蟋蟀庵便り

山野草、旅、昆虫、日常のつれづれなどに関するミニエッセイ。

白鶴舞う夜に…古都の光

2016年09月26日 | つれづれに

 気を揉ませた午後の小雨もあがり、湿った夜が落ちてきた。並木を揺する夜風が心地よく、道端に並べられた灯明から火をもらって、訪ねてきた義妹と連れだって3人で小さな提灯を揺らしながら歩いた。
 「太宰府 古都の光」…もう11回目を迎える光の祭典である。9月25日、太宰府天満宮神幸式大祭の最後を飾る「千灯明」…境内の心字池に掛かる「過去・現在・未来」の太鼓橋と境内を千本の蝋燭が飾り、水上の舞台で神楽を舞う巫女の姿を幻想的に浮かび上がらせる。
 この「千灯明」が発展し、参道、門前町、九州国立博物館、そして水城跡、遠の朝廷(みかど)・大宰府政庁跡、観世音寺、戒壇院、日吉神社など、古都大宰府を1万の蝋燭の灯が飾る「古都の光」という光の祭典となった。幼稚園児や小学生が描いた手作りの灯明を中心に、町内の人たちが蝋燭からLEDまで駆使して、年々幻想の度合いを深めている。
 かつて、娘たちが太宰府天満宮幼稚園に通っていた頃、参道の上に掲げられた娘の絵を探して歩いた。「古都の光」になってからは、この町内の子供たちが通う小学校が担当する博物館周辺を歩き、8時から始まる「千灯明」で蝋燭の灯を着けた。
 3年前からは、有名になり過ぎて人混みがひしめき合う「千灯明」を避けて、ライトアップされた古刹・観世音寺から政庁跡の「光の道」を辿るようになった。

 観世音寺本堂から、灯明で描かれた「学」の文字を見下ろしていると、背中を叩かれた。偶然、仄暗い闇の中で出会った読書会の仲間二人だった。毎年、白髪頭を目印に、闇の中で声を掛けてくる人がいる。
 歓声を上げながら、我が子や我が孫の描いた灯明を探す家族連れの微笑ましさの反面、この人混みの中で傍若無人に三脚を拡げる素人カメラマンにイラつく。薄闇の中で当然躓く人もいる。せめて一脚を立てるくらいの慎みがあって然るべきだろう。フォトコンテストに応じるなら、それなりの常識を持ってほしい……年々、こういう輩が増えている。特に、保護され過ぎて傲慢さが目立ち始めた高齢者や、慎みを忘れた中年女性……というと、○○ハラになるのかな?(苦笑)いやいや、我れも高齢者、どこかで誰かの顰蹙を買っているかもしれない。自戒・自重、以て「他山の石」としよう。
 優先席に平然と座り、狸寝入りを決めたりスマホを弄り回して、お年寄りに席を譲ろうとしない若者も顰蹙、譲られて当然のような顔をして、「ありがとう」も言わない高齢者も顰蹙…世は上げて顰蹙の時代である。国内の喫緊の課題をないがしろにして、海外で巨万の大盤振る舞いをして歩く、したり顔の宰相は、まさに顰蹙の極みであろう。

 政庁跡の光のオブジェが素晴らしかった。プラスチックで折られた鶴が、白いLEDで幻想的に光る。暖かいオレンジ色の蝋燭の灯明に包まれるように、広い政庁跡を200羽の真っ白な鶴が優雅に舞っていた。

 往復6000歩ほどを歩いて帰り着いた玄関で、秋色に染まった甕が迎えてくれた。友人が、姿形のいい茄子と、「秋月」という新作の梨に添えて届けてくれたコスモスと、私が買い物のついでに駆け回って、ようやく刈り採って来た数本のススキを入れた紹興酒の甕が、爽やかに秋の夜を彩る。家内が楽しみにして続けている、ささやかな季節の演出である。

 今朝方、雨樋の戸袋の下で、黄金色の突起を輝かせていたツマグロヒョウモンの蛹が羽化した。神秘的な命誕生の瞬間である。
 この歳になっても、生まれて初めて目にする神秘の世界がある。ときめくような感動がある。奮い立つような喜びがある。だから、好奇心は捨てられない。老いの下り坂の途中でしがみつく儚い小石かもしれないが、その好奇心を失ったとき、坂道は一気に崖となる。

 「生き延びて、秋を迎えたなァ」……例年になく、しみじみとした実感である。
              (2016年9月:写真:大宰府政庁跡・光のオブジェ)

黄金色の煌き

2016年09月15日 | 季節の便り・虫篇

 10回以上カリフォルニアの次女の家にロングステイを重ねて、いつの間にかアメリカンスタイルが身に着いた。わが家では5月から9月は湯船に浸ることが稀である。いつでも何度でも浴びるシャワーの生活に慣れてしまうとむしろ快適で、たまに行く温泉三昧が一段と楽しみになる。
 43度の熱いシャワーを浴びた後、冷水を浴びる。これを2度繰り返すと、だらけていた身体がシャキッと引き締まる。夏の暑熱で大地までが温まり、水道の水がぬるま湯のようになっていたのが、いつの間にかピリッとした冷気を感じるようになった。10月から4月の浴槽での入浴の後も、最後のシャワーの習慣は変わらない。真冬になれば、縮み上がるような冷たい水を浴びることになる。

 ツクツクボウシの声も遠く微かになり、代わりに夜の庭にすだく虫の音が一段と冴えわたるようになった。秋雨前線が毎日のように湿った残暑を演出する中で、爽やかな秋晴れは当分望めそうにない。

 そんな午後、最後のスミレを茎まで食べ尽くしたツマグロヒョウモンが、仏間の雨戸の戸袋の下で蛹になった。はるばる旅したキアゲハの幼虫とは異なり、鉢の真上1メートル足らずの手近な場所を選んだのが何となく可笑しい。
 あの、黒地に赤い斑点を散らしたけばけばしい毛虫からは、想像がつかない不思議な姿である。黒地の背中にキラキラと輝く黄金色の突起が並ぶ。羽化する際に何かに変容するのか、それとも天敵に対する威嚇が目的なのか、いつものように首を傾げながら蹲ってカメラを向けた。
 背中に糸を掛けて支え、頭を上にして斜めに固定するキアゲハの蛹とは違って、尻尾だけを固めて頭を下にぶら下がるスタイルである。指でそっと触れると、クネクネと身体を揺すり、日差しに黄金色が煌めいた。やっぱりこれは、威嚇目的の姿なんだろうか?
 このまま冬を越すのか、それとも秋晴れの中で羽化して、もう一度伴侶を探して大空に飛び立つのか……数日前にも、少し弱ったツマグロヒョウモンの雌が庭で産卵したげに舞っていたが、もう我が家の庭にスミレは一株も残っていない。
 蝶の中では珍しく雌雄の紋様の差がはっきりしており、しかも人間も含めた動物世界の中では、珍しく雌の方が派手で美しい蝶でもある。温暖化に伴い、この蝶の生息圏も徐々に北上している。
 食べ尽くされて根まで消えてしまったスミレのプランターに、日本水仙の球根を植えた。早春の香りを漂わせる、新年の祝い花になることだろう。

 お昼を食べたら、いつの間にかソファーで眠っていた。うたた寝の多い時節である。晩夏と初秋が微妙に混じり合い、夏の疲れが身体に滲む時節……若ぶっていた気持ちが、ともすれば挫けそうになる。
 溜まっていたマイレージを使い、歌舞伎座・秀山祭を観に行くことにした。長い入院生活で少し後ろ向きになりかけている家内をひと押ししようと、横浜の長女にエスコートを頼んで、好きな歌舞伎に浸らせてやるつもりだったが娘の都合が付かず、95%回復の家内を一人で行かせるわけにはいかないから、私が同行することにした。
 折あしく、その日直撃のコースで台風16号が南の海から迫っている。航空券の切り替えは可能だが、既に発券された歌舞伎座のチケットは、もう解約できない。米軍合同台風情報センター、日本気象庁、国連加盟国国家中枢センター、香港天文台、大観民国気象庁、台湾中央気象局、フィリピン大気地球物理天文局……7つの情報を総合すると、「19日から20日頃九州地方(鹿児島県)に接近・上陸する可能性大」という。19日敬老会、20日上京して歌舞伎座夜の部、21日歌舞伎座昼の部を観て、夕方の便で帰福……もう、祈るしかない状況である。

 ラニーニャ現象で、今年の冬は寒さが厳しいという。蛹になって、眠りながら春を待ちたいな……などと他愛もないことを考えながら、ツマグロヒョウモンの蛹をつついて遊んでいた。
                    (2016年9月:写真:ツマグロヒョウモンの蛹)

生かされた夏、生きた夏

2016年09月07日 | つれづれに

 お馴染みの宅急便配達の彼が、ようやくいつもの愛嬌を取り戻した。過酷過ぎた真夏、汗にまみれ疲労困憊した顔で「もう、たまらんバイ!」と喘ぎながら、休むことなく配達を続けていた。見かねて、その度に冷たく冷やした強壮ドリンクを差し出して励ましていた。
 ストンと落ちるように秋が来た。
 石穴稲荷の杜も、いつの間にか「オーシ、ツクツク♪」の声だけに包まれ、あれほど姦しかったクマゼミの気配は、もうひと声も聴き取ることが出来ない。日照りに萎えた草むらに、アブラゼミの翅がひっそりと横たわり、鬱陶しかった蜘蛛の巣もなくなった。つい先頃まで傲慢に居座り続けた37度の暑熱が嘘のように、突然23度で肌寒くなって……残暑の季節と思えば、30度程度ではもう驚かない。

 心底疲れ果てた夏だった。人一倍夏に強かった筈なのに、77歳という年齢を思い知る。1ヶ月を越えた家内の入院、命に障りがない病とはいうものの、連日熱中症で走り回る救急車のサイレンを聴きながら、殺風景な病室で不味い病院食に耐えて、腸の動きの回復をひたすら待ち続ける辛さは、経験した者にしかわからないだろう。時たま拙い腕を振るって、ちょっとした煮物をこっそり届けたり、パジャマや下着の洗濯物を運ぶ毎日だった。
 そんな中で、1年半振りにアメリカから帰国した娘と、留守を気に掛けながら沖縄にダイビングに出掛け、帰国前の買い物に付き合い、食事をさせ、2週間の日本の夏を駆けまわって無事福岡空港に見送った後は、ひたすら夏が逝くのを待ち続ける毎日だった。張り詰めるような緊張感が、辛うじて体力を維持し続けた。
 お蔭で家内も退院し、食事に気を配りながら90%の回復感を実感するまでになった。

 「人は生かされている」……そう思う謙虚さは、特に現代を生きる人間にとって、決して忘れてはならない大切な心構えには違いない。しかし、その一方で、傲慢なまでに「生きていく!」という意志がないと、この異常な夏を生き延びることは出来ない。「生きている」という受け身だけでは、あまりにも過酷な季節を耐えることは出来ないのだ。
 庭にすだく虫の声に身を委ね、朝晩のまだつつましい秋風に肌を吹かせながら、「何とか生き延びたな」と実感する昨日今日である。落ちた体重2キロを取り返す為に、意識して食い気に縋っている。

 夕刊に、自然と人間の共生のために貢献した研究者に贈られる「国際花と緑の博覧会記念協会」の「コスモス国際賞」を受賞した植物分類学者、岩槻邦男東大名誉教授の言葉を読んだ。地球上に多様な生物がいることを意味する「生物多様性」の減少、絶滅危惧種が増え続けていることを危惧しながら、彼は語る。
 「たった一つの種から始まり、何十億年の時を経て、確認されているだけでも180万種と言われる生物が地球上で暮らすようになった。この地球に生きるとは何なのかということを、ずっと考え続けてきた。…そろそろ年を考えようと思ったが、まだまだ死ねない。国際的な発信もつづけないと。…すべての生物は直接・間接につながり、お互いがいないと生きてはいけない。それは人間も同じ、自分も生命のつながりの中にいるということを思い起こし、命の多様性を守るために何ができるのかを、すべての人に考えてもらいたい」
 重い言葉である。因みに、彼は82歳。まだ77歳の若造が弱音を吐いてどうする。「生かされている」ことに感謝しつつ、「生きていく」という強い意志をもって、これからの日々を見詰めて行こうと、秋の玄関口に立って改めて思った。

 ミズヒキソウの茎に、蝶の抜け殻を見付けた。行方の知れなかったキアゲの幼虫の一頭が、こんなところまで旅をして蛹になり、焼けるような夏空にはばたいていったのだろう。
 既に懐かしささえ伴う、逝く夏の名残りである。
                      (2016年9月:写真:蝶の脱皮殻)