蟋蟀庵便り

山野草、旅、昆虫、日常のつれづれなどに関するミニエッセイ。

大地の恵み

2018年05月26日 | つれづれに

 育ち始めた晩白柚の小さな実を揺らしながら、爽やかに緑の風が吹いた。その繁った葉陰にテーブルと4脚の折りたたみ椅子を並べ、和やかに語らいながら珈琲を喫む。煌めきながら落ちてくる木漏れ日には、もう夏の苛烈さの片鱗があった。傍らに置かれた籠には、掘ったばかりのラッキョウの山、玉葱、掘りたてのジャガイモ……豊かな大地の恵みの数々だった。

 「ラッキョウ、そろそろですよ!」
 Y農園の奥様から誘いのメールが来た。待っていたお誘いだった。3年ほど前から、我が家の為にラッキョウを育てていただいている。「草取りぐらい、お手伝いさせてください」という約束を全く果たしていないのに、カミさんを伴って、いそいそと収穫に駆けつける我が身が、ちょっと面映ゆい。
 観世音寺の駐車場に車を置き、境内を抜けて裏に出ると、やがてY農園の300坪の畑に行きつく。ご主人が耕耘機を走らせていた。
 「あとで、蕎麦の種を蒔きましょう!」と誘っていただいた。

 畝から溢れそうにラッキョウの葉が繁っていた。昨日の雨で柔らかくなった畑に屈みこみ、豪快に株ごと鷲掴みして引き抜く。股関節の痛みも忘れていた。ひと株に、粒ぞろいのラッキョウが20個以上下がっている。10分足らずで二つの畝にそれぞれ2列に植えられたラッキョウを抜き上げて測ったら、およそ15キロ!5センチほど茎を残して葉を切り取り、根っこを切ると、およそ8キロの収穫になった。
 収穫は一瞬、しかし、耕し、肥料を施し、芽生えから育て、雑草を抜き……此処までには、汗を流して丹精を込めて見守ったご夫妻の長い長い時間が流れている。最後の恵みだけを分けていただく果報を噛みしめるばかりだった。

 「今度は、ジャガイモ掘りましょう!」
 畝を半分残して掘らせていただいた。抜き上げた根っこに大小さまざまなジャガイモが下がっていた。更に、手と鍬で気を付けながら土を探ると、一段と大きな真っ白なジャガイモが出てくる。
 そうか、こんな収穫の喜びがあるから、農作業の過酷さが報われるのか。
 子供の拳ほどのものから、小指の先ほどのちっこいものまで、もったいなくて全部籠に入れた。籠の目から落ちないように、奥様が底に手早くジャガイモの葉を敷き詰める……農作業に手慣れた人の知恵が、こんなところにさりげなく垣間見える。
 「ついでに玉葱も……!」
 殆ど地上に出てしまっている玉葱は、掘るというより拾う感覚である。

 「初物のキュウリもどうぞ!」
 棘とげの食べごろの1本だった。トマトにも、小さな青い実が育ち始めていた。初めて見たズッキーニは異質な驚きだった、キューリの花に似た黄色い5弁の花はビックリするほど大きく、八方に大きな葉を拡げたその下に、異様な存在感でズッキーニが横たわっていた。ピーマンも一つ頂いて、1時間ほどで収穫を終えた。
 大きく繁った牛蒡の葉に、もう厚かましく次の収穫への期待がある。

 すこし上気した頬の火照りを心地よく感じながら、テーブルを4人で囲んで、淹れてきた遅めのモーニング珈琲を味わった。見上げる青空は、眩しいほどの五月晴れだった。

 「洗って茎や根を落としたら、正味2キロですよ」と、気前よくおよそ3キロのラッキョウを分けていただき、持ち切れない収穫を、ご主人がバイクで駐車場まで運んで下さった。
 誘っていただいていた蕎麦の種蒔きを忘れていたことに気付いたのは、帰り道の途中だった。園芸用にいただいていた手袋を忘れて置いて来たことに気付いたのは、更に翌日の朝だった。それほど気持ちを舞いあがらせてしまった、豊かな大地の恵みだった。
 畑仕事の経験のない私たちにとっては、紛れもなくハレの「収穫祭」だった。
                 (2018年5月:写真:抜き上げたラッキョウ)

What’s up?

2018年05月18日 | つれづれに

 しっとりと空気が重くなり、雨の匂いが濃くなった。庭の片隅から、俄かにアマガエルの鳴き声が弾き出されるように響き始めた。季節を2ヶ月も先取りした気温は31.9度、7月下旬の梅雨明けの頃の気温である。30度超えを二日続けた後、雨が来た。纏わりつく湿気が、全身から汗を滲み出させる。身体はまだ5月、いきなり7月に順応しろと言われても、そうはいかない。
 奄美、沖縄は既に梅雨、例年より早めの梅雨入りが予想される空気の重さだった。お天道様の御乱行が益々過激になる。

 2週間ほど続いたハチの授粉活動にようやく終わりが来た。朝夕掃き続けた花びらや雄蕊が少なくなり、その代りに小さな実が自然摘果で八朔の樹の下や道路を覆う。数百数千の小さな実を落とし、生き残ったものだけが秋に向けて大きく育つことを許される。どれほどの数が木枯らしの中で黄金色に色づくか……それは神のみぞ知る自然の摂理である。秋の実りを数えるまで、お裾分けの約束は控えておこう。

 「母の日」のプレゼントに、京都と太宰府・御笠川沿いの満開の桜をあしらったお手製のカレンダーが送られてきた。カリフォルニアに住む次女が、日本から帰った後、2週間かけて自分で編集し、カナダの業者に作らせて送ってくれた作品である。出荷元のミスで、郵便番号だけで届いたために、郵便局員が混乱して確かめに訪れた。彼の立会いのもとに荷を開けてみたら、いきなりカミさんと私が桜の下で微笑む写真が現れ、「あ、間違いありませんネ」と笑って局員が置いて行った。休日が、アメリカ仕様になっているのがご愛嬌である。

 実はカレンダーに先立ち、同じく坂東玉三郎をあしらった便箋とメモ帳と封筒とシールがカミさんに、序でに「父の日」の先取りで、ココペリのメモ帳と16枚のシールが私宛に届いていた。これもお手製である。
 「お父さんは定年退職してスーツを着なくなったから、ネクタイとかカフス、タイピンという定番のプレゼントが選べなくなった。何を贈ったらいいのか、困る~!」と毎年歎きながら、何か工夫して贈ってくれる。

 アリゾナを旅して以来、ココペリ(Kokopelli)にハマった。置物、キーホルダー、キーハンガー、リスト・バンド、鍋つかみ、テーブルセンターなど、我が家のあちこちにココペリがいる。
 「平和の民」を意味するネイティブ・アメリカンの部族のひとつであるホピ族のカチナ(精霊)の男神の一人であり、笛を吹くことで豊穣・子宝・幸運をもたらすと伝えられている。妻はココペルマナという。背中を丸めたキリギリスの形をして、触角と巨大な男根を提げ、縦笛を吹きながら旅をする。微笑ましい姿が妙に心に残って、アメリカに旅する度にココペリ・グッヅを探していた。
 アリゾナにあるホピ族の保留地はナバホ族の保留地に囲まれ、たしか1時間の時差まで設けていると聞いた覚えがある。

 シールの擬人化されたココペリが「What’s up?」と声を掛けてくる。親しい者同士が交わす至ってカジュアルな挨拶である。「How are you!」と改まらず、「どうしたの?」「元気?」、もっと砕けて「うぃ~っす!」というような意味で使われるという。返す言葉も「I’m fine!」などと改まらず、同じく「Hey,What’s up」と返したり……娘が解説してくれた。「どげんしたと?」というような意味だよ、と。「Hey!」とか「Hi!」、メキシコのリゾートホテルのプールサイドで、バナナマルガリータを運んでくるボーイと交わしたスペイン語の「Hola(オラ)!」みたいなものらしい……なるほどと、納得!

 ようやく暖房カーペットとストーブを片付け、小雨の中に閉じ込められて無為徒食……読書にも倦んで、やることもなく黙ってホトトギスの初鳴きを聴いていた。
    、               (2018年5月:写真:ココペリのシール)

復活への助走

2018年05月11日 | 季節の便り・虫篇

 染み入るような感慨があった。木漏れ日を浴びながら、何時ものマイベンチの倒木に腰を下ろして、吹き過ぎる風に包まれていた。。
 5ヶ月ぶりの「野うさぎの広場」だった。

 明日、久し振りにフレンチレストラン「きくち亭」での「五人会」のお食事会を控え、大掃除をした。九州国立博物館で6年間環境ボランティアを楽しんだ。その初めの3年間、害虫や温湿度、埃などを見守る環境ボランティアの活動を紹介する3種類の小冊子を編集した仲間たちである。もう何年になるだろう、気の合う5人が時折集まって食事とおしゃべりを楽しむ。お食事会のあと、我が陋屋・蟋蟀庵でコーヒーブレイクをとるのが恒例になっている。

 8度ほどだった朝の気温がぐんぐん上がり、汗ばむような陽気になった。真っ青な初夏の青空を見上げて、ふと歩いてみようと思った。歩けそうな気がした。
 股関節を傷めて以来、ずっと禁じていた博物館裏山の散策。3000歩を上限と言われて、既に5ヶ月リハビリに励んでいる。朝晩30分、13種類のストレッチと2キロのウエイトを足首に巻いて7分間の足上げ、週2回整形外科に通って、10分間のマイクロ波照射、30分のマッサージとストレッチ、3キロの負荷をかけて7分間の足上げ……その成果を信じ、試してみたいという気もあった。

 ショルダーバッグを担ぎ、レンズ2本とカメラを提げて歩き始めた。股関節周辺の筋力を鍛えて動きをカバーするリハビリだが、股関節自体の痛みが取れたわけではない。「京都の階段と坂道を、8000歩も歩いたじゃないか……」と言い聞かせながらも、多少の不安がないわけではない。
 団地を抜け、89段の石段を上がる。いつもよりゆっくりしたペースを保ちながら、股関節を捻らないように気を付けて歩く。博物館の脇を抜け、湿地帯の谷間の散策路にはいる。四阿でひと息入れ、イノシシに2度も遭遇した小暗い径を進むと、やがて106段の九十九折れの階段になる。
 「大丈夫、歩いてる!」
 一旦車道にあがり、すぐに左に折れて山道にはいる。孟宗竹の枯葉がくるくると螺旋を描きながら降る山道が無性に懐かしかった。竹林から檜、そして雑木林と変化する緩やかなアップダウンを、風に吹かれながら辿った。嬉しいことに、いつもの場所に、5か月前に置いたままのマイストックの枯れ枝が待ってくれていた。今日も、人っ子一人通らない秘密基地への私の散策路だった。時折ヒカゲチョウが樹幹に舞うが、カメラを向ける間に飛び去ってしまう。
 最後の落ち葉の急坂を、滑らないように落ち葉を払い、足場を固めながら登りあがった。木漏れ日の下に、「野うさぎの広場」が拡がっていた。
 もうハルリンドウはとっくの昔に咲き終っていたが、まだ蜘蛛の巣も張られず、藪蚊もいない静寂の空間だった。

 「来れたね!来てしまったね!!」
 ペットボトルの水を口に含みながら、染み入るような感慨に浸っていた。「いつものように普通に歩きたい!」という、本当にささやかな希望が叶えられないじれったさに、5ヶ月も苛まれていた。少し気短になったのは歳のせいもあるが、こんな小さな希望が満たされないストレスもあったのだろう。

 木漏れ日を吹き渡る風に微かな野性を感じながら、満ち足りて帰途に就いた。バッグに下げたカウベルがリンリンと鳴る。
 湿地の道端で、懐かしいイシガケチョウが翅を休めていた。近畿地方を北限とする蝶である。おぼろ昆布のようなその姿も、徐々に生息圏を北に広げつつある。クローズアップ機能付き望遠レンズの出番だった。風に吹き倒されそうになりながら、翅を閉じたり開いたりして、暫く私の「散策路復帰」を祝ってくれていた。

 帰り着いた歩数計は7230歩を示していた。距離にすれば3.5キロほどしかないが、89段と106段の階段の上り下りと山道である。2時間かけてゆっくり辿った散策路は、私にとっては復活への助走路でもあった。
 欠かさず続けているリハビリ・ストレッチの成果だろう。股関節の賞味期限が少し延びたかもしれない……そんなことを思いながら、頑張った股関節を労わり、撫で摩っていた。

 普通であることが、こんなに嬉しいものだとは……!
                (2018年5月:写真:道ばたに憩うイシガケチョウ)

爽やかな求愛

2018年05月10日 | 季節の便り・虫篇

 八朔の花が爆発するように咲き始めてから、雨と風の日々が続いた。そんな中を、薄明の頃から黄昏まで、休むことなくマルハナバチが吸蜜と花粉集めを続けていた。その活動が、結果として八朔の授粉を進める。朝晩箒で掃いても掃いても、授粉を終えた花びらや雄蕊が雪のように散り拡がる。こんなに咲いて大丈夫だろうかと思うほどの花の数である。

 同じミツバチ科に属しながら、マルハナバチはミツバチと異なり、仲間に知らせることもなく思い思いに蜜を集める。体毛が長いから、花粉を集めるには効率が良いらしい。
 世界中に250種類もの仲間がおり、日本には15種が生息する。熱帯で進化したミツバチに対し、マルハナバチは北方で進化したといわれる。だから寒さに強く、こんな雨風の中でも35度~40度の高い体温を維持して活動を続けられるのだろう。
 あの冷たい雨の中、ミツバチの出番はなかった。

 昨年は2個という貧作に哭いた。この花の量からみて、今年は豊作間違いなし……と思う反面、咲き誇る白梅に、「今年は大豊作だから、梅の実を半分わけてあげるよ」と植木屋に約束したのに、裏切られて僅か10個余りが申し訳なさそうに実を膨らませている現実を見ると、秋の台風シーズンを終えるまではまだまだ安心出来ない。
 「実が着くまで、約束したらいかんよ。あてにはしとらんかったけど……」と植木屋が笑う。

 健気なマルハナバチの働く姿を写真に撮りたくて、爽やかな初夏の大気を震わせる羽音に包まれながら、マクロ機能付き望遠レンズを嚙ませたカメラを向けた。しかし、ひとつの花に留まるのは僅かな時間であり、ピントを合わせる間に、もう次の花に飛び移っている。
 散々無駄なシャッターを押した挙句、とうとう諦めかけていたとき、梢の向こうから2頭のアオスジアゲハが弾かれたように青空に舞い上がった。俊敏な飛翔を見せる蝶であり、飛ぶ姿を撮るのは至難の技である。たまたま雌と雄の求愛行動だったのだろうか、風に身を委ねて揺蕩うようにゆったりと舞ってくれた。ピントは完璧ではないが、青空をキャンバスに美しい姿を捉えることが出来た。
 「うん、悪くない!」と一人ほくそ笑む午後だった。

 「飛翔」という言葉が、これほど似合う蝶はいない。
 黒い翅に半透明の翡翠色の帯が連なる美しい蝶である。アサギマダラと同じく、この翡翠色の帯には鱗粉がない。食草となるクスノキが多い太宰府は格好の生息地であり、わが家の庭を掠め飛ぶのも珍しくない。
 なぜかクロタイマイという別名を持つが、その由来は定かではない。タイマイ(玳瑁・瑇瑁)?……甲羅が鼈甲細工になる海亀のことだが、クロタイマイとは、どんな由来があるのだろう?

 久し振りの青空だが、朝晩の空気は3月の冷たさを秘めており、わが家ではまだ暖房カーペットとガス・ファンヒーターを片付けられないでいる。
 来週は30度の予報が出ている。やれやれ、お天道様のご乱行に振り回されて、合物と夏物の狭間で、着るものに右往左往する年寄り夫婦であった。
 ヤブコウジを根こそぎ取り払ってすっきりした木陰に、ユキノシタが可憐な踊り子を並べ、ドクダミが白い花を立てた。
                 (2018年5月:写真:アオスジアゲハの飛翔)


豆を刈る…木漏れ日の珈琲タイム

2018年05月01日 | 季節の便り・虫篇

 みっしり蕾を着けた晩白柚の木陰の椅子に座り、初夏の風に吹かれながら淹れてきた珈琲を啜った。小さなジャノメチョウが数頭、足元の草むらで戯れている。茶褐色の翅に、威嚇するような蛇の目が捺されている。晩白柚の梢を掠めるように、クロアゲハが飛んだ。目を閉じると、瞼の裏でオレンジ色の木漏れ日が躍る。このままシートを敷いて微睡んだら、どれほど気持ちがいいだろう。
 日吉神社の小さな丘の陰に広がる300坪の畑は、夏野菜の植え付けも終わり、綺麗に整備されていた。

 「スナップエンドウを摘みにいらっしゃいませんか?」とY農園の奥様から誘いのメールが来た。楽しみに待っていた「豆刈り」である。
 365連休のシルバー達が、ひっそりとやり過ごそうとしているゴールデンウイーク、最初で最後の遠出(?)である。愛飲の珈琲「モカ・バニーマタル」を挽いて淹れ、サーモスに注いでいそいそと車で出かけた。走ること5分!二つの丘に囲まれた日溜まりで、Yさんが待っていた。ご主人は公民館で仕事中という。
 早速畑に取りつき、ぷっくり膨らんだスナップエンドウを摘ませていただいた。幾つも並んだ畝には、グリンピース、玉葱、赤玉葱、トマト、茄子、キューリ、南瓜、瓜、ラッキョウなど、お裾分けを約束されている野菜の数々が育っていた。
 つい欲張りそうな気持ちを宥めて、ほどほどにスナップエンドウを摘んだ。

 ふと生じた疑問……スナップエンドウ?スナックエンドウ?どちらも市民権を得て普通に使われているが、さて?
 早速ネットのお世話になる――原産地アメリカではsnap garden peas(パチンと音を立てて折れる、庭のえんどう豆)。つまり、スナップエンドウが本来の名前である。「輸入時にスナックと言い違えた」とか、「大手種苗メーカーが、スナック菓子のように手軽に食べられることから、種子の商品名をスナックエンドウと名付けた」とか、諸説あるらしい――どちらの名前でも納得出来るし、ビールのつまみとして、枝豆に拮抗する夏のご馳走には違いない。

 摘み終って、木陰でのコーヒー・ブレイクとなった。カリフラワーのようにモコモコした楠若葉を包み込むように、新緑が眩しく日差しに照り映える。4月の晦日、爽やかな風に吹かれながら、Yさんとカミさんと3人の和やかな会話が弾んだ。

 満たされ癒されて帰った我が家の庭の八朔の下をくぐると、蜂の羽音が聞こえてきた。少し重めの音はマルハナバチ、軽い羽音のミツバチや、ホバリングの名手・ホソヒラタアブも頑張って授粉してくれているようだ。
 日向の庭では、3匹のハンミョウが走り回っていた。我が家の居候が、家主への断りもなしに、いつの間にか仲間を増やしていた。
 マクロ機能がついた優れものの望遠レンズをカメラに嚙ませて、走り回るハンミョウを追った。俊敏な脚についていくのは至難の業であり、40枚ほどシャッターを切った中で、納得のポーズを見せてくれたのはたった1枚だけだった。精悍な顎を持ち上げて庭を睥睨し、小さな虫を探している。道を教える彼らも、すっかり舗装された道路での捕食は難しいのか、土の庭を駆けることが多くなった。

 ゴールデンウイークも後半にはいる。また民族大移動の渋滞を経て、季節は一気に初夏の輝きを増していく。
               (2018年5月:写真:精悍なハンミョウの勇姿)