玄関の壁に、一匹のアブラゼミがとまったままで命を終えていた。もう1週間以上になるだろうか。蟋蟀庵を最後の憩いの場として、ひっそりと短い一生を終えた姿が愛しくて、そのままにしていた。
非常に強い台風13号が沖縄を暴風雨に巻き込みながら、次第に九州の西の海上に近づいている。時折小さなつむじ風が窓を叩く。軒先に提げたウインドチャイムが、姦しく風に鳴る前に取り込もうと玄関に回ったとき、目の前でツグミがホバリングしながらアブラゼミの遺骸を攫っていった。一瞬のことだった。偶然目にした命のリレーに、ツグミを責める気にもならず、息を呑んで見守っていた。
食物連鎖、それは命の連鎖でもある。
庭先で、ジガバチが頻りに穴を掘っていた。耳を近付けると、「ジガジガ」と翅を震わせる音が、穴の奥から聞こえる。ジガバチという名前の由来になった翅音である。あの細い身体で、固い土を掘り上げるには大変な力技がいるだろう。掘っては運び出し、辺りを窺っては又穴に戻っていく。その繰り返しに、見る間に掘り上げた白い土が盛り上がっていく。地表の下の土は、こんなに綺麗だったのかと、妙な感心をしながらカメラを構えたまま見守っていた。
ジガバチ……狩り蜂の仲間である。シャクガやヤガの幼虫を狩って穴に運び、卵を産み付ける。やがて孵った幼虫は、その生餌を食べながら冬を越す。
中学生の頃……昆虫少年真っ盛りだった頃、同じ狩り蜂の仲間・クロアナバチの巣作りを観察して、「クロアナバチの造巣」という小論文を書いたことがあった。2階の書斎の棚のどこかに、まだその原稿が残っている筈である。黒い大型のクロアナバチは精悍で、いかにも狩り蜂という風格があった。大きな羽音も王者の響きがあった。
暑い夏の数日を、幾つもの巣作りを見守りながら蹲って過ごした。わざと小石や割り箸を置いて巣作りの邪魔をし、その障害物をどうやって取り除くかを見守るという意地悪も仕掛けた。
その頃はネットなどという便利な情報源もなく、ひたすら自分の目で見た事象だけを記録し続けた。夏休み中だったから学校の図書館も閉ざされており、昆虫図鑑で確かめるすべもなかった。この蜂は、スズムシなどのキリギリス科の昆虫を狩る。針を刺して麻酔を掛け、生きたままの状態で産卵する。だから幼虫が孵ったときにも、まだ餌は生きている。
スズムシを鷲掴みにして巣に戻った姿は、いかにも誇らしく、命のリレーを敢然と行っている姿は今も目に焼き付いている。
ジガバチは、巣穴を掘り終えると、いったん小石で蓋をして狩りに出掛ける。獲物をしとめて帰って来ると、小石をどけて穴の中を点検してから獲物を運び込み、産卵して再び蓋をして飛び去る……筈であった。しかし、掘り下げた直径1.8センチほどの巣穴を残したまま姿を消した。
一日待ったが、再び姿を見せることはなかった。何が障害になったのか……掘った穴が気に入らなくて移動したのか……以前にも、一匹が幾つも試し掘りしては場所を変えることがあったが、掘り出した砂の山を見るとほぼ完成した状態である。狩り蜂自身が何者かに狩られたのか……我が家の庭にも天敵はいる。もし狩られたとしても、それも一つの命の連鎖である。
34.8度の、残暑厳しい午後だった。
蟋蟀庵の小さな宇宙で、日々繰り広げられる命の連鎖に感じ入りながら、次第に厚くなる雲の佇まいを見上げていた。
昆虫老人、今日も健在である。
昨日、「男の料理教室」の帰りに、ご近所さんからカボスをいただいた。今夜は秋刀魚の塩焼きにしよう。
(2019年9月:写真:ジガバチの巣穴造り)