未明、半ばうつつの目覚めの枕に、アカショウビンが鳴いた。「キョロロロロ…♪」と先細りに下がっていく少し物哀しげな鳴き声は、これまでこの辺りで聴くことはなかった。
この夏一番の真夏日、太宰府で32.2度をを記録した日の翌朝のことだった。朝晩の温度差が激しく、まだ暑さに馴染んでいない身体にこの暑さはこたえる。長袖こそ着なくなったが、朝の足元のひんやりした冷たさに片づけを躊躇っていた電気カーペットを遂に汗にまみれながら片付け、2階の納戸に仕舞った。突然の猛暑に、夕方のニュースでは熱中症の報道が相次いだ。
夕風が涼気を運び、窓を開けた寝室の夜風は爽やかで、眠りは決して浅くなかったのだが、何となく寝覚めが爽快ではないのが加齢の憾みである。だから余計に、薄明の中でうつつに聴くアカショウビンの鳴き声が物哀しく聞こえたのだろう。
十数年前、4年がかりで「古事記」全編を読み解く読書会の仲間と、神武天皇の生誕に因む宮崎県高原町を訪ねた。「ひむか神話街道」の一角、まだ整備が始まったころの旅だったから、町内に散在する数々のゆかりの場所の所在は分かりにくい。窮して、太宰府名物「梅が枝餅」40個を土産に高原町役場を訪ねたところ、職員の一人が自ら車で先導してくれて、無駄なく訪ね歩くことが出来た。
此処は、「天孫降臨」の舞台とされる幾つかの候補地の中で有力視される土地のひとつである。すぐ近くには、瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)が「浮きたる島の如く見ゆるものを、鉾でかきさぐり」逆さに立てたという「天の逆鉾」秀峰・高千穂の峰がある。瓊瓊杵尊は「筑紫の日向(ひむか)の高千穂のくじふる峰」に降臨されたという。
高原という地名は、天孫族の故郷である高天原に由来されるという。瓊瓊杵尊から4代目の初代・神武天皇は幼名を狭野(さの)尊といい、高原町に狭野という地名があって、奈良時代から神武天皇を祀る狭野神社がある。境内にある樹齢800年の狭野杉の並木は天然記念物に指定されている。
神武天皇は、日南海岸にある鵜戸神宮に祀られる鵜葺草葺不合命(うがやふきあえずのみこと)と玉依姫(たまよりひめ)との間に生まれ、青島神宮に祀られる山幸彦の孫にあたる。高原町には、生誕地と言われる「皇子原」、「皇子神社」、産湯をつかった「産湯石(うべし)」、腰を掛けたと言われる「御越掛石」、幼少期の遊び場だった「皇子滝」、お祓いする時に水を汲んだ「祓川」など、神武天皇に纏わる数々のゆかりに地名が残っている。やがて神武天皇は、松八重川の「狭野渡」を渡って宮崎に旅立って行かれた……ロマンあふれる神話の世界である。
その夜泊った高原の宿で、木立にこだまするアカショウビンの声を聞いた。
アカショウビン……赤翡翠と書くように、ヤマセミと共に、カワセミの仲間であり、唯一渡り鳥である。丁度今は、東南アジアから渡って来て繁殖に向かう時期、ちょっと気まぐれに石穴稲荷の杜に翅を休めたのだろう。鮮やかな赤褐色の身体と真っ赤な嘴、腰には鮮やかな水色がある。「火の鳥」とも言われるその色ゆえに、実は哀しい伝説の持ち主という。以下、ネットからの引用である。
……繁殖期は梅雨時で雨が降りそうな時に鳴くので、雨乞い鳥、水乞い鳥とも呼ばれ、そこからいろいろな伝説が生まれた。
「水が欲しいと空に向かって鳴いているのは、悪いことをして水を飲めない罰を受け、ノドが渇いて雨を求めているのだ」とも、「アカショウビンは、実はカワセミが火事にあい、水がなくて体が焼けて赤くなったものだ」とも、「火事で死んだ娘の生まれかわりで、水恋しと泣いているのだ」とも……
今日も眩しいほどの日差しに、急角度で温度が上昇していく。庭の木陰で、しきりにアマガエルが鳴く。燃えるような日差しに、彼も身体が渇いて水が恋しいのだろう。
(2015年5月:写真:アカショウビン ネットから借用)