無数の蝋燭が心字池にかかる太鼓橋を彩り、大宰府天満宮の秋の大祭が終わった。夏への訣別。昼間の日差しにはまだ夏の未練が垣間見えるものの、この祭が終わると太宰府の秋は俄かに足取りを速める。
鈴虫の声が途切れようとしている。昨夜、生き残った3匹のうちの一匹が足を縮め、虫かごの片隅でひっそりと短い生涯を終えた。およそ2ヶ月の間、綺麗な声を聴かせてくれたことを思い、じんと来るものがあった。朝の涼しい風の中、庭の隅のアセビの根方に、ティッシュで包んで埋めた。それは過酷だった今年の夏の弔いでもあった。小さな身体で鳴き続けた2ヶ月の健気な一生だった。弔いに花を添えるように、淡くピンクを掃いた白花ホトトギスがこの秋初めての花をつけた。
いつもの山仲間から、秋の久住高原に山野草探訪の誘いが来た。町内の行事が続く中の忙中有閑、山小屋の一泊が気持ちをそそる。先日痛めた右足に不安があり、暫く休んでいた天神山の急ぎ歩きに出掛けてみた。
団地を抜け、県道を踏み渡って、間もなく開館する九州国立博物館の4つのアクセスのひとつ、九州歴史資料館脇の坂を上がる。太郎左近社の小さなお社の脇ののり面にススキが穂を開いて秋を告げ、下って右手には国立博物館の青い大屋根が日差しに輝いていた。西高辻宮司の屋敷の裏塀を迂回し、裏から菖蒲池の畔に出て右折すると、博物館へのアクセス・ステーション。甍を反り返したエスカレーターから動く歩道を連ねるトンネルは、七色のイルミネーションが変化するロマンティックな空間である。
だざいふ遊園地の脇から天神山への山道を上がる。ジグザグ道を一気に登り詰めると、静かな遊歩道が遊園地を巻くように続く。まだ青いドングリが落ち、道端には丸い玉を頂に置いたウバユリの茎がすっくと立ち上がり、法師蝉が名残の声を落としてきた。伏見稲荷から分霊した天開稲荷のベンチでひと休みし、木立をくぐる秋風に吹かれた。汗に濡れた身体を撫でる風の心地よさはいつもながら喩えようがない。
ドングリを拾いながら小さな起伏を歩き、下って車道を右折すると、道はやがて博物館へのアクセス道路と平行する。どの道もほぼ完成し、植え込みも根付いた。アジアへの文化の発信がやがてここから始まる。
再び40度の急傾斜を身体を前に倒しながら登り上がる。ここは歩く人も少なく、台風で倒れた木や枯れ枝が散在していた。ひとつひとつ片付けながら梅林の中を下ると鬼すべ堂の傍に出て、やがて再び遊園地の前に戻ってくる。私のお気に入りの小一時間の散策路である。
夕風が吹く。日除けの簾を巻き上げるように、時折強く吹きすぎる。夏の背中はもう遙か遠くに消えようとしていた。
(2005年9月:写真:シロバナホトトギス)