育ち始めた晩白柚の小さな実を揺らしながら、爽やかに緑の風が吹いた。その繁った葉陰にテーブルと4脚の折りたたみ椅子を並べ、和やかに語らいながら珈琲を喫む。煌めきながら落ちてくる木漏れ日には、もう夏の苛烈さの片鱗があった。傍らに置かれた籠には、掘ったばかりのラッキョウの山、玉葱、掘りたてのジャガイモ……豊かな大地の恵みの数々だった。
「ラッキョウ、そろそろですよ!」
Y農園の奥様から誘いのメールが来た。待っていたお誘いだった。3年ほど前から、我が家の為にラッキョウを育てていただいている。「草取りぐらい、お手伝いさせてください」という約束を全く果たしていないのに、カミさんを伴って、いそいそと収穫に駆けつける我が身が、ちょっと面映ゆい。
観世音寺の駐車場に車を置き、境内を抜けて裏に出ると、やがてY農園の300坪の畑に行きつく。ご主人が耕耘機を走らせていた。
「あとで、蕎麦の種を蒔きましょう!」と誘っていただいた。
畝から溢れそうにラッキョウの葉が繁っていた。昨日の雨で柔らかくなった畑に屈みこみ、豪快に株ごと鷲掴みして引き抜く。股関節の痛みも忘れていた。ひと株に、粒ぞろいのラッキョウが20個以上下がっている。10分足らずで二つの畝にそれぞれ2列に植えられたラッキョウを抜き上げて測ったら、およそ15キロ!5センチほど茎を残して葉を切り取り、根っこを切ると、およそ8キロの収穫になった。
収穫は一瞬、しかし、耕し、肥料を施し、芽生えから育て、雑草を抜き……此処までには、汗を流して丹精を込めて見守ったご夫妻の長い長い時間が流れている。最後の恵みだけを分けていただく果報を噛みしめるばかりだった。
「今度は、ジャガイモ掘りましょう!」
畝を半分残して掘らせていただいた。抜き上げた根っこに大小さまざまなジャガイモが下がっていた。更に、手と鍬で気を付けながら土を探ると、一段と大きな真っ白なジャガイモが出てくる。
そうか、こんな収穫の喜びがあるから、農作業の過酷さが報われるのか。
子供の拳ほどのものから、小指の先ほどのちっこいものまで、もったいなくて全部籠に入れた。籠の目から落ちないように、奥様が底に手早くジャガイモの葉を敷き詰める……農作業に手慣れた人の知恵が、こんなところにさりげなく垣間見える。
「ついでに玉葱も……!」
殆ど地上に出てしまっている玉葱は、掘るというより拾う感覚である。
「初物のキュウリもどうぞ!」
棘とげの食べごろの1本だった。トマトにも、小さな青い実が育ち始めていた。初めて見たズッキーニは異質な驚きだった、キューリの花に似た黄色い5弁の花はビックリするほど大きく、八方に大きな葉を拡げたその下に、異様な存在感でズッキーニが横たわっていた。ピーマンも一つ頂いて、1時間ほどで収穫を終えた。
大きく繁った牛蒡の葉に、もう厚かましく次の収穫への期待がある。
すこし上気した頬の火照りを心地よく感じながら、テーブルを4人で囲んで、淹れてきた遅めのモーニング珈琲を味わった。見上げる青空は、眩しいほどの五月晴れだった。
「洗って茎や根を落としたら、正味2キロですよ」と、気前よくおよそ3キロのラッキョウを分けていただき、持ち切れない収穫を、ご主人がバイクで駐車場まで運んで下さった。
誘っていただいていた蕎麦の種蒔きを忘れていたことに気付いたのは、帰り道の途中だった。園芸用にいただいていた手袋を忘れて置いて来たことに気付いたのは、更に翌日の朝だった。それほど気持ちを舞いあがらせてしまった、豊かな大地の恵みだった。
畑仕事の経験のない私たちにとっては、紛れもなくハレの「収穫祭」だった。
(2018年5月:写真:抜き上げたラッキョウ)