蟋蟀庵便り

山野草、旅、昆虫、日常のつれづれなどに関するミニエッセイ。

蝶、無心

2015年09月29日 | つれづれに

 シルバーウイークとは、365連休で遊びまくる年金生活者が、たまには働く週間と心得た。渋滞に巻き込まれながら行楽地に向かうほど、遊ぶ時間に不自由してはいない。

 晴天に恵まれ、20キロのセメントと左官用の鏝を買ってきて、外壁の石垣とブロック塀の修復に3日間汗を流した。屋根の漆喰の傷みの修復を頼んだ業者が、サービスで黒ずんだ外壁を高圧水流で綺麗にしてくれたのはいいいが、劣化した石垣やブロックが逆に傷ついて穴だらけになり、ずっと気になりながら秋風を待っていた。業者に頼めばン万円は取られるところを、見映えはともかく材料費2千円ほどで済んだし、それなりに楽しんだ作業だった。これが私のシルバーウイークだった。

 直前、当然のことのように安保関連法案が国会で成立した。暗黒の時代を予感される不気味な足音が一気に高まった。
 新聞の投書欄に「安倍首相の名、末永く後世に」というタイトルを見付けて「なぬ?」と目を瞠った。しかし、読み終わって快哉を叫んだ。言い得て妙、言いたかったすべてを言い尽くした一文だった。無断ではあるが、お叱りを覚悟で敢えて全文を転載する。
 「日本国民のために前代未聞の法律を作った人。そのため、日本国民より先に米国議会でその法律の制定を約束した人。そう言われても恥じない人。
 国会を解散し、信を国民に問うべき重要な法案であったのに、しなかった人。歴代の総理大臣が守った憲法解釈を勝手に変えてしまった人。
 憲法学者の大半が違憲と言い、国民が各地で反対デモを起こしても自分のわがままを通した人。公聴会を設け、国民の意見を聴く機会を設けたものの、全く参考にしない人。戦争の抑止力になると言いながらも、テロの攻撃には何ら対策を持たない人。
 国会質疑で野党の質問に答弁が二転三転、とても法律として通用しないのに強行採決した人。数に任せた手法で日本を壊した人。
 あなたは末永く後世に語り継がれることでしょう。」(柳川市、大津数也)
 利権・金権・権勢欲にまみれ、次の大臣の席欲しさに誰一人抵抗することなく、唯々諾々と総理に尻尾を振る自民党陣笠議員の醜さは、もう言葉がない。

 とうとう敬老会に招かれて、いささか蟷螂の斧も折れがちな我が身を慰めるには、無心に汗を流すしかない。
 連休が終って夏が還ってきた。雨の多かった夏、残暑が短かった夏……庭に緑の苔と雑草が拡がったのが見苦しく、連休明けの一日を庭の手入れに汗を流した。草むしりと言うような生易しいものではない。スクレーパーで土を2センチほど剥ぎ取り、天日に終日さらして、乾いた草と苔を掃き集める作業である。これが意外に嫌いではない。やがてまた直ぐに草茫茫になる不毛の戦いではあるが、コロ付きの作業椅子を転がしながら、いつの間にか妄念を忘れ無心になっている自分がいる。蟋蟀庵の庭はそれほど広くはないが、家を一周して剥ぎ取りを終える頃には、全身汗にまみれている。
 43度の熱いお湯と冷水のシャワーを交互に浴びて身を引き締める。「年寄りの冷や水」である。左腕に残る腕時計の痕が、この夏の名残。それほど日差しを浴びた覚えもないのに、いつの間にか紫外線が白い日焼けの痕を残していた。

 散髪をして帰る児童公園の花壇で、黄花コスモスの花にとまって無心に蜜を吸うツマグロヒョウモンの雄がいた。真っ青な秋空から降り注ぐ日差しは痛みを伴うほどに強く、翅いっぱいにその日差しを受け止めて輝く蝶の無心が眩しかった。
 今度輪廻転生する時は、蝶になるのもいいな、とふと思う。
 雄に生まれるか雌に生まれるかは、些か迷うところである。これも妄念か?(呵呵)
               (2015年9月:写真:ツマグロヒョウモンの吸蜜)

命、漲る

2015年09月10日 | 季節の便り・花篇

 台風18号と秋雨前線が、関東甲信越・東北を激しい豪雨禍に巻き込んだ。既に避難指示は9万5千人を越え、濁流がほしいままに荒れ狂う画面に、「観測史上初めて」「記録的大雨」というアナウンサーの声が被さる。
 官房長官がしたり顔で注意を促す姿が白々しい。国民の反対の声が高まる亡国の安保法案を、数の暴力で強行採決しようとしている宰相の片棒を担ぐ腰巾着のお前さんに言われたくない!
 最早蟷螂の斧という諦めの気持ちが拭えなくなった自分にも腹を立てながら、土砂崩れ現場の画像に見入っていた。
 腹立ちを煽るように、川内原発再稼働が本格化し、営業運転に入るというニュースが流れる。いまだ見通しの立たない福島の惨禍にも懲りず、利権と営利に走る政財界は、最早救いようがない。

 たったひと晩の油断から霜に当てて、ほとんどの葉を落としてしまった月下美人が奇跡の復活を遂げ、秋風の中にようやく3輪の花を開いた。例年であれば、7月から絢爛の花を見せてくれる筈だった。枯死寸前から蘇った逞しい生命力は、夏の疲れを秋風が加速し、少し弱気になりがちな私たちの世代には、力強い励ましだった。

 長い葉のくびれから粟粒のような花芽を出し、やがて棘とげの姿になって次第に花茎を長く伸ばしながら筆のような蕾に育って行く。うな垂れるように伸びた蕾が徐々に頭を擡げ45度ほど持ち上がって天を差すと、やがて数日で開花の時を迎える。
 夕刻から穂先が膨らみ始め、8時過ぎに5分ほど開いた頃から突然一気に馥郁とした甘い芳香が拡がる。10時頃には漲るように満開となって開花の絶頂期を迎え、部屋中を甘い香りで満たし包み込んだまま、ひと夜限りの豪華絢爛の艶やかな姿を惜しみなく見せてくれる。花の中には、先端を妖しく星状に割った雌蕊が伸び、黄色い絨毯とも襞とも見える雄蕊が敷き詰められている。
 決して清楚な花ではない。絢爛にして豪華かつ妖艶な花の姿は、命の漲りを感じさせて心ときめくものがある。
 一夜明けると、昨夜の漲りが嘘のように、ぐったりとうな垂れて萎んでしまう。

 多くの人の月下美人鑑賞はここで終わる。
 しかし、実はここから第二の楽しみが始まる。萎んだ花を切り取り、熱湯を潜らせて刻み、鰹節を振りかけ、甘酢を垂らしてすする。とろみにしゃきしゃき感が絡み、絶妙の箸休めになることを多くの人は知らない。冷凍保存して冬の鍋物に入れて食感を楽しむのもいい。
 目で楽しみ、香りに酔い、舌で味わう……月下美人三昧に浸る、我が家の至福の秋である。
 庭に置いた別の鉢に、4つ目の小さな芽生えがあった。およそ2週間後、多分今年最後の艶姿を見せてくれることだろう。また一つ、命をもらう。

 少し熱っぽく、しぶとい頭の痛みに苛まれながら、家屋を破壊して押し流す濁流の画像から目が離せなかった。自然は優しいばかりではない。想定外の猛威を奮う自然の破壊力、今にも流されそうな家のベランダや屋根の上で、ヘリからの救助のロープを待っている何人もの人の姿がある。茨城県常総市、既に地上からの救助はままならず、自衛隊のヘリによる時間との闘いである。
 これこそが、「人を殺さない平和な自衛隊」の姿である。愚かな宰相よ、「平和」とはこんな時に使う言葉であることを思い知るがいい。 
                    (2015年9月:写真:蘇った月下美人)
   

しめやかに 雨を招きて……

2015年09月05日 | 季節の便り・虫篇

 夕刻、ひっそりと雨が来た。
 そのしめやかな雨に濡れながら、食べ尽くされたパセリの茎に巻きつくように体を丸めて、小さな命が黄昏に消えて行った。

 2週間ほど前だったろうか、吹き始めた秋風にせかされるように、翅が破れかけたキアゲハが八朔の木陰を掠めるように流れて行った。多分その時に産み落とされた一粒の卵が孵ったのだろう、気が付いたら小振りながら既に黄緑と黒の縞にオレンジ色の斑点を散らした5齢まで育った1頭の幼虫が、僅かに食べ残されたパセリの葉を貪っていた。どう考えても無謀、このパセリでは5齢を全うして蛹になる見込みは殆どなかった。

 二つのプランターを行き来しながら、それでも残った葉で何とか命を繋いでいた。気にかかりながら、それ以上に我が家にもっと大きな気がかりがあって、ついつい失念していた。
 今朝、全ての葉を食べ尽くした幼虫が、隣りに置いたオキナワスズメウリのプランターまで移動して、しきりに首を振りながら餌を探しているのに気付いた。
 この季節、もう苗は売っていない。一縷の望みを託して近所の畑にパセリを探した。ニンジンを探した。しかし見当たらずに、僅かな期待と大きな不安を抱きながら已む無くスーパーからパセリの束を買い求めてきた。何度も水洗いして、残っているかもしれない農薬を洗い落とし、小さな一輪挿しに挿してプランターに置き、その上にそっと幼虫を移した。終齢幼虫にしては随分小振りなのに加えて、少し動きが悪いのを気にしながら、所用で暫く留守にした。
 
 雨の匂いが濃くなった夕刻、家に戻った。しかし、買い求めたパセリを食べた気配もなく、再び茎だけになったプランターに戻った幼虫が、パセリの茎に下半身をしがみつかせたまま二つ折になってうな垂れていた。なすすべもなく見守る中、やがて茎から剥がれるように落ちて動かなくなった。
 降り始めた雨の中に、ひっそりとひとつの命が喪われた。

 人間一人当たり5億匹の昆虫という個体数の比較など、ここでは意味をなさない。今の私にとっては、間違いなく一人対一頭の、均しい重みをもつ命だった。

    都に雨の降るごとく  わが心にも涙ふる…
 ヴェルレーヌの詩が、ふと心をよぎる。

    しめやかに雨を招きて 吹く風は秋の色なり…
 高校時代に書いた「初秋」という拙い詩の一説が蘇る。

 自然の摂理に掉さす無謀は何度も経験していても、現実に目の前に命の危機が見えていたら、やっぱり何とかしてやりたいと思う。そして、絶望する。
 わかりきったことなのに、今日もすっかり気落ちしている自分がいた。

 ミズヒキソウが、米粒ほどの真っ赤な花を並べて風に揺れながら、小さな命が消えるのを見守っていた。 
 ヤブランが紫の花穂を林立させ、ヒメミズギボウシがみっしりと咲き誇り、ホトトギスも開き始めて、秋が確かな色を見せ始めた。

 少し物哀しい秋の訪れである。
                (2015年9月:写真:ミズヒキソウ)

にしゃどっち?

2015年09月04日 | 季節の便り・虫篇

 昔の子供たちにとって、小さな生き物は身近な遊び仲間だった。ダンゴムシは格好の庭遊びの友だったし、カブトムシやクワガタはデパートで買うのではなく、林に分け入ってクヌギやコナラの樹液の匂いを嗅ぎまわって探すものだった。捕まえること自体が、すでに楽しい遊びだった。
 今日の夕刊にも、小六の孫娘が、夏休みの宿題に発泡スチロールで「ダンゴムシ迷路」を作ったという投書があった。無心にダンゴムシを追っている子供の姿が浮かんで微笑ましい。
 野口雨情の歌にも登場する。「♪黄金虫は、金持ちだ。金蔵建てた、蔵建てた。飴屋で水飴、買ってきた。」
 「♪いもむしごーろごろ、ひょうたんぽっくりこ」と歌い歩く遊びもあった。我が家の「虫愛ずる姫君」を地で行く娘達は、子供の頃住んだ沖縄で、キノボリトカゲをポケットに入れて大事にしていた。
 子供が手に取って指先でつつくと、くねくねとと身をくねらせるのが「西を向こうとしている」という言い伝えがあり、「にしゃどっち?(西はどっち?)」とか「西向け!」と言って遊ばれていた蛹がある。
 スズメガの蛹である。

 庭に青苔が生えるほど降り続いた秋雨前線がひと休みした9月の朝、ラカンマキの枝に一頭のスズメガがとまっていた。「最近見かけなくなった」と、つい先日書いたばかりなので、妙に懐かしくて写真に収めた。
 久し振りの、セスジスズメ……、中学時代の私の標本箱の中には、エビガラスズメ、シモフリスズメ、ウグイス色の太い胴体を持ち、珍しく透明な翅のオオスカシバと共に、セスジスズメも並んでいた。羽化した時にはついている鱗粉を翅を震わせて落とし、透明な翅で夜の花に寄るオオスカシバは、昆虫少年のお気に入りのひとつだった。
 後退翼を持つジェット戦闘機に似て、小さな4枚の翅を三角形に伸ばして高速で飛び、時には時速50キロを超えることもある。飛翔昆虫の中でも、最速の部類に入る蛾である。しかも、ホバリングして蜜を吸うことが出来るという、ハチドリにも似た特技まで持っている。
 幼虫の食草は、マツヨイグサ、カラスウリ、ハマユウ、サギソウなどであり、やがて落下して地中に蛹室を作ったり、落ち葉を寄せた繭の中で蛹になって越冬する。昔の子供たちは、この繭を破って蛹をつまみ出し、指でつつきまわして「にしゃどっち?」と遊んだのだろう。
 蝶の蛹も、蛹化したあとしばらくは、触るとくねくねと動いて威嚇する習性がある。

 旺盛な食欲と行動範囲の広さから一般に害虫として嫌われるスズメガに、実は高い利用価値があることはあまり知られていない。
 海外ではその大きさと繁殖力により、幼虫が実験用に飼育されているというし、日本でも、エビガラスズメを飼育して遺伝子研究に利用されているという。また、栄養分豊かなエビガラスズメの幼虫は将来の食料としても注目され、すでに家畜の飼料に利用されている。中国には「大豆蛾」と呼ばれるトビイロスズメがいて、江蘇省などで食用に売られているというネット情報もあった。

 食糧難の時代を予想し、「昆虫食」を実践しているグループがある。我が家にも「昆虫食入門」という本があり、帰省した孫たちが目を丸くして絶句していた。食料自給率40%の日本は、食品の輸入が途絶したら1年間で1000万人が餓死するという記事を以前読んだ記憶がある。日本民族を絶滅から救う救世主は、意外にスズメガなのかもしれない。
 
 水引草が赤い小花をつけて庭を彩っている。あちこちに、白い彼岸花の瑞々しい茎が伸び始めた。ツクツクボウシの鳴き声も次第に遠くなり、石穴稲荷の杜の奥の方に遠ざかりつつある。
 復活した月下美人の蕾が少し頭を擡げ始めて、開花の時期が近付いてきた。
 熱いお湯の後に浴びる冷水のシャワーが、少し冷たく感じられる……もう、そんな季節である。
               (2015年9月:写真:葉陰に休むセスジスズメ)