蟋蟀庵便り

山野草、旅、昆虫、日常のつれづれなどに関するミニエッセイ。

風に向かって

2016年02月21日 | 季節の便り・花篇

 3時間かけて、八朔のマーマレードを練り上げた。見栄えは上々ながら、今年の八朔は思ったより苦みが強く、味わった後暫く舌先に苦みが残る。これでは、お裾分けも控えた方がよさそうだ……少し落胆しながら一人昼飯をかきこみ、ふと思い立って歩きに出た。真っ青な冬晴れの午後である。

 家内は、博多座に出掛けた。先日1階席で観た坂東玉三郎の歌舞伎舞踊、その感動が忘れがたく、千秋楽の今日、再び当日売りの立見席を狙ってのことだった。3時間立ちっぱなしは流石に膝と腰にこたえるから、今日の私は留守番である。
 8時15分に西鉄五条駅でNHK歌舞伎講座の仲間の「若い女性」と合流、いそいそと電車に乗った。(65歳でも、私たちの世代から見れば十分に「若い女性」……実は、この女性が、いつも我が家に野菜や果物を届けてくれるY農園の奥様である)二人とも、今日の舞台への期待で昨夜の夢見も良かったのか、満ち足りた笑顔で出かけて行った。博多座大向こうの会長の渋い掛け声をすぐ近くで聴きながら観るんだと、張り切って誘い合っていた。
 10時から売り出される立見席を7番目にゲット、合流した仲間と4人でお茶しながら、14時の開演を待っているというメールが来た。3階席の最上段に立っての芝居見物、ご贔屓の役者に向かう女性のエネルギーにはたじたじである。

 そんなことを思いながら、風の中を歩き始めた。昨夜までの雨でぬかるんでいるから、今日は山道を避けて御笠川沿いの道を太宰府政庁跡に向かう。青空から注ぐ日差しは暖かいが、吹き過ぎる風は予想以上に冷たく、三寒四温の今日は寒の日。手が凍えそうなほどに冷たい風に向かって足早に急ぐ。
 横切る県道は今日も太宰府天満宮に向かう車の列、まだ最後の神頼みに縋る受験時期の名残と、相変わらず連なるアジア系団体の観光バス。日本人が静かに寛げる観光地が、此処数年で急速に喪われていった。

 観世音寺の奥に抜け、Y農園の畑を覗いてみた。殆ど家にいることのない忙しい奥様なのに、綺麗に手入れされた畑が広がっていた。玉葱が数百本すくすくと育ち、予約済みのラッキョウも今年は立派に育っていて安心する。
 畑の傍らに、青空の欠片のようなオオイヌノフグリが眩しい日差しに輝いていた。毎年真っ先に春を告げてくれる花である。ホッと心が和む瞬間である。

 裏道を抜けた政庁跡に、毎年確かめに来る花がある。これも木枯らしの名残の中で咲くたった1本のシナノマンサクである。まだ枯葉を纏った枝先に、錦糸卵のような黄色い花が縺れている。久住高原の牧の戸峠から、沓掛山、星生山、硫黄山、三俣山の山腹で、時には名残り雪を纏いながら咲き広がるマンサクとは、一味違う佇まいである。
 マンサク(満作)、山で一番早く咲くから「まず咲く」が訛ったという説と、「豊年満作」から来たという説と……これも例によってネット情報だが、中国を原産地とするシナノマンサク(支那満作)は、この辺りでは此処でしかお目に掛かったことはない。写真に納め、休む間もなく再び御笠沿いを戻った。

 吹き寄せる風にさざ波が立つ川面に、いつものように一羽のシラサギが魚影を求めて佇んでいる。スズメやセグロセキレイが飛び交う中に、珍しく1羽のヤマガラがオレンジ色の腹を光らせながら枯れすすきに掴まっていた。濡れ羽色のカラスの漆黒の羽に、早春の日差しが跳ね返る。
 川面に枝垂れる桜並木は蕾も固く、3月24日と告げられた開花予想まで、まだひと月を残している。その硬い枝先の遥か上空を漂う片雲も、今日は急ぎ足で風に流されていた。
 
 行きがけには凍えそうだった手も温もり、汗ばむほど温まった身体で帰り着いた我が家で、真っ先にコーラを抜いた。1時間10分、7800歩、目標の8000歩に少し及ばない急ぎ歩きだった。
 
 温州ミカンから、落果した八朔に替えたのが気に入らないのか、今日のメジロの囀りは少し不満げである。
                     (2016年2月:写真:シナノマンサク)
  

早春の幾何学模様

2016年02月07日 | つれづれに

 春が立った。

 乱調気味の今年の冬である。39年ぶりの25センチの積雪、雪解けの屋根から落ちる雪爆弾…八朔を20個ほど叩き落とし、ラカンマキの垣根をずたずたにして、ようやく雪の塊が溶け消えたのは6日後だった。
 木枯らしは依然続く。知人が手作りして届けてくれた恵方巻きを南南西に向かって黙々と食べ、暦の上の「名のみの春」が立った翌日、出入りの植木屋に頼んで八朔を捥いでもらった。
 以前は、身をよじりながら木に登って自分で収穫していたが、無理が嵩じて左肩の腱板を断裂、内視鏡手術で2ヶ月入院と6ヶ月のリハビリに明け暮れる羽目になって以来、出入りの植木屋に頼むことにしている。
 緑の葉に隠れていた夏の頃は、今年は不作、せいぜい数十個かな?と諦めかかっていたが、秋が深まり色付くにつれ数が増し、例年より小ぶりながら、最終的に170個の収穫となった。
 植木屋の説によれば、農家では12月に収穫して、木陰に藁を敷いて上に蓆を被せ、雨風に曝して3月ごろ市場に出すという。そのくらい寝かせた方が甘く美味しくなると言い張る。
 我が家では、使っていない仏間に新聞紙を拡げて転がし、2週間ほどで食べ始める。「それでも充分に美味しいよ!」と言ったら、植木屋は「1週間ごとに食べてみて、一番おいしい時期を見付ける」と我を張る。毎年恒例の言い争いを楽しみながら収穫を終えた。
 見栄えはともかく、味では定評がある我が家の八朔である。

 ネットで引いてみると、こんな記載があった。
 <ハッサクの収穫は12月頃から始まります。通常は2月中旬位には収穫を終えますが、完全に木成りで完熟させたものは3月中旬頃が収穫時期となります。
ハッサクは通常収穫後1カ月から2カ月程貯蔵され、酸味が落ち着いてから出荷されます。「八朔」とは、旧暦の8月1日の事で、昔は毎年その時期から食べられるようになることからこの名が付いたとされていますが、今ではさすがにそんな真夏には食べられません。
 最も美味しく食べられる旬は2月から3月です。また完熟ものは3月から4月中旬位までとなります>

 勝負あった。しかし、わが家は我が家なりに、好みの酸味で味わうことにしよう。

 雪爆弾に落とされた20個、植木屋にお礼として持ち帰ってもらった20個、そして枝先高く採りにくい20個あまりを鳥の為に残して、部屋に転がした数は110個ほどになった。暫く寝かせて、3月まで食べ続けても食べ切れない数である。また例年のように、幾つかを刻み煮詰めてマーマレードに練り上げることにしよう。
 大きさの順に並べて、綺麗な幾何学模様を写真に残した。「本当の春」になったら、また油粕と骨粉の混合肥料をお礼肥えに埋める。

 間近に迫るほど、待ち遠しいのが春である。寒波にも倦んで、雨や雪の多い毎日に山道の散策からも遠ざかる日々に疲れてきた。

 また雪になった。燈篭の上に置いた二つ割のミカンが、みるみる雪に覆われていく。先程まで啄んでいた2羽のメジロは、柊の枝陰に避難して「あゝ、ボクの朝ご飯が……」と、寂しげに啼いている。
 島田の山奥に住む家内の友人から、「オオイヌノフグリが咲きました!」という便りが届いた。
 そうだ、空が晴れたら、天神山散策路に春の便りを探しに行こう。
                      (2016年2月:写真:我が家の八朔)