蟋蟀庵便り

山野草、旅、昆虫、日常のつれづれなどに関するミニエッセイ。

秋空の群舞

2017年10月27日 | 季節の便り・虫篇

 しつこい秋霖に台風が加わり、長い雨の日々が続いた。日本列島全てから、お日様マークが消えてほぼ2週間、待ち望んでいた秋空が抜けた。
 暖かい日差しに名残りを惜しむように、一斉に蝶が舞い出た。我が家の庭でもキチョウが舞い、アカタテハが軒を掠める。
  観世音寺から裏の畑に抜けると、キバナコスモスでアカタテハが蜜を吸う。木立の間から、コツコツという音が降ってくる。梢の間を覗いたら、コゲラが木を叩いていた。日本で最も小さなキツツキである。モズが鋭く天を突き刺し、ヒヨドリが姦しく秋空を千切る。
 御笠川沿いにはキチョウが縺れ飛び、縮緬の波を立てる川面に魚影を追うアオサギ、シラサギ、マガモ…還ってきた晩秋の日差しは、肌に痛いほどだった。

 読書会の帰り道、26度を超える暖かさに、石穴稲荷の杜の木の上を、珍しくルリタテハが輪を書いて飛んだ。

 カミさんの親友の一人、山ガール(?)のMさんからメールが来た。
 「アサギマダラが、いっぱい来てますよ」
 南に渡る季節である。すぐに車を駆った。我が家から10分足らず、縁結びのパワースポット竈門神社の左脇の道を巻いて、宝満山の登山口に近いWさん宅を訪ねた。庭に秋の七草のひとつ、フジバカマが一面に満開を迎え、そこに数十頭のアサギマダラが乱舞していた。多い日には60頭を超えるという。
 カメラ片手に、至福のひとときを過ごした。近付いても飛び去ろうとはせずに、夢中で蜜を吸い続けるこの蝶は、誰のカメラにも優しい。地面近くに蹲り、青空を背景に飛翔する姿もカメラに収めた。
 諫早から毎年見に来るという夫妻やオーナーのWさん夫妻と、淹れていただいたこ珈琲を啜りながら蝶や山野草談義に時を忘れた。

 春には南から北へ、そしてこの時期は北から南に向かって壮大な渡りを続ける。1000キロ2000キロは当たり前、83日間で2500キロを飛んだ記録さえある。
 大分県姫島のスナビキソウに群れる数百頭はあまりにも有名である。久住高原長者原の自然研究路の外れの木立の下で、ヒヨドリバナに群れる姿を追ったこともあった。

 この花に寄るのは殆どオスばかりである。フジバカマが持つアルカロイドという有毒成分は、実は雌を惹き寄せる性フェロモンの生成に欠かせないものなのだ。それを知って見ると、人の目も気にせずに夢中で吸蜜を続ける姿は、健気でもあり、拍手を送りたくなる。
 花言葉は「ためらい」、「遅れ」、フジバカマの花が少しずつ咲いていくことに因むそうだが、吸う側のアサギマダラには、ためらったり遅れたりする余裕はない。子孫を残す為に、一滴でも多くアルカロイドの蜜を吸い、強烈なフェロモンで雌を誘わなければならないのだ。
 動物のオスの求愛は健気で微笑ましく、時には哀れさを感じることさえがある。草食化を加速し、生殖本能が希薄になりつつある最近の人間のオスも、少しはこの健気さを学ぶ必要があるのかもしれない。ホモサピエンスは既に絶滅の坂を転がり落ち始めているとはいうものの、時々野性に還って、大自然の中で雄叫びをあげるオスでありたいと思う……と言うには、いささか歳を取り過ぎた(呵呵)
 
 花にはアサギマダラだけではなく、ツマグロヒョウモン、アカタテハ、イシガケチョウまで蜜を吸いにやって来た。近付く冬の気配を遠く感じるのか、蝶達の乱舞はいつまでも途切れることがなかった。
 蝶達と共に、私も高く高く舞い上がっていた。

 紅葉には少し早い季節である。
              (2017年10月:写真:フジバカマとアサギマダラ)

平成を折る

2017年10月19日 | つれづれに

 長崎地区の取引先を回った夜、昭和天皇の崩御を聞いた。歌舞音曲自粛の静かな夜、同行した社員が「飲み屋も休みで、飲みに行けない」とぼやいていたのを不謹慎と諭し、昭和の時代の終焉を何となく虚ろな気持ちで噛みしめていた。
 昼間回った長崎郊外の取引先で見事な折鶴蘭を見掛け、ひと株を濡れたティッシュに包んで分けてもらった。三日間の巡回を終え、帰り着いて吊り鉢に植え、風呂場の窓際に吊るした。以来29年、株が増え、伸びた茎(ランナー)の先に次々に新しい子株を着け、その株のひとつを切り取って水栽培すると、縺れ合った綺麗な根の形を楽しむことも出来る。その小さなガラス鉢はトイレの窓を飾って久しい。白い花は限りなく地味である。
 今年の暑さと風呂場の湿気のバランスが良かったのか、29年目とは思えないほど豊かに繁った。風呂場で独り楽しむには惜しくて、ホームセンターに走り、ちょっとした工夫で玄関脇に提げた。

 「三種の神器」という人々の夢の牽引力となった家電品、業界は高度成長の競争力確保の為に、挙って町の電気店の囲い込みを繰り広げていた。「○○電機ストア」「○○ショップ」……メーカー名を頭に掲げ、店舗も車も指定色に塗り上げて、当時は家電売り上げの7割を占めていた町の電気店も、やがて量販店やスーパーの安売り競争に押されて、1割を割り込むまで落ちて行った。その量販店も喰い合って、九州の雄も中国地方の一番手も、関東の量販店に経営を奪われていく。栄枯盛衰の中で、数少ない「町の電気屋さん」は、地域密着とサービス力で今も生き残っている。時代は移っても、失われない温もりがある。
 リタイアして17年、今も島根や徳島、鹿児島の電気屋さんと家族ぐるみの付き合いが続いている。
 思い返せば、決して得手ではなかった営業の仕事に40年も携われたのは、そんな「町の電気屋さん」との温かい付き合いがあったからだと思う。
 毎年6~7月、11月~12月……所謂「季節商品」の最盛期は、300店ほどの店を回るのが慣例だった。予告なしに訪問し、店主が居たら「商売してきなさい」と追い出し、奥様方と語り合う。後継者の二世教育にも関わり、そこから家族ぐるみの付き合いが始まった。

 年号が平成に変わり、長崎支店長として赴任、平成2年11月半ばに島原地区を巡回しているとき、雲仙普賢岳から細い煙が立ち上っているのを見た。
 「噴火の兆候かもしれないね」と、部下の課長と話しながら帰った1週間後、本当に普賢岳が噴火した。
 翌年5月に最初の土石流が発生、やが「火砕流」と言う聞き慣れない言葉がニュースで叫ばれるようになる。
 巡回の途中、水無川に架かる橋の上から、遥か4キロほど先の噴火口から流れ下る小さな火砕流を見上げて翌日、大火砕流が発生して、その橋も呑みこまれた。6月3日、43名の犠牲者を出した大火砕流だった。

 もう四半世紀を過ぎた昔の話である。その時、島原で拾った拳二つ分ほどの噴石と、道端で掬って来た火山灰が、いまも我が家の棚の一角を飾っている。
 火砕流に埋められた家屋も、奇岩累々の平成新山も、今では島原半島の貴重な観光資源……時間が悲劇を浄化していく一例である。
 平成天皇生前退位の意向により、平成も30年で新たな年号に受け継がれようとしている。昭和も遠くなった。私たちも古びた。

 平成を折り続けてきた折鶴蘭のひと鉢が、今日も淡々と折り鶴を折り続けている。
 心癒される生命力の逞しさである。
                      (2017年10月:写真:折鶴蘭)

秋の夜長

2017年10月09日 | つれづれに

 ひっそりと夏を弔った空蝉が二つ、キンモクセイの葉陰で、仄かに甘い香りに包まれて眠っていた。風もないのに、黄金色の花がホロホロと散る。
 落葉の季節……玄関脇のハナミズキが、頻りに落ち葉を舞わせるようになった。起き抜けに掃いても、夕方には又玄関周りや道路を覆う。踏みつけると微塵に砕けてしまうのが、この落ち葉の難。軽い枯葉だから、僅かな風でも隣近所の玄関先まで舞い遊びに行ってしまう。ハナミズキが終われば、ロウバイ、紅梅、楓、キブシと、木枯らしが立つまで、朝夕の私の日課が続く。

 葉を落として見通しが良くなったハナミズキの枝から、たくさんのオキナワスズメウリの実が姿を現した。環境を変えて家の周囲4か所に種子を撒いたが、実を着けたのは此処だけだった。土と日当たりと、様々な要因を探る毎年だが、やはり玄関先だけが実りを見せてくれる。
 消えていったチゴユリ、ミヤコワスレ、キバナホウチャクソウ、チャルメルソウ,ホタルブクロ……いつの間に東側の八朔の下から、南側の塀沿いに移動してしまったホウチャクソウ、増え続けるマンリョウやヤブコウジ、突然蔓延し始めたヌスビトハギ……植物は自ら自分に合った環境を選んでいく。やはり、この庭は雑木林にしたい。
 真っ赤なミズヒキソウが、今盛りである。

 梅の枝に、12センチほどの黄緑色のイモムシが這っていた。食性から、多分スズメガの一種モモイロスズメだろう。梅の木の下に黒い糞が落ちていたから、何かいるだろうとは思っていたが、この幼虫は成長が早く、ある日突然成長し切った大きな芋虫になって現れ、驚くことがある。「元来イモムシ(芋虫)という単語は、サトイモやサツマイモの葉に多く付くスズメガの幼虫を指した語である」と図鑑にあった。腹部の先端に「尾角」と呼ばれる突起が突き出ており、あまり好まれる姿ではないが、毒針などは持たない無害のイモムシである。
 尾角が顕著だから、英語でもhorned worm (角の生えた芋虫)という。スズメガは種によって食べる植物が顕著に決まっている。だから、桃、梅、林檎、枇杷などバラ科の葉を食べるのはモモスズメということになる。こうやって種類を同定するのも、「虫好き」とっては楽しいワクワクタイムなのだ。
 親になれば三角形の翅をはばたかせて、種類によっては時速50km以上のスピードでジェット機のように高速飛翔するし、ホバリングも出来る優れものの蛾である。

 7年振りで大腸カメラを受診した。前日は格段に美味しくなった検査食に変に感激しながら、検査当日2時間をかけて1ℓの下剤と麦茶を交互に飲み、腸を綺麗にしたところでカメラを入れた。曲がりくねった部分を抜ける時に少し膨満感と鈍痛が奔るが、それも一瞬、5分も掛からず挿入し終った。
 「モニター見れますよ」という看護婦の言葉に、恐る恐る画面に見入った。
 「此処が一番奥の盲腸です。ゆっくり引いていきますね」
 強いライトに照らされて、ピンクがかったオレンジ色の隧道、艶々と輝きたくさんの襞に囲まれた神秘的な光景がそこにあった。人間の内臓って、こんなに綺麗なんだ!……感動的でさえあった。
 襞の上に、うっかりすると見落としそうほどの小さな膨らみがあった。
 「ポリープですね。5ミリ以上は切るようにしてますが、まだ4ミリです。どうしますか、切りますか?」
 「先生の判断におまかせします」
 「じゃあ、ついでですから切っておきましょう。癌とかの心配あるポリープじゃありませんが、念の為に生検に出しておきます」
 カメラの先端に輪っか状のカッターが現れ、膨らみを掻き取る。噴火口のように残った傷跡をカチッと3か所を微小な縫合器具で止める。
 「ホッチキスみたいなものです。自然に取れて流れますから」
 
 生まれて初めて車椅子に乗って病室に運ばれた。ポリープを切除した場合は、一晩入院して絶食点滴で様子を見る規則だという。空腹感に苛まれながら、浅ましく一晩中食べ物の夢ばかりを見ていた。
 「仲秋の名月」前夜……「食欲の秋」に背く「秋の夜長」だった。
                 (2017年10月:写真:オキナワスズメウリ)