも引き取ってくれない。子供会の資源回収に出すしかないのが実に寂しい
 中西悟堂の「定本野鳥記」、畑正憲の「ムツゴロウ全集」、新田次郎の山岳小説、司馬遼太郎、山本周五郎、本田勝一、アリステア・マクリーン等々の作品集、数知れない作家たちの文庫本の数々…ジャンルもまちまちの60年間の乱読の軌跡を、次々に縛り上げて想い出と共に切り捨てていく。両腕にかかる本の重みを愛おしみながら、2階と物置の間14段の階段を数十回往復して、数知れない想いを絶っていった。まだ新しい200冊ほどは、BOOK OFFに売るために納戸に仕舞う。6時間がかりの断・捨・離だった。

 足元の袋戸の中に仕舞っていた、高校時代の拙い20篇ほどの小説原稿も捨てた。その間から、思いがけなく中学校時代の昆虫採集のレポートがいくつも出てきた。
 「クロアナバチの巣作り観察」「光雲山採集記」「平尾山夜間採集記」「西公園に生活する昆虫」「昆虫はどのようにして食物をとるか」「私の生物日誌から」……拙いレポートだが、紛れもなく燃えていた日々の軌跡である。早朝から明け方まで24時間の、熱い熱い昆虫少年の記録である。
 
 私の中学校の校舎は福岡市の中央部やや西の海に面した西公園という小山の下にあって、365日虫と接する環境にあった。
 その一角には光雲(てるも)神社があり、福岡藩祖・黒田如水と福岡藩初代藩主・長政が祀られている。神社の名前は、2人の龍光院殿(如水)、興雲院殿(長政)という法名から一字ずつ取って名付けられたという。別名・光雲山(荒津山、荒戸山)というこの公園は桜の名所であり、当時は笹が生い繁る雑木林の中に小道が幾筋も走っており、若い二人が人目を忍んでそぞろ歩き、愛を確かめる聖地でもあった。豊富な昆虫と触れ合えるこの小さな山は、私にとっても思春期の熱い血を滾らせ、大人への扉を開いた思い出の場所でもあった。
 克明な地図に昆虫の分布が記され、しかも当時凝っていたラテン語の学名で記録された昆虫の名前が、今でも不思議に蘇ってくる。「手製の捕虫網、受け網、三角罐、三角紙、ピンセット、殺虫管、毒瓶などを持って7時30分~10時。採集した虫は、ルリタテハ、ゴマダラチョウ、キマダラヒカゲ、シラホシハナムグリ、アオカナブン、クロキマワリ、ハンミョウ、ヨツボシケシキスイ、カブトムシ、クワガタムシ、コメツキムシ、オニヤンマ、ホシウスバカゲロウ、ニイニゼミ…」そんな記録の数々が、あの虫キチの日々を鮮明に思い出させて、暫く片付けの手を止めて読み入っていた。

 1954年(昭和29年)中学3年の時の生物日誌に、懐かしい一節を見付けた。3月14日、まだ肌寒い早春の一日、担任の国語の教師と今は亡き親友の一人と、都府楼政庁跡の傍らを歩いた。当時は走る車も少なく、枯れ草を敷く道端でお握りを食べ、小川の畔のスカンポの葉裏に潜むベニシジミの幼虫10頭を採取した。半ば凍りながら雪の下で越年する驚異的なベニシジミの幼虫との、初めての感動的な出会いだった。スカンポの株と一緒に持ち帰って飼育し、ときめきながら前蛹・蛹化・羽化の過程を克明に見極めて以来、いつも連れ添う私の一番好きな蝶となった。

 ひとつのことに、これほど夢中になることはもうないだろう。いまだに昆虫少年の情熱の残滓を引き摺り、お蔭で季節の移ろいに敏感で豊かな日々を重ねている。

 断・捨・離…「不要なモノなどの数を減らし、生活や人生に調和をもたらそうとする生活術や処世術のこと。」と定義づけられている。想いを絶ち、未練を捨て、執着から離れるということでもあろう。
 肩と膝の痛みを甦らせながら、片付け終わった本棚に再びレポートを納めた。この想いだけは、最後まで絶つことは出来ない。

 間もなく、虫たちが蘇る「啓蟄」(3月6日)の日を迎える。冬への袂別が近い。
                     (2015年3月;写真:ベニシジミ)