蟋蟀庵便り

山野草、旅、昆虫、日常のつれづれなどに関するミニエッセイ。

移ろう季節

2007年09月10日 | 季節の便り・花篇

 珍しく夏バテをした。1月生まれなのに「夏大好き人間」で、真夏でも庭で甲羅干しを楽しむほど苛烈な真夏の太陽が好きだった。各地で記録を塗り替える猛暑が続いた。そんな中、夏風邪をこじらせて2週間微熱と咳に苛まれてから、何となく不調が続き、そのまま9月を迎えた。「それは歳だよ!」と主治医に冷やかされて益々落ち込み…気が付いたらツクツクボウシの大合唱に、残り少なくなったヒグラシが懸命に立ち向かっている。昼間はまだ酷暑から残暑をしぶとく引き摺っているけれども、起き抜けに家の前の道路を掃いていて、ふと風の涼やかさを感じるようになった。オゼギボウシが60センチほど高く茎を伸ばして真っ白な花を付け、ヒメミズギボウシが群れなして咲いている、季節は間違いなく移ろっていた。

 夏の終わりに、恐ろしいニュースを見た。
 「環境危機時計」……1992年に、環境破壊による人類滅亡を夜中の12時に見立てて、時計が作られた。この年の時刻は、既に午後7時49分を刻んでいた。15年後の今年、時計の針は午後9時31分。途中、京都議定書やクール・ビズなどを好反映して一進一退を重ねながらも、15年間で1時間42分進んだことになる。残すところ2時間29分、しかも、この1年で時の流れは一気に加速し、14分も進んだ。単純にこのスピードで残された時間を割ると、実に人類滅亡まで10.6年という恐ろしい答えが出てくる。
 信じたくない数値である。一つの指針、一つの警鐘ではあろう。しかし、このところ世界各地で起きている大干ばつ、豪雨、猛暑、酷寒、極大ハリケーンの発生、極地の氷の溶融、オゾンホールの拡大、森林火災、希少動物の絶滅……まさかと思いながら、全面否定できない怖さがある。環境破壊から温暖化が進み、海面上昇により世界各地の穀倉地帯が水没、穀物生産が壊滅し、牧畜業が破綻し……食料自給率が40%を切る日本では、食糧輸入が途絶すると、僅か1年で1000万人が餓死するというデーターを見たことがある。
 お盆が明けて、横浜の娘が二人の孫娘を連れて帰省し、10日間ほど「ジージといた夏」を過ごして帰って行った。この孫達の未来に、いったい何が待ち受けているのだろう。異常な少子化が進み、100年後の日本の人口は半減するというけれども、50年100年どころではない。10年後の人類の姿さえ見えなくなり始めている。環境破壊は、既に折り返せる所を過ぎてしまったのかもしれない。

 やや勢いを失った午後の陽射しの中で、風がウインドチャイムを揺する。暑気痛みを払いのけるように、秋の終わりに40日ほど日本を脱出する計画を立てた。南カリフォルニアの海で悲願のスキューバ・ダイビングの資格を取り、11月のまだ真夏のメキシコの海に下の娘と潜って、シーライオンや魚達と戯れてこよう。追っかけてくる加齢に棹差しながら、余生を我が物にしたい……いつになく心せかれる秋の入りである。
             (2007年9月:写真:オゼギボウシ)