蟋蟀庵便り

山野草、旅、昆虫、日常のつれづれなどに関するミニエッセイ。

砂に願いを…

2007年02月19日 | つれづれに

 突然、天使が舞い降りた……。

 念願のグリーンカードを手に入れ、アメリカでの永住権を得た。「ゴメンネ、多分もう日本には帰らずに、アメリカで一生過ごすと思うよ。結婚もしないつもりだし…」そんな下の娘に微笑みながら頷いたのはいつのことだったろう。
 兄の手術に2度の広島往復を重ねた2006年師走の慌しさの中、突然の報せだった。サルサのパートナーであり、スキューバ・ダイビングの仲間だったM君と電撃的挙式。ビザの関係で一旦日本に帰っていたM君が、1年振りにようやく再びアメリカに帰ったのが11月の初めだった。先年、娘のコンドミニアムを訪ねた時に出会いは済ませてある。一緒にブライス・キャニオンのトレイルを歩き、メキシコ・ロスカボスに30年間のオーナーシップを持つ娘のセカンドハウスに旅する予定だったが、直前になってM君が仕事中に腰を痛め動けなくなってしまった。数日看病した後、落ち着いたところで、彼抜きでメキシコに向かったのだった。
 昨年6月のヨセミテのキャンプ、ブライス・キャニオンのトレイルにも同行する予定だったのに、彼のビザ取得が遅れて叶わなかった。明るく素直な性格は話していても心地よく、娘にとっても長い海外生活の緊張を和らげる癒しの存在と思われた。何となく一緒になることを、本人達も私達も当たり前みたいに感じ始めていた。
 仮りの仕事のビザを取って再渡米を果たしたものの、彼の夢であるダイビング関係の定職を得るためにはグリーンカードが欲しい。その為には、永住権を持つ娘がアメリカ市民権を取り、とりあえず形ばかりに入籍をすれば直ちに実現する。(どうやら、そんな仕組みらしい)。直前になって、折角だからウエディング・ドレスを着せたい、じゃあ夕日のビーチで親しい友達に立ち会ってもらって式を挙げようという彼の希望で……あれよあれよという間に話が変わっていったという。「正式には、来年秋にロスカボスかテメキュラで披露するから、その時には来てね!」直前に電話してきた娘の声が弾んでいた。
 ラグーナのコンドミニアムにほど近いデーナ・ポイントのビーチを借り切り、燃えるような夕日を背に、牧師と親しい4人の友人だけに祝福されて誓いの言葉を交わした。挙式のビデオと写真が届いたのは、年が明けて暫く後だった。波音が響き、汀を海鳥が歩く。真っ赤な夕日が南カリフォルニアの空を染めて水平線に沈んでいく。牧師が手にしたガラスの壷に、二人の手で二つの貝殻から交互に白とグレイの砂が注がれていき、やがて壷の中に美しい縞模様が出来上がる……初めて見る感動的な誓いの儀式だった。これほど見事に美しい模様が出来ることは珍しい、という牧師のコメントが付いていた。あんなに優しく嬉しそうな娘の顔を見るのは何年振りだろう。異郷の一人暮らしに、いつも何処か気を張って生きているようだった娘の、すっかり気を許した柔らかな表情を見るだけで、もう何も言う言葉はなかった。 

 大晦日、いつものように除夜の鐘を撞いた。パーカーのポケットに手を入れ、温もりを握り締めるようにしながら光明寺に並んだ。合掌して23番目の鐘に煩悩を払い、篝火を背に次の人に譲って鐘の余韻に浸るとき、胸の奥にほのぼのと兆すものがあった。天満宮の宵参りのざわめきが潮騒のように背中を押してくる。中天にオリオン座を仰いで、九州国立博物館への九十九折の坂道をゆっくりと辿りながら、心の温もりを確かめていた。上の娘に二人の孫を授かり、下の娘に新たな門出を迎えた。気持ちのどこかに、これで本当に親としての役目が全て終わってしまったという、喩えようのない感慨がある。それは、少し淋しさの混じる想いでもあった。

           (2007年2月:写真:誓いの壷)