悍馬のように気紛れに乱高下する季節の変動に翻弄され、すっかり疲弊してしまった。コロナ禍の警戒が緩んだ中に、制約なしのゴールデン・ウィークも終わり、もう来週には梅雨の走りが現れるという。昼間の庭仕事で汗にまみれるというのに、朝晩の風の冷たさに、この時期になってもまだ暖房カーペットを片付けられないでいる。こんなことは今までなかった。
かつて、沖縄慶良間諸島・座間味島のダイビングを楽しんでいた頃は、5月の連休にはビーチベッドを庭に広げ、海パンで日焼けオイルを塗って身体を焼いていた。6月末の沖縄の梅雨明けと同時に島に渡る。観光客も少なく、絶好のスキューバ・ダイビングやシュノーケリングの時期だった。ただ、いきなり南国の日差しに曝されると、火傷に近い日焼けに苦しむことになる。だから、5月の連休の間にしっかりと「下焼き」をしておくのが、私の流儀だった。もう、遠く霞み始めた思い出である。
4か月振りの「生存確認」に、横浜の長女と、浜松の自動車会社で車の内装デザイナーとして働く孫娘が、空路と新幹線で来てくれた。力仕事や押し入れの片付けなど申し出てくれるが、半ば老々支援状態の私たちにとっては、元気な顔を見せてくれるだけで嬉しい。
連休中休みの日曜日・月曜日に、4人で温泉に出掛けることにした。「ゴールデン・ウイークは遠出しない!」と決めて40年、2キロの渋滞でも嫌という大宰府原人を、30キロ渋滞に慣れた関東人が「それは、渋滞と言わない!」笑う。午後に走り始めた九州道は渋滞もなく、更に鳥栖JCから長崎道に乗っても、呆気ないくらいスイスイだった。佐賀大和ICで降りて山道を20分ほど走り、54キロを1時間足らずで走り抜けて、2時前に宿に着いた。
春の確定申告の還付金を、全額使い切ると決めて、檜露天風呂付離れの宿を奮発した。私たちはツインベッド、娘と孫は和室、シニアプランだから、チェックインも2時である。娘が探してくれた温泉だった
標高200メートル、嘉瀬川のせせらぎに包まれる山間の温泉は、多発性関節リュウマチに苦しむ亡き母がよく逗留していた。福岡と佐賀の県境の尾根、背振~金山山系の南の山間にある。齋藤茂吉や、青木繁も好んで通ったという。加えて、笹沢左保記念館があると聞き、ひと風呂浴びる前に訪ねることにした。
上州新田郡(ごおり)三日月村で生まれた渡世人の木枯し紋次郎、宿場町で巻き込まれた厄介ごとを片付け、流行語となった「あっしにはかかわりのないことでござんす」と言いながら道中合羽を翻して去って行く。去り際に、5寸の長楊枝で何かを吹き刺すのが約束事の、一世を風靡したテレビドラマの原作者である。
せせらぎを2度渡り、川沿いに上流に15分歩いたところに立派な記念館があった。ボランティアの館長に、小一時間楽しく話を聴いた。1960年(昭和35年)から2014年(平成14年)まで活躍した著名な作家、笹沢左保の旧邸の書斎に、貴重な直筆原稿や出版された初版本が多数並んでいて圧巻だった。
その往復を楽しませてくれたのが、いろいろな種類のトンボだった。清流がカワトンボやオハグロトンボ、イトトンボ、チョウトンボなどを足元に送ってくる。マクロも望遠レンズも持ってきていないし、標準ズームで腹這いになって狙ったが、ピントが合わない。後ろに立った娘が、最新のスマホのマクロレンズで肩越しに撮った一枚の方が鮮明なのが悔しい!
湯に浸かる。少ない客足を見て、大風呂の露天に浸った。今回も独り占めだった。泉歴は古く、38度のぬるめの泉温と、ぬるぬるした心地良い肌触りという特徴から、「ぬる湯」と呼ばれているという。
吐口からの湯音に、鶯の冴えた声が混じる。そして何よりもの癒しは、せせらぎが届けてくれた、黒川温泉以来30年振りに聴くカジカガエルの鳴き声だった。清流に住む小さな蛙である。繁殖期の4月から7月にかけて、渓流の石の上などで縄張りを主張する雄の声が、男鹿の鳴き声に似ているから「河鹿」と書く。「繁殖音」と書くと何だか切ないが、清流のせせらぎに混じって届く声は、限りなく優しかった。
いつまでのほくほくと暖かい身体をベッドで休めた後、夕暮れ迫る食事処の個室で摂った夕飯は豊かだった。地酒を3種並べた利き酒セットにほろほろと酔いながら、娘と孫と過ごすせせらぎの宿の至福!
やすむ前に、部屋の檜露天風呂で身体を癒した。山道のドライブに揺すられた肩の神経痛が、優しい「ぬる湯」で解されていく。「キキキキ!」と鳴く澄み切ったカジカガエルの声は、眠りにつく耳元迄届いて来た。
(2022年5月:写真:娘が撮ったカワトンボ)