夕暮れになると、雨が来る。花粉症気味の潤んだ目に、菜種梅雨の密やかな雨音が愁いを深め、気分がすっきりしないままに閏年の短い2月が暮れていく。気が重くなるほど晴れ間の少ない温かな2月だった。
映画「レッド・クリフ」を観て、50数年ぶりに吉川英治の「三国志」を読み直す気になった。高校入試直前、突然全巻(当時は、全13巻の単行本だった)を読み直す気になって、1週間前に受験勉強を放棄、受験日までに全巻読み上げたら合格するという暗示を自分にかけた。昨今の受験戦争から見れば、小競り合いとしか言えないのどかな時代である。連日半徹夜で2巻ずつ読み通し、受験前夜に読了してすっきりとその日を迎えた。修猷館高校合格は、もう確信の中にあった。
中学3年の頃初めて読んで、それぞれのページに溢れる四字熟語や漢語に陶然となった。後に「十八史略」や「史記」にのめりこむことになるきっかけである。友人と「出師の表」を暗記しようと競い合った日々の名残が、まだ記憶の片隅にある。蜀建興5年、劉備玄徳すでに亡きあと、幼帝劉禅を残して宿敵魏との闘いに中原に三軍を進めるに当たり、丞相諸葛亮孔明が残した一千余字に及ぶ血涙溢れる名文である。
「臣亮もうす。先帝創業いまだ半ばならずして、中道に崩殂せり。今天下三分し益州は疲弊す。これ誠に危急存亡の秋なり。しかれども侍衛の臣、内に懈らず忠志の士、身を外に忘るるものは、けだし先帝の殊遇を負うて、これを陛下に報いんと欲するなり。……」この辺りまでは、今もさらさらと唇から溢れてくる。55年前の記憶が定かというのに、つい最近の記憶が薄れていくことに忸怩たる思いがある。ヘルスメーターの体年齢54歳という表記をよそに、古稀の脳の劣化は覆うべくもない。
「……臣、恩をうくるの感激にたえざるに、今まさに遠く離れまつるべし。表に臨みて、涕泣おち、云うところを知らず。」時に孔明47歳、後に秋風哀しく吹く五丈原に病を得て没し、魏の仲達を走らせるに至る、「三国志」圧巻の終盤である。
文庫本5冊3500ページを超える「三国志」を読み終える頃、春は雨の中に確かな歩みを進めていた。2年前に求めて地に下ろしたベニバナアセビが、今年は美しいピンクの花房を葉陰に提げた。散り始めた紅梅の傍らで、キブシが数百の花房を育てている。ヤマシャクヤクの鉢に7本の新芽が開き、天満宮裏山の実生から育てたイロハカエデの根方には、オキノエラブユリが二株伸び始めている。挿し木した沈丁花が、僅か3センチの枝先に白い花を咲かせて目を驚かせる。ミスミソウがいつの間にか鮮やかな紫色の花を開き、昨年種子を弾かせたムラサキケマンが一段と勢力を広げて、庭のあちこちに伸び始めている。バイカイカリソウ、レンゲショウマ、シボリスミレ、サクラソウ、キンミズヒキの芽生えも進んでいる。玄関の脇では、ヒイラギナンテンが黄色の房を幾つも花開かせて……春愁をよそに、自然は季節の歩みを躊躇わない。
束の間の雨の晴れ間に、早くも目立ち始めた雑草を抜いた。その逞しさに、今年も決して勝つことのない雑草との不毛の戦いの始まりである。不毛の闘いなるが故に何故か無心になれる至福の時間でもある。少し明るくなった気持を育てたくて、久しぶりにブログを紡ぐことにした。
鉛色の夕暮れが近付く。今夜は、ご近所の畑から届いたかつお菜で、久し振りのお雑煮をいただくことにしよう。
(2009年2月:写真:ベニバナアセビ)