蟋蟀庵便り

山野草、旅、昆虫、日常のつれづれなどに関するミニエッセイ。

一期一会、一会一生

2008年03月23日 | つれづれに

 陋屋の庭に、一体の地蔵仏が鎮座している。かつて、大分県・国東半島を巡った頃から、藪陰や木立ちの中に見捨てられたように佇んでいる苔むした野仏に憧れてきた。盗み去る者が多く、たくさんの野仏が失われた時代である。束の間佇んで、無言の対話を交わしながら、また車で走る去ることを繰り返すうちに、いつか我が家の庭に小さな野仏を置きたいと思うようになった。

 阿蘇・根子岳を望む高森にアトリエを構えるひとりの画家がいた。松本透さん、家内の中学校時代の恩師の教え子のひとり…もちろん大先輩である。詳しい人となりには敢えて触れない。晩年、末期癌に侵され、余命幾ばくもなく追い詰められた中で、卒業後もずっと慕い続ける教え子や友人達の支援で最後の個展が開かれた。家内に誘われて訪ね、何となく心に迫ってくるものがあって、磨崖仏を影のように描いた深い味わいの一枚の小品を買い求めた。もう時間の問題にある彼岸への旅立ちを不可避なものとして直視しながら、凄惨ささえ感じる雰囲気の中にも、どこか毅然と達観した静寂を感じる人だった。それは、生涯の遺産として並べられた数々の作品が放つ以上に、生々しく強烈な精気の放射だった。
 絵を包んでもらっていたその時、「仏像がお好きな方のようですから、よかったらもらってくれませんか」と持ち出されたのが、高さ7寸余りの一体の地蔵仏坐像だった。「友人の彫刻家からもらったんですが、今の私に仏像はつらすぎて……」と。
 返す言葉を失った。彫り上げたばかりの御影石がまだ真新しく輝き、優しい童顔の中に慈悲溢れる笑みが宿る逸品だった。無償でいただけるような安価なものではなかった。多分、国廣秀峰仏師の弟子、山田義晴さんの作品だと思う。8キロほどの重い地蔵仏を抱いて、郊外電車で太宰府の陋屋に戻った。
 それから程なくして訃報が届いた。庭のサツキの枝陰に仏を座らせ、水を供えた。やがて幾年もの歳月が流れ、仏は雨風にさらされ、巡る季節の抱擁の中で次第に苔むしていった。つい先日、じっくりと待ち望んだ野仏の風格を間近に味わいたくて、庭の隅から持ち出し、剪定を終えたばかりの亡父が残した松の枝下の庭石の上に移した。今日も温かい春の雨の中で、仏は慈愛に満ちた優しい笑みを投げかけている。

 九州国立博物館第2期ボランティアの研修会が終わった。17講座の最後の講義の中で、東筑紫短期大学の池田茂樹教授から「一期一会、一会一生」という言葉を聴いた。人生最高のものは出会い……素敵で豊かな人生とは、どれだけ素敵で豊かな人やものと出会ったかである。おそらく、そんな出会いは100回に1回しかないかもしれない。そんな素敵で豊かな出会いの中で、自分自身を人生の主役として、その人生を後の人たちのために「思い出遺産」として残していこう……講師の言葉に頷きながら、ふと松本透画伯との出会いと、残されて苔むし、風格をにじませる地蔵仏坐像を思い出していた。
 
 もう、出会いより別れの方が多い年齢になった。私自身の「思い出遺産」を積み上げる日々も、やがては尽きるだろう。正の遺産と、負の遺産と……たとえ思い残すことがあったとしても、それは決して修復できない遺産なのである。だからこそ、人それぞれに、人生はずっしりと重い。
 真っ盛りの沈丁花が、空気が重く澱む雨の中で、一段とむせるように香りを深めた。
               (2008年3月:写真:地蔵仏坐像)