37度を超える油照りの一日、完膚なきまでに大地を焼き尽くして、ようやく真っ赤な夕焼けを引き摺りながら太陽が去って行った。期待したほどではさらさらないものの、黄昏の中に紛れもなく秋の気配が漂い始めていた。庭にすだく虫の声が、夜毎深く広く厚みを増していく。井戸水をホースで撒くかたわらで、待っていたようにカネタタキがチンチンと鳴き始めた。
退院後二度目のリハビリで、杖からも完全に解放された。固くなった筋肉や筋を丁寧に揉みほぐしてくれるマッサージの後、平行棒での股上げと体重移動の訓練、それ以外は、手術前日まで7ヶ月の間、朝晩繰り返していた筋トレのストレッチと殆ど同じだった。
だから、週3回40分のリハビリがない日にも、セルフ・ストレッチが可能である。履けなかった靴下が履けるようになり、高い丸椅子を持ちこんで坐っていたシャワーの椅子も低めで可能となり、左足を洗うことも出来るようになった。
朝起きて、町内を杖なしで少し歩く。毎朝ご夫妻で犬の散歩に歩いている知人が、目を丸くして声を掛けてくる。
「え!もう杖なしで歩けるんですか?」
病や怪我は、「薄紙を剥ぐよう」に時が癒してくれるというが、私にとっては本当に「厚紙を剥がされている」思いだった。勿論無茶は禁物だが、少し負荷がかかる程度の無理はしないと、日常生活でのリハビリ効果が喪われる。無理か無茶か、その微妙な匙加減は、本人が日々感じ取っていくしかないのだ。
自信がないことは、リハビリ担当の主任理学療法士に尋ね、正しいやり方(許容範囲)を教えていただく。決して、思い込みで自分勝手なリハビリはしないこと。無茶をして、脱臼した場合の悲惨さは、主治医からシッカリ頭に叩き込まれているから、よく言えば慎重悪く言えば臆病な私は、一つ一つの動きに気を配りながら行動すことになる。
家事手伝いも少しずつこなせるようになってきたし、半月以上不自由を掛けたカミさんに少しでも楽をさせないと、年寄りが生き延びるにはあまりにも苛酷な今年の夏である。
私が歩くと、リンリンと鈴が鳴る。称して「婆除け鈴」。先年立山・黒部を旅した時、熊よけの小さな鈴を買って来た。博物館裏山や、天満宮裏山の散策路を歩くときは、この鈴を猪除けに必ず腰に提げる。(実は、以前も書いたように、もうひとつ、カップルに対する警告という目的がある。秘密基地への山道を曲がった途端、抱き合って唇を合わせていたカップルが、慌てて跳び離れる現場に出くわしたことがある。以来、「近付いてますよ~!」という警告の意味で、リンリンと鈴を鳴らすのだ)
家事を手伝いながら、カミさんと偶然動線が交差し、ぶつかりそうになることがある。いま一番怖いのは衝突による転倒である。だから、買い物に行く時には熊除け鈴に加えて、わざと杖を持ち、周りの人の注意を喚起することにした。それでも、棚の方ばかりを見て、カートをぶっつけて来る人も少なくないから油断できない。
大型スーパーの駐車場で一方通行を逆走し、クラクションを鳴らして注意すると逆に睨み付けてくる中年女性、当て逃げして黙って逃げていった誰か……「おもてなしの心豊かで、優しく気働き出来る日本人」なんて、嘘っぱちだ!マナーはどんどん悪くなる!……よしよし、こんな愚痴が出るという事は、元気になりつつある証拠だろう。
今年は、いつにも増して、秋が遠いなぁ……。
(2018年8月:写真:「婆除け鈴」)