ズズンという重い落下音に、窓ガラスがビリビリと震える。2階の屋根から湿った雪の塊が庇を越えて落下する。たちまち軒下には40センチを超える雪の山が出来た。まともに受けたら細首を捻挫しかねないほどの勢いだから、危なくて庭先に出ることも出来ない。
氷点下5・6度、我が家の庭の積雪25センチ、数十年振り大寒波だった。垣根のラカンマキの枝がバキバキへし折られ、収穫間近の八朔が20個ほど雪塊に叩き落された。
1メートルを超す積雪が日常茶飯の北国から見れば何てことない雪の量だが、雪や酷寒に不慣れな南国九州にとっては笑い事ではない事態である。
父の形見の老松が折れないように、降り積もる雪を何度も松葉箒で落としては、雪にまみれてガスストーブの前にしゃがみ込む終日だった。
その夜から各地で水道管が破裂、太宰府市でも翌々日になって時間断水の防災無線が流れ、広報車が走った。何せ締め切った室内では聞こえず、まして風雨の災害時には全く意味をなさないという、役立たずの太宰府の防災無線である。太宰府市のホームページで確かめ、ご親切にご近所や友人にも電話して知らせたのに、何故か我が家辺りは一切断水なく、膝を庇いながらバケツで運んだ2階のトイレ用の水も、一度も流すことなく解除となった。
折から上の孫娘が、福岡市博物館で開催中の「黒田家名宝展」に飾られた官兵衛の愛刀・国宝「圧切長谷部(へしきりはせべ)」を観る為に横浜からやって来た。
ある茶坊主が信長の逆鱗に触れ部屋の隅の棚に隠れたが、信長は棚の下に刀を差し入れ、僅かな力で茶坊主の胴に押し付けただけで二つ切りにしてしまったという、いわくつきの刀である。中国征伐に献策した勘兵衛の功に対して、信長から与えられたという。
観終って、誕生祝(76歳と喜寿の祝い)に花束を持って一夜の宿にと訪ねて来てくれた孫娘と夕飯を外食で済ませ、9時からの断水に備えて急ぎ帰り、入浴させた。しかし(幸い?)水は止まることなく出続け、息せき切って帰ってきたことも笑い話に終わった。人騒がせな広報である。
はるばる広島の知人から十数年振りの断水見舞いの電話があり、家内が「大丈夫です。水は出てますよ」と言いだしかねて絶句していたのが可笑しい。
しかし、隣りの筑紫野市では数日断水が続いたことだし、全市断水となった大牟田市は全国ニュースとなったほどだから、いい方に転じたことを良しとせねばなるまい。
5日目、ようやく戻った日差しと3月並みの暖かさにもかかわらず、わが家の庭には黒ずんだ雪の塊が溶けずに残っている。かつて、「福岡の豪雪地帯」と冷やかし気味に言われたことがあるが、まあその名に恥じなかったことを誇りとしよう。(嗚呼、何という負け惜しみ!)
日差しの中を、今年もメジロがやって来た。一日一つと決めて二つ割にしたミカンを燈篭の上に置く。数匹が代わる代わる飛んで来ては 、終日飽きることなく啄んでいる。
「そんなに食べたら、目が黄色くなるぞ!」
笑いながら見入っていると、珍しくスズメまでが時折メジロを追い払ってつつきに来る。窓越しに接写機能付き望遠レンズを向ける……我が家では、春が近いことを期待させる毎年恒例となった風景である。
やがて「早春賦」の歌声がテレビやラジオで流れ始めることだろう。
(2016年1月晦日:写真:メジロのお昼ご飯)